「ジャンク支援」~貧困層の主食のお菓子を「宅食」する意味

■ その食材の「ジャンクさ」

具体的事例や法人名をあげるのは実はあまり意味がない。その個別性に問題が引っ張られてしまい、行為や問題そのものがもつ意味が、個別性へと集約されてしまうからだ(「あの法人や代表だったらありうる」等)。

ここでは、経済的下流層への食事提供の事業について触れている。

そのサービスは行政とNPOの協働事業で、一定の額(かなりの額)が法人あるいは「コンソーシアム」に流れ、そのグループが食材を集め(行政の事業費はかなりの額がある割に「寄付」で食材を集める)、食材配達業者が経済的下流層へそれらを配達する。コンソーシアムの各組織は、それぞれ事務局経費等を受け取る。

Twitterなどでは、この事務局経費と食材費のアンバランス(90%以上対10%以下)の不思議さに疑問が呈せられている。

それはそうかなあと僕も思うのであるが、それよりも僕が変だなと思うのは、その食材の「ジャンクさ」だ。

その「宅食」の中身はTwitterなどで写真で紹介されている。そこには誰もが知るスナック菓子が段ボール箱に入っている。レトルトのカレーやそうめん等の乾麺なども入っている。

一見すると箱はそれらの食材で満杯であり、ああこれが貧困層に届けられるのかと納得してしまう。

■ 貧困層のある意味「主食」

けれども、少し冷静になって考えてみると、

「この食材たちは貧困層へのある意味『スペシャルな支援』なんだろう?」と思い始める。

言い換えると、スペシャルということは、貧困層がふだん食べていないもの、ヒレステーキまでとは言わないがせめて暖かいお弁当・新鮮な果物や野菜等などを提供しているんだろ? と思い始める。

けれども、段ボール箱の中にはおいしそうではあるがおなじみのジャンクなお菓子たちが顔を見せている。また、おなじみのレトルトカレーや乾麺が箱の中で鎮座している。

貧困層支援をした者であれば誰でもわかるが、これらの食材は、貧困層のある意味「主食」なのだ。特に子どもたちがそれらをよく食べている。

彼女ら彼ら貧困層の子どもたちは、親が時々食事をつくらないため、コンビニの弁当やおにぎりを食べる。それらがない場合、常備する乾麺を食べる。同じく常備する安いスナック菓子も手頃なカロリー源として機能する。

つまり、そうしたジャンクフードこそが貧困子ども若者の主食だ。

だからこそ、福祉的支援であろう「宅食」には、僕は温かいお弁当を期待したい。現に温かいお弁当を提供する福祉サービスも存在する。

■ 宅食担当の方々、子どもたちに大人への信頼を取り戻しましょう

僕がそうした宅食事業の担当であれば、ジャンク菓子はダンボールには入れない。そんなお菓子やレトルトカレーやうどんやそうめんではなく、ちゃんとした温かいハンバーグや玉子焼きで子どもたちをびっくりさせたいからだ。

その配達は月一でも別にいい。その中身が、ふだんのジャンクではないものであれば、子どもたちが「マジ?」と驚くものであれば宅配の頻度はどうでもいいのだ。

このあたりのサービスの中身を丁寧にしたい。そのサービスを荒っぽくして、しょせん「大人からのこの贈り物なんてこんなもの」と子どもたちにがっかりされたくない。

ふだん食べている、誰もが知ってるあのお菓子やあのお菓子、そしてあのお菓子が、箱を開けたときに出てこないように。

そして、ヒレステーキまでとはいわないが、せめて温かい卵焼きがその「宅食」に含まれているように。

こうしたサービスの丁寧な積み重ねが、子どもたちの大人への「信頼」をつくる。

行政コストカットの新自由主義的サービスはどうしてもその中身が粗くなり雑になってしまう。宅食担当の方々、子どもたちに大人への信頼を取り戻しましょう。