高校生マザーズ~その声に耳をかたむける

■ハイティーンで母になる人は珍しくはない

だいぶ先の5月の話であるが、僕は「高校生マザーズ」という独自イベントを行なうことにした。

昨年まで「高校生サバイバー」というイベントを5年連続で行なってきたが(であうことをつづけること~「高校生サバイバー」最終回、高校内居場所カフェの真髄)、その続編がこの「高校生マザーズ」ということになる。

ハイティーンで母になる人は珍しくはない。ただ、その困難さと希望について語る議論を僕はあまり知らない。

多くは、経済的下流層、アンダークラスのハイティーンの女性たちが母になっていく。その予期せぬ妊娠について、当事者(妊娠するハイティーン女性)はもちろん、その恋人や家族は、その妊娠の事実をなかなか冷静には語れない。

多くは、その妊娠について否定的に語る。

なぜ「できて」しまったのか。

そもそもお前に育てることができるのか。

出産と子育てはお前が思っているほど甘いものではない。

等々、近親者は厳しく語る。

なぜなら、その妊娠したハイティーン当事者の母(やがては祖母になる人)自身、そうした厳しい言葉に晒されてきたからだ。

貧困と虐待は基本的に連鎖し、その祖母も今もまだ40代であり、我が子を産んだのがハイティーンだったりする。そんな我が子がいつのまにか高校生になり、自分と同じように妊娠し、自分と同じようにハイティーン出産しようとしている。

そんな、母になる我が子(現在ハイティーン女子)に対して、なぜかその40代の祖母予備軍は厳しい言葉を投げかけてしまう。

■自分が受けてこなかった「愛」を、この機会に捧げてみたい

それでも、ハイティーン女子は産む。もちろん近親者たちの厳しい言葉を受けてはいる。

また、その厳しい目は、自分の幼い頃は児童虐待(心理的虐待等)だったかもしれないことも薄々感づいてもいる。

けれども、自分は受けることができなかった「愛」を、やがて生まれてくるこの子に注ぐことができるかもしれないという、ささやかな希望を抱いている。

社会福祉やジャーナリズム本によく出てくる「虐待の連鎖」どころか、その出産以降の「希望」は、その希望そのもので虐待の連鎖を断ち切ろうとする、健気でありながらも力強いインセンティブだ。

それが、ハイティーンで妊娠したという事実をもとに否定される。だが出産と子育ては当然簡単なものではない。けれども、自分が受けてこなかった「愛」を、この機会に捧げてみたい。

こうした根源的欲望に対して、我々は耳をかたむける価値がある。

■タブーだった出来事も含めて、「高校生マザーズ」の声は鳴り響く

高校生マザーズは、そんな潜在的な声を集積したいと考えている。

産むことのつらさ、困難さに加え、産んで新しい生命と共にいる喜びと感激に関して、彼女たちマザーズはどんな言葉を放っているのか。

あるいは、その生まれた新しい命は、やがてどんな言葉を発するのか。

言葉を獲得するまでには数年を要するが、その新しい命は、苦闘する自分のマザーズたちにどんなエールを送っているのか。

そう、赤ちゃんたちは、苦闘する自分の母たちにおそらくエールを送っている。ひそかな「声」は、格差社会に潜在化してしまう高校生マザーズだけではなく、そのマザーズたちが日々抱きしめる赤ちゃんたちにも潜む。

もっと言うと、その高校生マザーズではないにしろ、ちまたありふれて行なわれている人工妊娠中絶された魂たちも、若い母親たちになんらかのかたちで語りかけている。

僕も支援の仕事の中で、そのような人工妊娠中絶を現実に知っているが、消え去った魂は、ここで格闘するハイティーン女性たちをどこからか見守っているような気がしてならない。

そんな、これまでタブーだった出来事も含めて、「高校生マザーズ」の声は鳴り響く。