「企業化NPO」はネオリベラリズムの夢をみるか

■医師の「告発」

今年僕は55才になるので、本稿のタイトルがいかにも80年代っぽい(映画「ブレードランナー」の原作タイトルのパロディ)になることはお許しくださいね。

さてみなさま、今年も本欄をよろしくお願いします。

昨年末は有意義な「提言」にたどり着けたものの(であうことをつづけること~「高校生サバイバー」最終回、高校内居場所カフェの真髄ローカリティとは「つながることをつづけること」~ひらの青春ローカリティ3とアンチソーシャルインパクト)、超バタバタと時間が流れたことは否めない。

だから年頭くらいはゆっくりすごそうと思ったのだが、そうもいかなかった。

それは、有名医師によるこの「問い」が大きな原因だ。

年の瀬に怒っていること・NPOフローレンスの寄付集め1

年の瀬に怒っていること・NPOフローレンスの寄付集め2

年の瀬に怒っていること・NPOフローレンスの寄付集め3

長年、特別養子縁組に取り組んできた河野医師が、某有力NPOの「手数料」の法外さについて、ある意味告発したもので、3には、河野医師と有力NPOの「価格」の差が示されている。

また1では、その有力NPOについて実名をあげることについて、ずいぶん苦悩してきたことも率直に述べている。

河野医師(産婦人医)は本を何冊も書いていたり選挙に出馬したりと著名な方ではあるが、一方では国内で賛否のある某ワクチンについて明確に賛成するなど、実に医師らしい規範の持ち主(保守的な価値も有する)である。

その方が、特別養子縁組に関する有力NPOの手数料の高さについて、ある意味「告発」している。

■ボランティア価格では、運動を継続させることは難しい

その有力NPOは誰もが知っている組織ではあるが、ここではその組織を糾弾するつもりはない。

上の、河野医師エッセイ3にある、河野医師料金とその有力NPO料金の「価格差」について、河野医師価格が良心的だと擁護するつもりもない。

河野医師は河野医師の信念に従って、有力NPOは法人内価格基準に従って値段設定しているだけだ。

河野医師はきつめの問題提起としてその料金(3ケタ)を取り上げるが、有力NPOにはそのNPOなりの単価があり、別にあくどいことをしようとしてその価格を設定しているわけではないだろう。

単にその「単価」が、その有力NPOが信奉する経済的価値に従って設定されただけだと僕は思う。

むしろ河野医師が示すような価格基準は、一般的にいって「持ち出し」が多く、とても採算がとれるものではないという判断をしていると予想する。

河野医師的価格は、経済的に困ることが稀な医師には許されるものの、組織として動く民間NPO的基準からするとありえない。そんなボランティア価格では、むしろこうした運動を継続させることは難しく、養親になれるほどの覚悟(経済的なそれも含)を持っている方々からであればいただいても差し支えない。

そんなふうに、有力NPOは考えているだろうと想像する。

■ネオリベラリズムの「夢」は無意識的なもの

少し前に僕は、現在のNPOは、「新自由主義型」と「ローカリティ型」の2種類があるとした(いまのNPOのかたち~新自由主義型とローカリティ型)。

98年のNPO法設立に尽力した松原明氏は、昨年9月の講演レジュメで、このテーマに関して、「企業化するNPO」と「公共的空間志向のNPO」に分け、前者を批判的に捉え、後者を望ましい市民セクターの姿として提示する(岐路に立つ日本の『市民社会』 ~『公共』はどこへ行く?~)。

松原氏のいう企業化するNPOが、僕が当欄で名付けた新自由主義型NPOだと思う。そして、氏の公共的空間志向のNPOが、僕のローカリティ型に近いと思う。

繰り返すが、僕は新自由主義的NPOを否定しているわけではない。それはそれなりの「単価基準」をもち、若いスタッフたちに夢を与えるミッションをもっている。

ポイントは、その単価基準と夢は、戦後の世界経済の大きな流れの中では、80年代以降のネオリベラリズムの中に収斂されるものであると、ネオリべNPOリーダーたちが自覚しているかどうかだ。

僕の観察と分析では、若手スタッフはもちろん、リーダーたちでさえ、自分たちがネオリベラリズム/新自由主義の中で夢見ていることを自覚していない。

新自由主義/ネオリベラリズムとは第一に、行政の組織と財政のスリム化が目的であり、そのために民間が利用される。この、行政と民間の「ウィンウィン」こそがネオリベラリズムのキモとなり、たとえば青少年支援におけるクライエント第一主義は二番目三番目に成り下がる。

それを踏まえた上での、特別養子縁組の手数料3ケタなのだ。

だから、河野医師的「公共空間志向」などは後回しにされる。

繰り返すが、ネオリベラリズムの「夢」は、かなり無意識的なものである。そこにいるNPOリーダーやスタッフたちはネオリペを意識せず、「いいこと」をしている気になっている。

その「いいことの偽善性」(たとえば特別養子縁組での法外な料金)に気づけないという行為そのものが「残酷」であり、格差社会や階層社会における断絶の根源なのだと僕は思う。

企業化NPOの人々がみる「夢」こそが、社会を分断させるのではないか。