Yahoo!ニュース

人類が新型コロナに負けた証しとして不完全な形で東京五輪を開催する

田中良紹ジャーナリスト

フーテン老人世直し録(593)

文月某日

 7月8日、ついにあの男がやって来た。空港から都心に向かうバッハIOC会長が報道陣のカメラに向かい、笑顔で手を振る姿がテレビに映し出された。その日は東京都に緊急事態宣言が出される日で、国会ではそれを巡る審議が行われていた。その同じ時間帯にあの男は笑顔で日本に到着した。

 その夜開かれた東京五輪を巡る「五者協議」で、東京、神奈川、千葉、埼玉の1都3県で開催される五輪競技は、すべて無観客で行われることが決定された。その協議にリモートで参加したあの男は、そこでも笑顔で「呼び出されたアスリートの気持ちだ」と高揚感を語り、五輪が中止にならなかったことを喜んでいるようだった。

 しかしこの場で安倍前総理の言った「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証しとして完全な形での開催」は、「新型コロナウイルスに打ち負けた証しとして不完全な形での開催」になることが確定した。

 安倍前総理は「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証しとして完全な形での開催」を何度も何度も口にした。G7の会議でも表明したから「国際公約」とも言える。そう考えれば「無観客開催」は「国際公約違反」で、産経新聞が主張する「大失態」に当たる。

 しかし今や誰も「大失態」とは感じず、こうなったことを恥じることも、責任追及の声が上がる気配もない。何よりもその言葉を口にした安倍前総理は病気を理由に既に退陣しており、その言葉を引き継いだ菅総理も、二階幹事長が「スパっとやめることもありうる」と発言した後はその言葉を使わず、「コロナ禍での団結の象徴」という意味の分からない言い方に変えた。

 国際社会はコロナ禍だから致し方ないと考え、日本政府を責めようとはしないだろうが、「新型コロナに打ち勝つ」、「完全な形での開催」と大見えを切った日本が、その後にどのような対応を取ったのかを検証し、日本国のどこに弱点があるかを探す努力はするだろう。

 しかしそれは何よりも日本自身がやらなければならない話だ。1年前の3月に安倍前総理は何をもって東京五輪組織委が考えた「2年延期」を覆し「1年延期」を決断したのか。そして何をもって「人類が新型コロナに打ち勝つ」とか「完全な形での開催」を断言したのか。さらにそのためには開催日から逆算していつまでに何をやるかの工程表をどう作っていたかを検証すべきである。

 しかしフーテンは日本がそのような検証を行う国であるかと問われれば悲観的である。それは「安倍晋三」、「国際公約違反」、「病気退陣」という3つのキーワードを考える時、14年前の出来事を思い出してしまうからだ。

 14年前の第一次安倍政権は、米国の「テロとの戦い」を支援するテロ特措法に基づいて、海上自衛隊がインド洋上で米国の艦船に給油活動を行うことを「国際公約」していた。そのテロ特措法は時限立法で2007年11月1日に失効することになっていた。

 ところが7月に行われた参議院選挙で、安倍自民党は小沢一郎率いる民主党に惨敗し、公明党と合わせても参議院の過半数を失う。つまり「ねじれ」が生まれ、テロ特措法の延長は事実上不可能になる。にもかかわらず安倍総理は「続投」を表明した。

 これにフーテンは驚いた。かつて自民党の総理で参議院選挙に敗北して続投した人は一人もいない。宇野宗祐、橋本龍太郎の両氏は衆議院で過半数を握っていても、参議院選挙敗北の責任を取って退陣した。

 選挙敗北の責任を取らずに続投を表明すれば、野党が安倍政権に協力することはあり得ない。テロ特措法の延長はなくなり、11月1日に安倍総理は海上自衛隊に撤退命令を出さざるを得ない。自らの「国際公約」を自らの手で破ることになる。つまり「うそつき」になる。それを分かっていないとしか思えなかった。

 すると安倍総理は9月11日に召集された臨時国会で所信表明演説を行い、その翌日に突然記者会見を開いて退陣を表明した。その中で安倍総理は自身が総理を続けると政治に混乱が起こると発言した。フーテンはやっとテロ特措法に気付いたと思ったが、メディアの報道は混乱し、そこに与謝野馨官房長官が助け舟を出した。安倍総理には持病があると発言した。

 それから安倍総理は病院に行き、難病を抱えている話が流布されて、テロ特措法を巡る話と退陣理由は切り離された。安倍政権から交代した福田康夫政権下で11月1日にテロ特措法は期限を迎え、2日に海上自衛隊は一時的だが撤退する。しかしその後新規のテロ特措法が成立し、給油活動は民主党の鳩山政権が誕生するまで続いた。

 つまり前回は「国際公約」を選挙敗北で実現できなくなり、それでも安倍総理は政治責任を取らずに権力の座にとどまろうとしたが、国会が始まった時に「うそつき」になってしまうことを悟り、突然の退陣表明を行い、その後に難病のための退陣というストーリーが作られた。

 今回は、安倍前総理が東京五輪組織委の「2年延期」方針を覆して「1年延期」を決め、「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証しとして完全な形での開催」を「国際公約」したが、それが実現する前に病気を理由に退陣し、コロナ禍の中での東京五輪開催という難事業を菅総理に押し付け、自分はその先の再登板を画策していると言われる。

 従って前回よりは複雑だ。東京五輪組織委の方針を覆した理由は自分の任期中に開催したかったからと想像されるが、1年後に五輪を「完全な形で」開催するには対コロナ戦略、つまりワクチン戦略が必要になる。それを安倍前総理が策定していたのかどうかを検証する必要がある。

この記事は有料です。
「田中良紹のフーテン老人世直し録」のバックナンバーをお申し込みください。

「田中良紹のフーテン老人世直し録」のバックナンバー 2021年7月

税込550(記事6本)

※すでに購入済みの方はログインしてください。

購入についての注意事項を必ずお読みいただき、同意の上ご購入ください。欧州経済領域(EEA)およびイギリスから購入や閲覧ができませんのでご注意ください。
ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:4月27日(土)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

田中良紹の最近の記事