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訳も分からずに「自己責任」を叫ぶ愚民国家

田中良紹ジャーナリスト

 フリージャーナリストの安田純平氏がシリアの武装勢力から解放されたとの情報は、サウジアラビアの反体制ジャーナリストがトルコのサウジ総領事館で殺害された疑惑に世界が注目していた10月23日、菅官房長官によって突然深夜に発表された。

 その日は、トルコのエルドアン大統領が国会で演説を行い、ジャマル・カショギ氏の死亡を「残忍な計画的殺害」と断定し、「口論から死亡した」とするサウジアラビア政府の発表を全否定、また殺害指示を疑われるムハンマド皇太子主催の「砂漠のダボス会議」がリヤドで開かれた日である。

 菅官房長官によれば、その日の夜にカタール政府から安田氏の解放情報がもたらされ、安田氏はトルコにある入管施設に保護されているとのことであった。カタールとトルコが連携して安田氏を救出したというのが最初に受けた印象である。

 トルコはカショギ氏殺害事件を中東でのパワーゲームに利用し、情報を小出しにしながらサウジを追い詰め、しかしとことんまでは追い詰めずに貸しを作り、米国との関係をも有利にしようとしている。そのトルコがこの時期にサウジと敵対関係にあるカタールと組んで安田氏を解放させたとしたら、どのような意味があるのかと思わせた。

 タイミングがタイミングだけに、安田氏解放とカショギ氏殺害事件に関連がないかをまず私は考えた。無論、これまでのところそれに関する情報は何もない。しかし3年以上も前からシリアの反体制武装勢力に拘束された安田氏が、このタイミングで解放された理由を考えてみなければならない。

 言われているのは、シリアの武装勢力が劣勢に陥ったから解放したという説やカタールが身代金を支払ったという情報がある。しかしそれらは疑問に対する十分な解答にはならない。また官邸を司令塔とした「国際テロ情報収集ユニット」がトルコとカタールに働きかけ解放されたという話も流されているが、これも鵜呑みにはできない。

 2015年1月にイスラム国に殺害された湯川遥菜氏と後藤健二氏の時を思い起こせば、安倍政権は一貫して日本人の救出に冷淡だったからだ。民間軍事会社を経営し中東に武器の売込みに行ったとみられる湯川氏を、外務省の警告を聞かずに危険地帯に入った迷惑な人物として扱い、誰も助けに行かないので救出に向かった後藤氏も同様に見られた。

 とにかく政府の言うことを聞かずに外国に行ってテロ組織に拘束された人間は「自己責任」だから救出しないというのが日本政府の考えである。これは先進諸国の政府にはない対応だと思う。本人がどんなバカげた人間だろうが、政府を批判する人間だろうが、外国人に殺されそうになった自国民を救出するのは主権国家の務めだからである。

 そのためには何でもする。表には見せないが裏では汚いこともやる。それが国家というものだ。そして身代金を支払わないと表では言いながら、水面下では他の手も含め何でもやるのが政治家の仕事である。

 とにかく自国民を救出しなければ国民は納得しない。税金で養っている政治家や官僚に対して国民は怒る。ところが日本はその逆だ。税金で養っている政治家や官僚の言うままになって、お上の言うことを聞かない国民に怒りをぶつける。

 私はこの時期に安田氏が解放されたのはなぜかを考えていたが、世間ではそんなことより安田氏の「自己責任」を巡ってバッシングが始まったようだ。外国人には異様な光景に見えるのではないか。

 思い起こせば、2004年の「イラク日本人人質事件」が「自己責任」で被害者が猛烈なバッシングを受けた最初だった。米国のブッシュ政権はイラクが大量破壊兵器を持っているという「嘘」を流して先制攻撃に踏み切り、小泉政権は自衛隊のイラク派遣を決めた。

 これに対しイラクの武装グループは、日本人3人を拘束し自衛隊の撤退を要求する。小泉総理は自衛隊撤退を拒否する一方で、3人の救出には全力を上げるよう指示し、外務副大臣と警察官僚を現地に派遣した。

 イスラム教聖職者の仲介で3人は解放されたが、国内では「自己責任だ」とするバッシングが異様なほどに盛り上がり、米国のパウエル国務長官は「人質に責任があるとは言えない。このような人たちを日本の人々は誇りに思うべきだ」とバッシングを批判した。

 結局、イラク戦争は「自己責任」を根拠に被害者をバッシングする習慣を日本人に植え付けた。そのため「嘘」から始まったイラク戦争の責任追及はしないままに終わる。イラクに軍隊を派遣した国はどこでも政治指導者が責任を追及され、特に英国ではブレア首相が任期途中で退陣させられた。

