やせ細る中流層が自らの立場を守るために、「日本の下流」を再構成する必要がある

18才以上虐待サバイバーを支援する「ゆずりは」(国分寺)さんのジャム。美味しそう

■中流層がイメージする貧困は、現実の貧困像とはズレている

少し前までは、非正規雇用労働者が4割になり日本もついに階層社会となった、という議論が盛んだったものの、最近は「働き方改革」や「子ども食堂の充実」といった、社会の構造問題というよりは、目先の人々の生き辛さの問題に議論がズレてきているように僕は感じる。

働き方にしろ子ども食堂にしろ、それは実は「中流階層」の問題で、言い換えると、「正社員」の労働問題であり中流層の文化の捉え直しだと僕は考えている(「貧困コア層」は存在するのか)。

中流層が、自分たちのアイデンティティを確立するために、実態とは少しズレた下流階層のイメージを創造し、そこに向けてアプローチしているのが、現在の子ども食堂の姿のようにも感じている。

子ども食堂を運営するのは、中流層NPOが中心だと思う。上引用記事にも書いたが、子ども食堂がもつ2つの機能(貧困支援と地域コミュニティ再生)のうち、結果として地域コミュニティ再生になってしまうのは、子ども食堂を中流層が担う以上仕方がない。

ポイントは、実態は地域コミュニティ再生でありながら、そこに貧困支援も重なっていることだ。だが、現在の子ども食堂には貧困コア層は近寄らず、地縁のある「下流上部層」が利用する。

そこを突破口として、中流NPOたちは、自分たちがイメージする「貧困」を描き、確定する。

その、中流層のイメージの中の貧困は、現実の貧困像とはだいぶズレていることもあるだろう。現実の貧困は、人間存在のリアルさ、生の美しさと醜さをあからさまに体現する。それは、ドストエフスキーの名作群に出てくる人々と150年たってもあまり変わらず、美しさも醜さもすべて包摂して、「人間らしさ」を放射する。

■侵略ヨーロッパ人にとって、紋切り的アジア人イメージが必要だったように

が、中流NPOが抱く貧困イメージはドスト的ギラギラ感からは少しズレ、「清貧」的でけなげで美しさ100%的なものに収斂される。

現実の貧困は、というか経済的に苦しい人間たちは、中流NPO職員若者たちが描くような清く美しい人々ばかりではない(そんな人も当然いる)。当たり前だが、もっとドロドロしている。

この仕組は、サイードのいう「オリエンタリズム」のメカニズムであり、権力側(サイード分析であればヨーロッパ人、現代日本であれば中流層)が自らの立場を確定するためにある種「捏造」したものだ。

侵略ヨーロッパ人にとって、紋切り的アジア人イメージが必要だったように、やせ細る中流層が自らの立場を守るために、「日本のアンダークラス」を創造する必要がある。

そして、地震が日常的な日本にとって、このオリエンタリズム的志向は得策だった。

地震支援で成功した方法を、貧困支援にも応用できると自然に発想・発信することができた。地震や貧困といった個人ではどうしようもできない出来事に関し、その被害者はどちらも被害を受けたという点で同じだとするアピールができた。

が、当欄でたびたび触れているように、地震と貧困は違う。地震による不幸はすべての人をほとんど平等に襲うが、貧困による不幸は一部の人だけを差別的に襲う(貧困と虐待は「平等な不幸」ではない)。どちらもアンラッキーではあるものの、貧困に関しては4割の下流層だけを遅い、その結果として児童虐待等の悲劇をつくる。

■大規模NPOの真の欲望はどうやら自団体の拡大のよう

同時に、中流層は、貧困コア層を見つめないほうがメリットがある。

たとえば、子ども食堂や学習クーポン支援をするNPOからすると、当欄でも度々触れる「貧困コア層」にアプローチするには多大なるコストを要する。そのコストは、時間と人手が必要な割には、行政が求めるような結果はなかなか出ない。

これらの大規模NPOからすると、その真の欲望はどうやら自団体の拡大のようであり、貧困コア層へのアプローチはその問題に気づいているのかどうかはわからないものの、二次的な問題のようだ。

オリエンタリズムのメカニズムの中で、「貧困層とはこんな感じ」と位置づけ、その位置づけた中の対象者に特定して支援することで、自団体の拡大も図れるし被対象者もメリットがある。

このような、オリエンタリズムメカニズムと、自団体拡大欲望がタッグを組んで、どうやら「貧困コア層」が潜在化させられているようだ。

これは誰も悪いわけではなく、「マイナー」問題の必然的帰着なんだと思う。だが、関係者はこの必然的帰着を意識した上で、それぞれができることに向かっていってほしい。