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右翼陣営の票欲しさに自らの考えを封印し、8政党の党首と異なる対応をした岸田総理を国民はどう見る

田中良紹ジャーナリスト

フーテン老人世直し録(613)

神無月某日

 総選挙公示の前日に行われた日本記者クラブ主催の「党首討論」でシンボリックな場面があった。討論会に出席していたのは自民、公明、立民、共産、国民、維新、社民、れいわ、NHKの9党首だが、選択的夫婦別姓法案とLGBT法案への賛否を問われると、8党首が賛成の挙手をした中で、自民の岸田総裁一人だけが手を挙げなかった。

 そのシーンを見れば与党第一党の自民党だけが反対したように見える。しかしこれより前に行われた自民党総裁選では、この問題で河野、岸田、高市、野田の4候補のうち賛成しなかったのは岸田と高市で、河野と野田は賛成していたから、すべての政党に賛成者はいる。

 つまり岸田総裁が選択的夫婦別姓法案やLGBT法案に賛成しなかったのは、自民党内の全体ではなく一部の考えを代表しているに過ぎない。その一部の考えとは、日本的伝統である「家族制度」を守るべきとする右翼陣営の考え方だ。

 日本的伝統である「家族制度」とは、明治時代に作られた「家制度」が基本となる。これには天皇制を支える政治的な目的があった。つまり家族が共同生活をするうえで父親が中心となり、戸主である父親に家族の統率権限が与えられ、その関係が天皇と国民との関係になぞらえられ、「教育勅語」で親孝行が大事な徳目として国民に教え込まれた。

 そうした教育によって家父長制が国民生活に浸透し、女性は従属的な存在とされ、その「家族制度」が天皇制国家を支えたのである。しかし「家制度」は敗戦とともに廃止された。GHQが「家制度」の廃止を求めたからである。

 ところが「家制度」の廃止には根強い抵抗があった。その結果、「家制度」はなくなったものの、家族の共同生活を維持するという理由で、家族は同じ「氏(うじ)」を名乗るという「氏制度」が存続することになった。

 1972年に施行された男女雇用機会均等法により、女性の社会進出が一般的になると、「家制度」の名残りである「氏制度」にも疑問が持たれ、1975年の国際婦人年の頃から選択的夫婦別姓の法制化を求める運動が高まった。96年には法制審議会が選択的夫婦別姓の導入を含む民法改正案を答申する。

 しかしこの改正は自民党の反対で見送られた。それから四半世紀が経ち、自民党の中にも選択的夫婦別姓に賛成する議員が増えてきた。その象徴的存在は安倍元総理が右翼的思想を見込んで政治の世界に引き入れた稲田朋美である。

 小泉政権の郵政選挙に「刺客」として初当選した稲田は、第二次安倍政権が誕生すると、当選3回ながら規制改革担当大臣として初入閣、その2年後の2014年には自民党政調会長という重責が与えられ、さらにその2年後の2016年に防衛大臣に起用された。そして安倍元総理から「女性初の総理候補」と言われるようになる。

 しかし防衛大臣としての稲田は、資質に疑問符のつく発言や、PKO活動で南スーダンに派遣された陸上自衛隊の日報を巡る混乱から引責辞任に追い込まれた。それまでの華やかな経歴は一転するが、それでも彼女は女性初の総理を目指し、2019年に議員連盟「女性議員飛躍の会」を結成、また自民党内に「女性政策推進室」を作って初代室長に就任した。

 その頃から稲田は、それまで選択的夫婦別姓を「家族の崩壊につながる」と反対してきた姿勢を変え、また性的マイノリティのLGBT問題を人権問題として取り上げ、菅政権時代に「LGBT理解増進法案」の成立に奔走した。

 こうした「変節」に右翼陣営から「裏切り」の声が上がる。またもう一方では安倍政治の継承者として総理に就任したはずの菅義偉に右翼イデオロギーが希薄なことから、安倍政権時代の岩盤支持層である右翼陣営が自民党に不満を募らせることになった。

 それに危機感を抱いた安倍元総理は、当初は菅前総理を続投させる気でいたが、一転して菅前総理に二階前幹事長の交代を迫り、甘利幹事長就任を強制する強硬姿勢を取る。それに反発する菅前総理との間に権力闘争が起きたことはこれまでブログに書いてきた。

 安倍元総理の意中は岸田総理誕生にあったが、右翼陣営を自民党に繋ぎ留めておくには、リベラルが売り物の「宏池会」の流れをくむ岸田を直接的に支持するわけにいかない。また「禅譲」なら岸田を意のままに操ることができるが、総裁選での支援では他にも支援者は出てくるから100%意のままにできない。

 安倍元総理は右翼陣営を繋ぎ留めるために高市早苗というカードを使い、最終的には岸田が勝利するシナリオを書いた。岸田総理も安倍元総理の支援を必要とするから、この春に「選択的夫婦別氏制度を早期に実現する議員連盟」の呼びかけ人になっていながら、総裁選で高市と同じ姿勢を示した。

 つまり岸田総理が賛成の挙手をしなかったのは自分の本意でもない。安倍元総理から支援された事情があるためと、総選挙で右翼陣営の支持を得るためである。しかし右翼陣営の支持を得るために取った行動が、無党派層の離反を招き、どちらが得だか分からない結果を生むこともある。

 「党首討論」があった日の夜に放送されたNHKの世論調査では、岸田政権の支持率が前の週の調査より3ポイント低い46%で、不支持率が4ポイント上昇して28%になったと報じられた。つまり岸田政権の支持率は誕生以来低下し続ける傾向にあるのだ。

 前回のブログでフーテンは「総理就任から衆議院解散まで史上最短を記録した岸田政権の党利党略」を書いた。最短は何のためか。第一に国民に考える時間を与えないためである。考える時間を与えると選挙が不利になるから、政権誕生の勢いがあるうちに選挙をしてしまい、その結果が出てから何をどうやるかを決めようとしている。

 最短の第二の理由は、野党の選挙協力を阻止するためである。それは2012年に第二次安倍政権が誕生した時から始まる自民党による選挙の方程式だ。第二次安倍政権が誕生した2012年の総選挙で自公が獲得した小選挙区の得票数は2650万票、野党が獲得した総得票数は3200万票で、仮に二大政党制であったなら、第二次安倍政権の誕生はなかった。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■「田中塾@兎」のお知らせ 日時:4月28日(日)16時から17時半。場所:東京都大田区上池台1丁目のスナック「兎」(03-3727-2806)池上線長原駅から徒歩5分。会費:1500円。お申し込みはmaruyamase@securo-japan.com。

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