「凸凹」のおかげで、僕たち発達障害当事者が見えなくなる

■発達凸凹

杉山登志郎医師が「発達凸凹(デコボコと読む)」の概念を提示し始めたのは、ある種のネガティブな発達障害イメージが広がり始めた10年ほど前だった。

名著『発達障害のいま』(講談社新書、2011年発達障害のいま 講談社現代新書 著:杉山 登志郎)は2大テーゼから成り、ひとつは児童虐待を起因とする「第4の発達障害」の可能性、もうひとつはこの発達凸凹だった。

この本が書かれた頃、発達障害という謎のショウガイがあり、アスペルガー症候群を代表とする発達障害当事者へのたくさんの誤解が広がっていた。

発達障害の診察の魁であった杉山医師はこの状況に危惧を覚え、「発達凸凹」ということばを生み出したのだと思う。

空気が読めない、言葉の多義性を感覚的にキャッチできない、よくわからないことにこだわる、予定が変わるとそれが些細な予定であってもパニックになる等、発達障害者がもつ生きづらさは、それが診断レベルに達しない人であっても共通してもつ。

だから10年前は(いまもその傾向は残っているのかもしれないが)、誰も彼もが発達障害であるというトークが繰り広げられていた。

際限なく「発達障害」が拡大し、誰もが発達障害となり、たとえば何か犯罪が起きるとそれは発達障害のせいで、その傾向を持っている人はあなたの隣にもいるといった警告がはびこりはじめた。

■凸凹な人々は、そうした説明が上手だった

その状況の中で書かれたのが『発達障害のいま』だった。

実は同書は、もうひとつのテーゼである「第4の発達障害」が主テーマであることは今になってみるとわかる。児童虐待で幼い頃に脳を揺さぶられたりしてダメージを負った人が軽度知的障害的状態に陥るという指摘は、貧困支援に関わる誰もがそれまで気づいてはいたものの、明確に言語化はできていなかった。

それを杉山医師は「第4の発達障害」と明確化した。

おそらく「発達凸凹」は、「虐待が発達障害をつくる」というこのテーゼに至るマクラではなかったのか、と僕は推測する。

が、凸凹のインパクトは強烈だった。

杉山医師の思惑通り、発達障害に凸凹をくっつけることで発達障害グレーゾーンの人々の存在が明らかになった。そのことで、グレーゾーンの人々は元気になり、自分たちの「空気の読めなさ」や「こだわり」が正当化されることになった。

そして、グレーゾーンの人々、凸凹な人々は、そうした説明が上手だった。

自分たちはこれまでこうした特性で生きづらかった。だからここにその辛さの意思表示をする。凸凹も含めた発達障害の辛さを、世間の人たちに知ってほしい。

■凸凹のおかげで、僕たちが見えなくなる

このプロテストは、皮肉なことに発達障害当事者(凸凹よりも明確な発達障害の人たち)を隠すことになったと、発達障害当事者のAさんは僕に語った。

Aさんは40才を超えてはいるが若々しく見え、僕なんかよりはるかに物知りな発達障害当事者だ。誰もが知る国立大学の大学院を出ている。

そんなAさんが、発達障害凸凹の概念のおかげで自分たちが隠されている、潜在化させられていると僕に訴えた。

これは皮肉な事態で、発達障害的傾向をもつため追い詰められる発達障害者+発達障害凸凹者の誤解をとくために生まれた「凸凹」というある種のかわいい言葉は、グレーゾーン=凸凹の人々の生きづらさを多少緩和はするものの、そのことが同時に、発達障害ど真ん中のコア当事者の存在を隠してしまうということだ。

凸凹のおかげで、僕たちが見えなくなる。

そうAさんは熱く語る。

凸凹的グレーゾーンの人々への差別をなくすために生まれた「凸凹」という言葉が、皮肉にも、その傾向のコア当事者そのそものの存在を隠蔽し見えにくくする。

「凸凹」のおかげで、僕たち発達障害当事者が見えなくなる。

と、Aさんは面談室の中で僕に熱くというか、怒りながら語った。