祭と文化がPTSDを軽くしていく

七夕ではないが、少し前の高校内居場所イベント「高校生サバイバー」でのメッセージ。

■PTSD

昨日、釜ヶ崎支援機構という大阪では有名なNPOの事務局長である松本裕文さんと話していて、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を軽くするための2つの方法について議論したので書いておく。

PTSDになる原因は4つほどあると言われており、それは、1.戦争、2.災害、3.事故、4.虐待+DVだ。それらは突然我々を襲い、多くは一生引きずることになる(この記事参照→死の床にまで襲うフラッシュバック~18才以降のPTSD)。

それに対しての治療法はたくさん開発されているみたいだが、古くはフロイトによる精神分析的傾聴+原因特定と認識、新しくはJ.L.ハーマン『心的外傷と回復』にある「安全の確保→想起→それの葬り→再結合→グループによる癒やし」などがあるだろう。

最新の心理療法にはもっと専門的なスキルがあると思うが、最近の僕は不勉強でここに記す力はない。

ただ、種々の心理療法は、被害者=クライエントのがんばりに期待するという立場だと思う。外傷の受け入れにしろピアサポートにしろ、当事者が自覚をもって臨むことが前提だ。これは心理療法の限界だろう。

松本さんがいうには、こうした人為的な支援システムではなく、自分の痛みを「外」に預ける方法があるという。

それは、「祭」的祝祭であったり、「お盆」的季節の行事なのだそうだ。

そうした社会が設定するイベントに乗っていくことで、痛みを「外」に預ける。またそれら祝祭イベントは毎年の行事であるため、毎年痛みを祝祭の中に埋め込む。あるいはその祝祭に自分を預けきることで、痛みを忘れる。

■繰り返し(反復)が、人々の傷をどこかにやる

その絶え間ない繰り返し(反復)が、人々の傷をどこかにやる。あるいは薄めさせる。狂乱の忘却により、痛みが徐々にどこかに消え去っていく。

フロイトであれば、PTSDの原因である「出来事」とその封印は、「抑圧」であり、「不気味なもの」の創出であり、「ヒステリー」の原因として簡単に退けられるだろう。

またデリダであれば、これは「幽霊」であり、「差延」の始まりであり、脱構築により決定するための「他者の声」となるだろう。

僕はフロイトもデリダも大好きだけれども、松本さんのいう「祭」に自分を一時的に預ける、という話は、PTSDの緩和にはかなり効果があるのでは、と直感的に思う。

重い痛みをいったん「外側」に預けて、その外側が創出する祭に身体をさらに預ける。痛みも身体も「外」に一時的に追いやる体験をしてみる。そしてそれを毎年反復する。

たとえば、僕の法人が運営する「高校内居場所カフェ」において、「文化による支援」というものに力を入れている。

その文化とは、七夕や文化祭、クリスマスといったありふれたものだ。あるいは、生徒たちの個人的イベント、「誕生日祝い」なども行なう時がある。

こうしたありふれたイベントを、そもそも生徒たちは体験したことがないという点もあるのだが(だから誕生日ケーキなどで涙が出る)、たとえば七夕イベントでの「短冊への願いごと」などは、意外に豊かな言語表現が見られる。

■自分を「投げ出す」

こうした「祭」的イベントに毎月、毎年自分を「投げ出して」いくことで、トラウマを薄める。心理療法的自助努力ではなく、外や社会の力や勢いによって、内側の傷を薄めていく。

それは当然時間がかかる取り組みではある。が、何よりもそこには治療や責任といった「重さ」がない。毎月・毎年の体験の積み重ねの中で、重いトラウマを薄めていく。これはなんといっても「自然」だ。

これに加えて、少し前に当欄で言及した「安心できる他者」の育成と創出により(下流層の若者は「安心できる他者」になれるか~虐待を越えて~)、PTSD当事者はゆっくりと、十年二十年単位で「軽く」なっていく。

そういう意味では、高校内居場所カフェにおけるさまざまなイベントも、ある種の治療効果として再発見できる。また、イベントまでいかなくても、ロックミュージックや美味しいドリンク類などの文化体験が、一時的に「祭」を創出し、傷ついた子どもたちの苦悩を「外側」に追いやってくれるかもしれない。