■白い小さな馬

SNSをぼんやり眺めていると、今回の参院選に立候補しているやすとみ氏(あえて政党名も候補者フルネームも書きませんね)の動画がよく流れており、その画面の端っこには常に白い小さな馬が写り込んでいる。

噂の「スリラー」動画でもそうだし普通のスピーチにも、ふとその馬は現れる。

東京の歩行者天国に佇む馬、パッカパッカとゆっくり歩くその姿はユーモアと愛にあふれている。おそらく普通のスマホで撮っている映像ばかりだろうから、残念ながら馬の表情のクローズアップはない。

けれども、その目はほかの馬たちのそれと同じく、慈しみ的な憂いを含ませて、人々と町と、やすとみ氏をみつめていることだろう。

やすとみ氏は HARBOR BUSINESS Online/ライブドア記事で、受験勉強を小さい頃から両親に強いられ、これは一種の児童虐待であり、自分は「虐待サバイバー」だと述べている。

 なので、振り切っていたつもりでいたんですけれども、名前を呼ばれるだけでドキッとしてしまう。本当に驚きました。子どもの虐待は、ふつうに虐待と思っているようなものだけではありません。私の両親は私を立派に育てました。

 京都大学に入って、住友銀行に入って、大学院に入って博士号を取って、東大の教授になるエリートコースに入ったんですが、その私は虐待のサバイバーだと思っています。

出典:れいわ・安冨歩候補が「子どもを守ろう」とだけ演説する理由

受験勉強を子どもの意思に構わず強いる。強烈な押し付けという意味では心理的虐待に含んでもいいかもしれない。記事にもあるが、これを強制していた母親が本人を呼んでいた呼称「あゆむ」を「あゆみ」に変えたあと、人から名を呼ばれてもドキッとしなくなったという。

このドキッと感こそが、PTSDそのものである。やすとみ氏は、強烈な親のしつけ(虐待)をベースにしっかりとPTSDをもち、50代のいまに至るまでそれと向き合っている。

■馬は静かに寄り添う

馬はそんなやすとみ氏に静かに寄り添う。眼の前でダンスグループが「スリラー」を完璧に踊っていようとも、近くに静かに立っている。

この馬の帯同に対して一部からは「動物虐待ではないか」と批判されていたが、演説会場で子どもたちが馬に触り笑顔を見せ、氏も、

「都市は人間がどこをどうするか図面を引いて、つくられ、記号化されている。記号化された都市に人間が排除され、孤独や苦悩の原因になっているんです。ある意味、大自然の代表である馬に触れ、学校や公立公園に馬を置けば、いろんな問題が解決する」

出典:山本太郎代表も仰天!れいわ新選組の安冨歩氏が馬を連れて選挙戦

と反論するなどして、当初の批判はすっかり見なくなった。専門家も数名帯同しているそうだし、まあ、いくつもの動画を見ればこれが動物虐待でないことは明々白々だろう(本人からのコメントは以下もある。やすとみ歩はなぜ馬で選挙をするのか?)。

虐待サバイバーであるやすとみ氏は、上インタビューにもあるように親との交流を10年断絶したまま、という。氏に「アタッチメント」(愛着と訳されるが、「くっつき」等もっと直接的なポジティブなコミュニケーションをイメージしてほしい)が形成されているかはわからないものの、平然と10年交流を絶つことができると言明でするには、よほど被害者体験の自覚がなければ無理だろう。

■「信頼の力」と「愛」は同時進行する

乳幼児から虐待され、アタッチメント形成を放棄させられ、乳児院や児童養護施設で子ども時代を過ごした人は、その後、自尊感情の著しい低さや人とのコミュニケーションの不安定さから、大人になってもたいへん苦労する。

だから「アフターケア」(法的支援が終わる主として18才以降の支援)は重要だ。そして、乳幼児期にアタッチメントが不安定だった人がどうすれば安定できるか、という支援の確立も急がれ、現在も専門家によって取り組まれているだろう。

「哲学」を一応専門とする僕からすると、やすとみ氏が半分無意識的に「動物代表」として馬を選んだように、虐待サバイバーそれぞれが求める「他者」があるようだ。

それは馬であり、猫であり、犬であり、小鳥であり、熱帯魚であり、日本の淡水魚であり、その他さまざまな動物であることも多いだろう。

また、それは、桜であり、薔薇であり、百合であり、ハイビスカスであり、その他さまざまな花や植物であることも多いだろう。

当然、人間もそこに含まれる。

また、映画作品や絵画、また音楽等のアート作品(これも他者である)も含まれるだろう。

この問題を考えるまで僕は、こうした「馬(他者)の愛」的なコミュニケーションは、アタッチメントつまり「信頼の力」(乳幼児期に主として親が子を抱きしめることで、子が他者への信頼をもつ力)を獲得したたあとにやってくると思っていた。アタッチメント→信頼の力→(他者への)愛、という順番だ。

けれども、「信頼の力」と「愛」は同時進行で獲得することも可能ではないかと、アフターケアの段階にいる若者たちを見ていても思う。

またそれが若者ではなく50代の大人であっても、「馬の愛」によって力づけられ、最もパワーを要するはずの選挙活動を行なうことができる人もいる。

猫を撫でる、小鳥にキスする、桜の木の下でコーヒーを飲む、バッハを聴く。そして、安心でき、心地いい親しい人と何気ない会話を交わす。

これら一連の「他者の愛」の長期的な積み重ねが、虐待サバイバーを徐々にリラックスさせていく。

馬という、人によっては「最強の他者」が、常に静かに愛を込めて、やすとみ氏を見守っている。

僕は、やすとみ氏の白馬の目をやはり見てみたい。誰かクローズアップした画像を撮らないかな。そこでは、馬が愛をもって50代のその大人を見つめ包み込んでいるはずだ。その大人も笑顔で見返している。