止まって暗黒になる~PTSDの大人

アスカも綾波もPTSD(山陽新幹線で)

■そのこと(虐待)を通過した大人たち

児童虐待に関する事件報道は日常化した。ということは、その被害者は日々生産されており、その経験者は次々と大人になっているということだ。

だが、日々の報道に晒される我々としては、今日このときの被害の出来事のほうにどうしても焦点化しがちで、そのこと(虐待)を通過した大人たちに対しては、配慮が後回しになる。

だが、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の古典である『心的外傷と回復』によれば、フラッシュバックはいくつになっても元当事者を襲う。50才になっても60才になっても、あるいは死の間際までもそれは経験者を突然襲う。

だから、大人になったといっても事態をそれほど軽く見ることはできない。

現在、「アフターケア」の重要性が問いかけられているのはそうした事情からだ(たとえばこの「アフターケアゆずりはHP」参照)。

社会的制度の構築はこれからやっと始まるのだろうが、そうしたアフターケア施設が整えられたとしても、虐待被害者の永続的苦しさは別の次元で続く。

それは、フラッシュバック的わかりやすい事態が迫ることでもあるだろうし、親(加害者)に頼ることのできない経済的問題として現れることもある。

PTSDの諸症状(境界性パーソナリティ障害的な)を起因とする、人間関係の構築の難しさもあるだろう。

僕の支援経験では、安心できるパートナーと出会うまでその彷徨の旅は続く。実際パートナーと出会っていたとしても、パートナーが安心できる大人になるまで10年以上の月日を要することもある。

けれども、そうしたパートナーを時間をかけてつくることができた当事者は、ある意味ラッキーだ。

■当事者はもっと自分に戸惑う

あからさまなフラッシュバックはなくとも、経済的支援を求めて、当事者はさまよい続けることも多い。

その時出会う人々の何気ない仕草や言葉かけにより、傷つく、フラッシュバックに襲われる、解離状態となる等のPTSD特有の症状に襲われる当事者も珍しくはない。

その時、目の前の光景と将来が真っ黒になる。

よくわからないがいつものフラッシュバックが本人を遅い、絶望的気分になり、そのとき言葉は見つからず震えるだけになる。自分が自分である根拠が喪失し、精神医学的には解離と呼ばれるようなブランクな状態が訪れる。

そして、まわりを巻き込んだり、どこからか飛び降りたり、歩道から飛び込んだりする。

このような「とまる」事態は、僕も支援者としてこれまで時々出会ってきたが、支援者としてはどうしようもない。

その結果を聞き、受け止め、黙って寄り添い、必要な行動(社会資源を発見し行動するソーシャルワーク)をとるしかない。

時として、こちらもブランクな状態、真っ白な状態になる。

僕のような支援者でさえ、こんな感じだ。

だから、当事者はもっと自分に戸惑っている。その症状により、すべてが止まる。暗黒になる。

■こうした人々が、次々と大人になっている社会が、我々の社会

このことを、日本社会のみなさんには知ってほしい。虐待サバイバーがトータルで何万人何十万人いるのかは僕にはわからないしこの問題に限ってはマスの数字は僕には興味ない。

児童虐待は毎日起こり、被害者の子どもたちは毎日創出される。

このことは最低最悪ではある。

が、こうした被害にあった人々、運良く大人になれた人々(虐待サバイバー)も、日々日常をサバイブしている。

そのサバイブする日常では、上に書いたようなブランクでありつつ暗黒な瞬間が遅い、サバイバーの大人たちを追い込んでいる。

また、追い込まれながら、フラッシュバックに襲われながら、ブランクで暗黒な視界に晒されながら、当事者たちは嘘をついたり皮肉を言ったりする。

弱者は、絵に描いたような弱者であることはない。マイノリティはいつも嘘可能性を秘めている。ひねくれている。

それが、「人間」でもある。記憶が止まり、視界が暗黒になり、嘘をつきひねくれる。そうした状態の総合が、虐待サバイバー、「究極の当事者」でもある。

こうした人々が、次々と大人になっている社会が、我々の社会だ。