「貧困コア層」は存在するのか

高校内居場所カフェのOGOB会で作ったカレー。みんな社会人になっても苦闘する。

■子ども食堂が2200

今年もまた僕の法人ではクラウドファンディングにチャレンジすることになり(西成高校で1年中「モーニングとなりカフェ」を開きたい!)、高校生居場所カフェの資金集めにがんばっているのだが、インターネットを通して日々活動報告をするなかで、「子ども食堂」に関するこんなプロジェクトに出会った。

それはあの湯浅誠氏が中心になっているプロジェクトで、全国で2200個所を越えた子ども食堂(の一部)に「保険」をかけるのにご支援くださいというものだ(全国のこども食堂を安心・安全な場所に こども食堂の保険加入をすすめたい!)。

その趣旨は僕も賛成なのだが、「あれ?」とは思う。確か湯浅さんは、子ども食堂には貧困支援とコミュニティ再生の2つのオーダーがあり、現在は後者が中心だが前者も忘れずに、と冷静に語っていたはずだ(「おとなをパチンコに行かせない『子ども食堂』」を)。

が、プロジェクト紹介の記事を読んでいても、どことなく地域コミュニティ再生のほうに力が入っている。

けれども、子ども食堂が2200個所を越え、そのほとんどがボランティア的に主催者が行なっていると想像すると、湯浅氏がまずは地域コミュニティ再生としての子ども食堂を応援したくなるのもよくわかる。

■地縁と文化的幅

が、やはりポイントは貧困支援だろう。

もちろん現在の地域コミュニティ再生としての子ども食堂にも、経済的下流層の子どもたちはたくさん利用していると思う。

だがそれは、子どもたちの親に地縁のようなものがあり(親たち自身にもそうした地域施設の利用経験がある等)、また子ども食堂主催者側も、そうした親たちと子どもの頃からのつきあいだったりする。つまり、地縁だ。

また、親が現在は非正規雇用で収入が低かったとしても、その祖父母世代は中流層でありその存在が経済的セーフティーネットになっているといった下流世帯もある。そうした世帯は、子ども食堂的「文化」を比較的受け入れやすい「文化的幅」をもっている。

これらは、グローバリゼーションに呑み込まれてしまった日本経済のなかで仕方なく経済的下流層に入れ込まれているが、地縁と文化的幅により、子ども食堂的社会資源とつながりやすい。

これは、学習支援や塾クーポンなどにもいえ、そうした地縁と文化的幅のある下流層がそうした社会資源とつながりやすいのは確かなようだ。

■ 「私の支援している人々の中には学習支援を受けている人はいない」

が、我が国の経済的下流層は全体の4割を占め、その全体が、子ども食堂や塾クーポンにつながっているとは僕にはとても思えない。

僕の知り合いの児童相談所職員は、ある公的な会合の中で、「私の支援している人々の中には学習支援を受けている人はいない」と断言した。同じようなことは、児童虐待の現場で仕事をする行政や社会福祉法人の方々から時折聞く。

自分が日々接する「しんどい人たち」は、子ども食堂とか塾クーポンのことは知らないし、知っていたとしてもまったく興味を示さないだろう、と。

それは僕も同じで、ここ数年、貧困支援のなかで接してきた当事者たちは、子ども食堂や塾クーポンのことは知らなかった。

また、知っていたとしても、自分たちとは「関係のないこと」と皮肉な笑みを浮かべるだろう。

中流層の文化的「違う」人たちもいるそんな窮屈な場所でごはんをもらわなくても、我慢するか友達にもらうか昨日のパンをかじればいい。

また、まわりの大人には別に勉強しなくても立派に稼いでいる人がたくさんいるから、あんなめんどくさい「勉強」なんて、そりゃ必要だろうけど、自分にはムリ。

等、そこにはアンビバレントな思考はよぎるものの、基本的に自分とは「関係ない」。

それよりも、親の無茶苦茶さ(ゴミ屋敷・感情的大ブレ・ギャンブル/アルコール依存、夜遊び等々)をなんとかしてほしい。また、自分以上に子どもっぽい彼氏、時たま暴力も振るう彼氏もなんとかしてほしい。

そんなことに、そうした人々は日夜悩み、LINEやツイキャスを用いてディープな人間関係の中で愚痴を吐露する。

■下流層の二層構造

子ども食堂に近い下流層もたくさんいる。

が、子ども食堂と塾クーポンが、アンドロメダ星雲以上に遠い下流層もたくさんいる(と僕は推察する)。一方は子ども食堂の常連であり、一方はアンドロメダ星雲よりそれは遠い。

となると、これは下流層で二層構造が現在形成されており、一方は「経済的下流上部層」、一方は「経済的下流下部層」の2つに別れ始めているのではないか。

そしてこの後者を、僕は「貧困コア層」と呼び始めており、哲学者スピヴァクがインドの階層分析で名付けた「サバルタン」が、いよいよ日本にも登場してきたのだと実感する。