 米国でもブッシュ(子)大統領はメディアから厳しい批判を受け、米国議会は「大量破壊兵器はない」と報告したCIA担当者の証人喚問を行って、イラク戦争の実像を国民に知らせようとした。

 しかし日本だけはイラク戦争に協力した小泉総理への追及がなく、そのため国民はイラク戦争の実像を記憶にとどめるより、テロ組織に拘束された被害者を「自己責任」でバッシングする快感を覚えたように私には思える。

 そもそも「自己責任」という言葉が使われるようになったのは、自由党の小沢一郎氏が1993年に書いた『日本改造計画』(講談社)からだと思う。確か「グランドキャニオンには柵がない」という書き出しだった。米国では景観を大事にするため柵を作らない。崖から落ちるのは本人の「自己責任」である。

 ところが日本では子供が池に落ちても、野党が「政府の責任」を追及した。「政府の責任」ばかり追及すると、次第に何でも霞が関の官僚が取り仕切るようになり、その結果、田舎のバス停の場所を決めるのも東京の官庁の許可を一々取らなければならなくなった。

 明治以来の中央集権制と官僚支配から脱するには、「政府の責任」だけでなく「自己責任」も考えなければならないという内容だったと思う。それは戦後長く続いた自民党単独政権を変え、政権交代可能な構図を作るための構想だった。

 米国の二大政党制の柱は民主党が「大きな政府」で共和党が「小さな政府」である。「大きな政府」は国が国民の面倒を見る福祉型、「小さな政府」は国が国民の面倒を見ない自己責任型だ。それが交互に政権交代することで成長と分配のバランスを取るようにする。

 ところが自民党と社会党は両方ともが「大きな政府」を志向していた。つまり日本には米国の共和党に相当する政党がなかった。小沢氏は日本にも共和党のような政党を作り政権交代可能な構図を作ろうとして『日本改造計画』を書いた。

 紆余曲折はあったが共和党のような「小さな政府」を最も明確に志向したのは小泉政権である。小泉氏は「自民党をぶっ壊す」と叫び、自民党内の「大きな政府」を志向する勢力を排除していく。すると小沢氏は一転して「国民の生活が第一」を主張し、民主党を分配型の政党にして政権交代を可能にした。

 小沢氏にとっては政権交代可能な「軸」を作ることが大事なので、「大きな政府」が良いとか「小さな政府」が良いとかいう立場は採らないということだ。国民にとっては「大きな政府」に寄り過ぎても困る人が出るし「小さな政府」に寄り過ぎても困る人が出る。どちらも適度で時々それが交代するのが良い。

 そのような構想の中で「自己責任」が使われ始めたと私は記憶するが、「イラク日本人人質事件」から続くテロ組織に拘束された人間に対する「自己責任」のバッシングは事の本質とまるで関係がない。

 危険な地域に行く人間は当然「自己責任」で行くわけで死んでも誰のせいにもできない。しかしそのことと主権国家が自国民を救出する話は別である。外国人の手によって自国民を殺害されるのはどのような理由があろうと見過ごすわけにはいかない。断固として救出するのが主権国家として当然なのである。

 国家の警告を無視して行った人間は「自己責任」だから国家は救出しなくとも良いと言う国が日本以外のどこかにあるのだろうか。世界の中で最も「自己責任」を主張する米国でそんな理屈は通用しない。あの国はいかなる手を使ってでも自国民を救出する国である。それに比べて日本は主権国家としての責任放棄を「自己責任」という言葉でごまかしているだけではないのか。

 それよりも中東のパワーバランスに変化が生じようとしている時、安田氏が解放された背景に何があるのかを探り出し、世界の構造変化に対応する手立てを模索する方が重要ではないか。訳の分からない「自己責任」を叫んで喜ぶ暇など今の日本にはないのである。

ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■「田中塾@兎」のお知らせ 日時:4月28日(日)16時から17時半。場所:東京都大田区上池台1丁目のスナック「兎」(03-3727-2806)池上線長原駅から徒歩5分。会費:1500円。お申し込みはmaruyamase@securo-japan.com。

「田中良紹のフーテン老人世直し録」

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「フーテン老人は定職を持たず、組織に縛られない自由人。しかし社会の裏表を取材した長い経験があります。世の中には支配する者とされる者とがおり、支配の手段は情報操作による世論誘導です。権力を取材すればするほどメディアは情報操作に操られ、メディアには日々洗脳情報が流れます。その嘘を見抜いてみんなでこの国を学び直す。そこから世直しが始まる。それがフーテン老人の願いで、これはその実録ドキュメントです」

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