幼児を狙う性犯罪のむごさの「根源」

渚とは境界のこと。美しいものでもない。

■なぜ幼児を狙うか

病気と言ってしまえばおしまいだが、なぜある種の男(ジェンダー)たちは、幼児を狙うのだろうか。なぜブレーキがかからないのだろうか。

といってしまってもたぶん仕方ない。それらの男たちは、精神を病んでいると説明するほうがよほど合理的だ。そのこころの闇を分析してもそんなに建設的な答えは見つからないはずなので、「病気」のひとことで片付けるほうが社会のコンセンサスを得ることができる。

ある種の病的男ジェンダーたちは幼女(その病的男たちはヘテロセクシュアルな場合が多い)を狙う。そしてみなさんもご存知のような悲惨な事件たちが数年ごとに起こる。

こうした事件に対して、規範的に断罪してもほとんど無意味だ。

そうした事件を起こす男たちは善悪の彼岸を超えており、自らの暗黒の欲望のままに突き進む。メディアはその犯罪に対して詳しく伝えるものの、犯人/容疑者の欲望の底の底にまでは届かない。

おそらく、当事者自身にも届かない。その黒い欲望は、おそらく「人間」というモラルの外にある。我々が共有したい倫理を前提とした生命体、悪魔ではない生命体、少なくとも善やハピネスが最上段の善と位置づける言葉をもった生命体、という「人間」の位置づけを我々は誰も否定したくない。

幼女をむごたらしい死に至らせるヒトが、普通のニイチャンであることを、誰も認めたくない。あるいは認める人達が一定程度いる社会であると誰もが認めたくない、というやや「メタ社会」な地平で多くの人々は生きている。

■一定程度いつの時代も含まれる

こうした幼児を狙った性犯罪に対する解釈としては、精神医学的な分析がいまは主流だとは思うが、僕は、これはあまり難しく考えないほうがいいと思っている。

つまり、人類の半分を担うオトコたち、オッサンたちのなかには、こうした倫理(「幼児は性対象ではない」)を逸脱する人たちが超少数ではあるものの、一定程度いつの時代も含まれる、ということだ。

オトコジェンダーのなかには、アートほかの素晴らしい才能をもった者も含まれるが、幼児対象性犯罪も罪悪感なく行ってしまう人々も含まれる。

それが身もふたもない事実だと僕は思う。

だから大きな目で見ると「オトコ」は欠陥種だろう。

その圧倒的事実を受け入れると、世の押しの強いオトコたちも多少はマシになるのかな。

幼女を狙う動機についても幼稚というか変態としか言えないものが常に報道される。

それを我々は個別性のなかに流してしまっていいのだろうか。それは、オトコジェンダーの一部が定期的に陥ってしまう暗闇ではないだろうか。

■「オトコとはなにか」

コンサーバティブなフェミニズムではないものの、どうしてもオトコジェンダーのもつ欠陥性から出発しないと、常態として発生する幼女対象の性犯罪は説明できない。

精神医学的な説明など物足りない。

それは精神分析の問題ではなく、欠陥ジェンダーの問題ではないか。つまりは、Y遺伝子に基づいたオトコジェンダーが欠陥をあらかじめ含むということであるが、こうした議論は「人権」的にマズイのだろうか。

ちなみに、ここまで深くは僕はひきこもりの青年たちとは話し込まないのではあるが、ある程度の深度までは話す。

そして話してもなんの問題もない。どのひきこもり当事者も、オトコジェンダーの欠陥性については深く考察している。多くは自分自身の考察ではあるものの、そこから始まって「人間とはなにか」「オトコとはなにか」ということにまで踏み入っている。

踏み入らないのはむしろ支援者のほうだ。