在日朝鮮人でハンセン病回復者だった金泰九(キム・テグ)さん 90年の生涯に乾杯!

長島愛生園にて/籔田政和撮影

在日朝鮮人であり、ハンセン病回復者でもあった金泰九さん(享年90)。療養所の長島愛生園で60年以上を過ごしました。金さんは1980年以降、元患者たちの人権回復や啓発活動に尽力。2007年には自伝「在日朝鮮人ハンセン病回復者として生きた わが80歳に乾杯」も出版されました。2016年11月19日に長島愛生園で死去。

そんな金泰九さんを2011年8月、看護助手の坂田瑠梨さんが訪ねました。そこで瑠梨さんは、金さんを通して壮絶な「歴史の真実」と出会うことになります。(ドキュメンタリー映画「虎ハ眠ラズ」より)

偏見・差別の対象だったハンセン病

かつてハンセン病は、「癩(らい)病」と呼ばれ、天罰や祟りのためだとされました。1873年(明治6年)ノルウェーの医師ハンセンによって「らい菌」が発見され、ハンセン病は遺伝病ではなく、感染病であることが分かりました。しかし、病状が進むと、手足などの末梢神経が麻痺し、皮膚などに障害が起こることから、偏見や差別の対象になりやすかったのです。

1943年にハンセン病の特効薬としてアメリカで効果が確認されたのがプロミンでした。日本では戦後間もなく使用されるようになり、入所者は次々に治癒していきました。ハンセン病は薬で完治することが常識になりました。しかし、連綿として受け継がれた偏見と差別は未だ解消されていません。温泉宿の宿泊拒否や人目を忍んでの里帰り・・・、そこにあるのは排除の残滓です。

ハンセン病に関しての日本で初めての法律は、1907年(明治40年)に制定された「癩予防ニ関スル件」です。1931年(昭和6年)に「癩予防法」の制定で、在宅患者は警察権力によって強制隔離されるようになりました。戦争に突き進む中「無癩県運動」も繰り広げられました。各県が競って患者を療養所に収容していったのです。こうして、ハンセン病は感染力が強いという誤った考えが急速に広まり、偏見を大きくしていったのです。

そんな風潮の中、1930年(昭和5年)に日本で初めての国立療養所として長島愛生園(現・岡山県瀬戸内市)が開設されました。しかし当時は愛生園とは名ばかりの、患者を人間として扱わない隔離施設でした。子孫を残さないよう男性には断種、女性には中絶が行なわれました。園長は懲戒検束権をもつ絶対権力者でした。反抗したり、逃亡したりすれば監房に拘束されました。

入所者は強制的に作業に従事させられました。園内作業は、木工部・金工部・土木部・裁縫部など約70種類。手に知覚が失われているため大怪我をした入所者は数知れません。金さんは給食・ゴミ収集などに従事しました。作業謝金は園外の人夫賃の1割にも満たないものでした。逃走を防ぐため入所者には現金を持たせませんでした。園内だけで使用できる通貨しか与えませんでした。

島には自殺の名所と呼ばれる断崖がありました。100人以上が身を投げたといいます。金さんは遺体の収容を手伝ったこともありました。入所者は死んでからも島を出ることはできませんでした。殆どの家族親族が世間の目を恐れ、遺骨の引き取りを拒んだ為です。遺骨は納骨堂に安置されました。現在3500柱を超えます。

近年、日本で新しくハンセン病と診断される人はほとんどいません。また薬によって短期間で治癒します。2018年5月現在、全国の14療養所で1338人が暮らしていて、平均年齢は85歳を超えます。

左:金泰九作 右:十代の頃
左:金泰九作 右:十代の頃

金泰九の闘い

金泰九(キム・テグ)さんは、1926年、現在の韓国・慶尚南道に生まれました。12歳のとき、父を頼って日本へ。大阪で大学在学中に発病し、1952年、長島愛生園に強制隔離されました。以来60年以上、90歳で亡くなるまで同園で暮らさざるをえませんでした。

小さな島の中で一生をおくらねばならない暗鬱なる日々。しかし、一冊の本との出会いが人生の転機となりました。司馬遼太郎作「故郷忘じがたく候」豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、捕虜として日本に連行された陶工・沈壽官を描いた物語です。金さんは第14代沈壽官に会おうと鹿児島まで出かけました。その旅で味わった目的をもち行動することの充実感。1979年には韓国に帰省しました。親族縁者たちとのふれあいは、金さんに生きる力をもたらせてくれました。

金さんは様々な運動に関わっていきました。隔離された島と本土を結ぶ橋の建設運動。ハンセン病対策の違憲を問うた国家賠償を求める裁判闘争。講演活動も積極的に行ないました。中学生や高校生など次代を担う若者たちに向けては、ハンセン病への無理解、戦争の理不尽さを訴えました。

金さんの言動の核にあるのは「正しく知り、正しく行動する」「人権を全てに優先して考える」。金さんが、その過酷な人生を懸けて掴み取った信条です。

80歳を記念して自伝も出版しました。金さんの力強い生き方を象徴するように、自伝のタイトルは「在日朝鮮人ハンセン病回復者として生きた わが80歳に乾杯」としました。

* 金泰九(キム・テグ)

1926年 現在の韓国・慶尚南道陜川(ハプチョン)に生まれる

1938年 12歳のとき、父を頼って日本へ渡る

1948年 大阪で大学在学中に発病

1952年 長島愛生園に強制隔離 60年以上を同園で暮らす

1988年 運動に加わった長島架橋が完成

2001年 原告に加わった国賠訴訟に勝訴

2007年 自伝「在日朝鮮人ハンセン病回復者として生きた わが80歳に乾杯」出版

2016年 長島愛生園で死去(享年90)

* 自伝「在日朝鮮人ハンセン病回復者として生きた わが80歳に乾杯」(牧歌舎)

* ドキュメンタリー映画「虎ハ眠ラズ」(43分)

監督:田中幸夫 製作:風楽創作事務所  文部科学省選定 岡山映画祭出品

DVD販売:フルーク映像株式会社  E-mail:info@flugeizo.com

Web:flugeizo.com

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