なぜ若者は「団結」できないのか~総中流時代のあとの階層格差時代

■藤田孝典さんのTwitter

藤田孝典さんのTwitterの僕はファンだ(https://twitter.com/fujitatakanori)。

最近ではいわゆる「バイトテロ」について、「テロ」ったアルバイト若者ではなく、そうしたバイト環境に若者を晒している企業サイドに就業環境や条件の改善を促すツィートをこれでもかと連発する。

僕は見ていないが、NHK「クローズアップ現代」にも出演し、熱く持論を語ったそうだ。

少し前は、例のZOZOTOWNの前澤社長(というか田端信太郎ZOZOコミュニケーションデザイン室長)とTwitterで激しく議論し、ZOZOTOWNの非正規雇用率の高さを問題視している(ZOZOには絶対に前澤友作社長よりもTwitterを休止にした方がいい男がいる)。

お若いのに頼もしい。

そんな藤田氏は、非正規雇用の若者たちについて「団結」を語り、労働組合へのコミットを勧めている。

たとえばこんなツィートで。

非正規労働者4割、ブラック企業正社員4割、日本型正社員2割の日本でブラック企業正社員以下は連携して処遇改善しなきゃね。まともな労働者は少数だから潜在的には仲間ばかり。労働組合に参加して頑張りましょ。疲れるけど。

出典:藤田孝典 @fujitatakanori

あるいは、労働者の「団結」については、やや諦めがちな以下のツィートもある。

労働組合や労働者の団結が弱く、要求も形式的な現代日本ではこの意見も支配的。社会通念のようになっているし、資本家の過度な擁護、へりくだりはトレンドみたい。実害がないなら別にいいけれど、貧困や格差が広がるから容認できない。

出典:藤田孝典 @fujitatakanori

■ネオリベラリズムがソフトなかたちとして生まれ変わり荒れ狂う

資本家や労働者といったワードが若干懐かしいが、新自由主義/ネオリベラリズムがソフトなかたちとして生まれ変わり荒れ狂う(「企業化NPO」はネオリベラリズムの夢をみるか)21世紀ニホンでは、19世紀発祥のこれらの言葉「資本家」「労働者」があらたにクローズアップされるはずだ。

ZOZOやくら寿司的あからさまな「資本主義」(労働者からの露骨な「搾取」)から、ネオリベNPO的一見ソフトではあるがそれはネオリベの行政経費削減+(大企業や有力NPOに有利な)民営化という21世紀的スタイルにズッポリのあり方にいたるまで、「労働者」にはなんとも辛い時代になっている。

だからこそ、藤田氏的直球の議論が歓迎されている。

いまや、労働者の、そしてその多数派である非正規雇用やブラック企業正社員の「団結」が求められている。団結し、労働組合に入り、資本家と真正面から対峙することが。

■「団結しなくてもいい時代」を享受した

藤田氏もツィートするように、それは現代ニホンではしんどい。

労働組合的硬直な組織での「しんどさ」を藤田氏はイメージしているのだろうが、長年「ひきこもり」の若者たちを支援してきた僕は、また別の角度から、「団結」に対するしんどさや困難さを感じる。

それは、過去に「団結しなくてもいい時代」を享受したこと、言い換えると「総中流社会」を一度通過してしまったことが原因なのではないかと僕は思い始めた。

みな、ある程度豊かで余裕があり、そのために団結する必要はなく、個人が自由にふるまい、時には皮肉にまみれた諧謔的な言葉たちを駆使して世相を斬り、そんなふうに世渡りしていたとしても経済的には困らなかった時代。

皮肉に世を嘲笑っても、貧困にはならなかった時代。

それが総中流社会だったと僕は思うが、現在40才そこそこの団塊ジュニアたちがまだ高校生頃まではこの総中流社会の匂いは残っていたはずだ。

その総中流社会の最後期は「ポストモダン社会」などと呼ばれ、「主体の解体」やイデオロギー神話の崩壊などが当たり前のように議論されていた。その時代(90年代前半が最終局面)、もはや労働者や労働組合は「近代」を象徴する終わった言葉として捉えられ、「団結」などありえない行為として捉えるポストモダン好きも少なくなかった(僕もそう)。

■バブル世代が引退し団塊ジュニアが熟年化すれば

そんな時代を一度通過してきた多くの人々にとって、いまさら「団結」は恥ずかしい、できない、無理、自分とは遠い世界、等々で捉えてしまうのではないかと思う。特に、就職氷河期に直撃されワーキングプアのはじまりの世代であった団塊ジュニアたちはそんなふうに捉えているのではないだろうか。

むしろ、団結的社会運動よりは、若き団塊ジュニアを捉えた「新世紀エヴァンゲリオン」的な、自分と世界の境界、そしてそこで出会う「他者」といった、社会運動からは若干ずれた地平での苦悩のほうが、団塊ジュニアたちには響きやすいと僕は感じる。

総中流社会の最後の体験者である団塊ジュニアが非正規雇用やひきこもりの中核世代である限り、僕はなかなか「団結」は進まないのではないかと思う。

だから、総中流社会など知らないもっと若い世代、いまの20才代以下の人たちが30代になる頃、「団結」はもっともっと大きな規模で拡大・現実化していくと予想する。

「労働者」や「資本家」や「団結」を正面から訴えるには、まだ総中流社会の価値を日本社会は残している。僕のようなバブル世代が引退し、ワーキングプアのはじまりでありながらバブルも少し記憶する団塊ジュニアが50代半ばから後半になるでろあろう10年後、「労働者の団結」は久しぶりに(1960年代以来?)本当にリアルになるだろう。