マイルドヤンキー支援者にPTSDアフターケアの気持ちがわかるか?

尊敬するアフターケアゆずりは(国分寺)所長、高橋さんと

■加害者は、未熟極まる人々

子ども時代や10代に受けた傷は、大人になってからうずきはじめる。

というか、大人になってからのそれら傷はしぶとく潜在化していき、症状としてはハードなかたちでは「解離」、よくあるかたちでは鬱状態、生活の状態としてはひきこもり、ちょっと古い用語ではあるが精神医学的状態としてはポーダーライン・パーソナリティー・ディスオーダーとして発現されている。

子ども時代の傷の原因は、多くは児童虐待ということになる。

育児放棄や言葉の暴力のほかに、傷の最大原因としては性暴力や身体的暴力となる。それらを受けた子どもたちは加害者の大人を直接すぐには憎まず、まずはそうした事態をひきおこした原因として「自分」を責めるようだ。

ダメな自分のせいで、大人たちが自分をたたく。よくわからないが変なこと(性暴力)をする。

それらの事象の原因は、まずは「自分が悪い」という解釈がなされる。

人間とは、また、子どもとは健気なものだ。子どもは、まずは目の前の大人を生後10年単位に渡って真似していくことが、子どもという存在の定義の1つだ。

遺伝的特性はあるのだろうが、まずは環境、特に大人たち=親たちを無意識的に観察し真似することで徐々に「人間」になる。

そのことを、虐待する大人は知らない。虐待する大人は、子どもを「小さな大人」「小さな人間」と勘違いしている。虐待する大人には余裕がまったくないため、目の前にいる「小さな人間」を、小さい人間バージョンとして本気で捉えている。

目の前の子どもを、1つの個体、1つの独立した自我、独自の世界観をもった1つの生命体として、本気で捉えている。

フロイトが120年前にすでに例証したように、乳幼児は、「真似する生命体」だ。その笑顔、表情、仕草は、目の前の人間=親と言われる人々のものまねをしている。楽しいから乳幼児は笑っているわけではなく、目の前の大人の仕草を単に真似しているだけなのだ。

それがわからず眼の前の小さな存在を1つの独立した自我として捉え、独立した個として「許せず」、感情的になってしまい、その結果虐待する大人=加害者は、未熟極まる人々だ。

■嘘をつく、ズル休みする、裏切る

そんな未熟な大人にたたかれたり性暴力をふるわれたりしてきた人々は、「大人になってから」、そのPTSDの症状が現れる。

が、現在の法システムでは、18才で行政支援は離れていく。PTSDの諸症状(上に書いたようにいろいろなかたちで発現)は、むしろ大人にななってから現れる。

その諸症状の結果、時には、

嘘をつく。時には、

ズル休みする。時には、

裏切る。時には、

一切コミュニケーションを遮断する、ひきこもる。時には、

甘える。泣く。叫ぶ。

そうしたもろもろの表現が、PTSDということである。解離(自我遮断的意識もうろう状態)的わかりやすい状態も時としてあるが、多くは自意識の乱れ的な態度としてそれは発現する。

その理由はもちろん、幼少期に暴力的に当事者を襲うPTSDだ。

フロイトはこれを「ヒステリー」としたが、現代の精神医学ではPTSDと言い直されている。だが、PTSDは常に誤解をうみ、その治療者や患者は保守的人々から攻撃される。

PTSD患者が訴えるトラウマは嘘であり、嘘は言い過ぎかもしれないが「盛っている」のではないかと。

事実としてはもう少しゆるやかな事態(たとえば身体的暴力ではなく心理的暴力=言葉の暴力←被害者的には、言葉も立派な暴力であるとともに、事実として実際は身体的暴力があること多い)ではないか、その証言にどれだけの信憑性があるか、と保守主義者や規範主義者は反論を並べる。

■『ヒステリー研究』と『心的外傷と回復』を読め

レイプという言葉自体が強烈過ぎて、その言葉を使うことですぐに二次被害につながるため、僕はその使用をためらう。

だから、その言葉をセカンドレイプとして使うのは今回きりにしたいのだが、盛るとか盛らないとかはどうでもよく、リスクをかけて被害者として名乗り出ることを考えると、トラウマを引き起こしたなんらかの「力=暴力」があったということは立派な事実である。

だからこそ、世間に疑われるような様々な諸症状(感情的大ブレ、嘘、解離等)が出てしまう。

PTSD被害者は、被害者として名乗りでることが相当のリスクを伴う。それをあらかじめ覚悟した上で、当事者は名乗り出ている。

そう、行政の保護年齢(18才)を過ぎたあと(以降をアフターケアという)、当事者がなんらかの保護を受けたい場合、まずはPTSD当事者としてカムアウトする必要がある。

それは酷すぎる。

そうして、微妙な状態を日々表現する当事者を、それに上塗りするようにして、責める素人支援者が存在する。

それは多くの場合、マイルドヤンキー的人々であり、善意で福祉業界に入ってきている。

そのこと事態には敬意を払いたいが、残念ながら専門知識がないため、PTSD当事者の態度に対して、

甘えている、とか、

気合が足りない、などと指摘する。

そう言いたい気持ちは推察できる。が、そうした言葉や態度は、あまりにも専門知識がなさすぎる。

いまのところ、マイルドヤンキー支援者にはPTSDアフターケアの気持ちがわからない。

だから、マイルドヤンキー支援者たちは、すぐに支援業界から退場してほしい。あるいは、フロイトの『ヒステリー研究』とハーマンの『心的外傷と回復』をすぐに読んでほしい。