いまのNPOのかたち~新自由主義型とローカリティ型

■新自由主義型NPOの「春」

現代のソーシャルセクターは、1.新自由主義型と、2.ローカリティ型の2つに分かれ始めている。

前者はソーシャルインパクト評価に根付く有力NPOを指す。ソーシャルインパクト評価の欠点については、当欄でも何回かとりあげている(数が「ソーシャルインパクト」か?~支援なんて、結局は「偶然の他者との出会い」

つまりそれは、目に見える「数」を短期間で要求し、たとえばひきこもりや虐待サバイバー等の10年単位で支援が成功する人々は対象外となる。

短期間で支援が成功する人々を対象とするため、たとえば若者支援の分野では、大多数のひきこもり的人々が対象外になる。

これは致命的欠点だと僕は思っている。ひきこもり支援や虐待サバイバー支援/アフターケアには、ソーシャルインパクト評価=新自由主義は馴染まない(財政と組織のスリム化がソーシャルインパクト評価の第一の目的であり、まさにそれが新自由主義)。

来年から本格的に導入される「休眠預金」(700億円とも言われる)を活用する事業もこのソーシャルインパクト評価を根拠にするという(「休眠預金」開始!~わかりやすい問題に「カネ」は集まり、真のマイノリティ問題が捨てられる

新自由主義型NPOの「春」がいままさにやってきている。

■ローカリティ型の「発見」

後者は地域密着型であり、具体例としては「静岡方式」(働けない若者の約8割を働く若者に変えた!? 少年院の元教官が教えるウワサの「静岡方式」とは)や、「山科醍醐」(山科醍醐こどものひろば)の取り組みがある。

「田奈高校」や「西成高校」も含むかもしれない(朝の高校に「サードプレイス」はある~西成高校「モーニングとなりカフェ」スタート!)。

ここに、3年前から展開している「ひらの青春生活応援事業」も含んでもいいと僕は思い始めた。

同事業は、高校内居場所カフェの「出口」として、当欄でも以前とりあげた(高校生「出口戦略」は、個別ソーシャルワークだった~「ひらの青春ローカリティ2」報告)。

ひらの青春ローカリティの「ローカリティ」は、グローバリティの対抗軸として僕が持ってきたものだが、よく考えると、グローバリティ/グローバリゼーションとは新自由主義の具体化のことだ。グローバリティは一面では、ドゥルーズのいう 「群れ」やネグリらのいう「マルチチュード」も含む広範囲な概念のため僕は否定しきれないが、それがソーシャルインパクト評価等で顕在化する時、「サバルタン/潜在的当事者」を生み出してしまうという決定的欠点を持つ。

サバルタンを発見したスピヴァク派でも僕はあり、支援者の時はこのスピヴァク派/ポストコロニアル派として僕はある(「当事者」は語れず、「経験者」が代表する~不登校から虐待まで~)。

「潜在性」はドゥルーズの重要概念でもあり、僕としては矛盾はないつもりだ。ひきこもりの潜在性、虐待サバイバーの潜在性等、僕の支援者人生はこの潜在性とともにある。

僕は、新自由主義型を忌避して自分のNPO人生を歩んできたが、気づいてみると、上にあげた地域密着型/ローカリティ型NPOたちとともに常に仕事をしているようだ。

自分と親和性のある地域密着型NPOが、つまりはアンチ・グローバリティでありローカリティ型であると気づいたのはつい最近でもある。

■サバルタンは今日も潜在化する

このように、どうやらいまのNPOには、上にあげた2つのかたちがあるみたいだ。

前者、新自由主義型NPO/NGOはグローバリティ組織らしく、どんどん規模を拡大してる。有力NPO/NGOでは、売り上げ規模が40億円だったり20億円だったりする。

それと同時に、荒っぽいグローバリティらしく、細かな配慮が足りないようでもある。具体的にはあまり書けないのだが、行政への報告を手抜きしていたり、貧困支援と言いつつ内実が伴っていなかったり、いくつかの民主主義的手続きをすっ飛ばしたりしているようだ。

まあグローバリティとはそんなもの。また、売り上げ40億円になってしまば、慣れていない社長(代表理事)であれば、細部を手抜きするかもしれない(熟練の中小企業社長たちであれば手抜きはしないだろうが)。

現代の悲劇は、新自由主義型NPOにおカネが集中するため(寄付金も宣伝上手なこちらに集まりがち)、真の当事者/サバルタンが今日も潜在化しているという点だ。

このことに、新自由主義型NPOリーダーたちは薄々気づいているかもしれない。

だが、億単位に膨れ上がった自分の組織維持が優先になるため、今日もサバルタンは捨象される。新自由主義なリーダーは実はやさしかったりするので、いったん雇用した自分の部下たちを切ることができない(故にサバルタンを生み出し続ける新自由主義事業を続ける)からだ。