劣等感は美しい~ひきこもりの新しいフェーズ

元祖ひきこもり志賀直哉『暗夜行路』舞台の大山。同作ラストは圧巻のポジティビティ。

■メディアがうっとおしい

年度末になっても僕は相変わらずあちこちから講演に呼ばれていて、先日訪れた某都市での講演のテーマは「ひきこもり」だった。

ひきこもりは、高齢ひきこもりや「8050問題(親80才、子50才)」もあって再び熱い問題として注目され始めている。

そこで言われることはだいたい暗い論調で、またその暗さを後押しするような事件(高齢親とその子の「餓死」的事象)も後押しして、「このままでどうなるのか」的当事者たちを追い込むメディアの切り口が僕にはうっとおしい。

確かに暗い事件はある。そしてそうした論調に乗らされてしまい、親たちは心配している。ひきこもり当事者たちも暗い気持ちかもしれない。

けれどもそれとは別の流れで、高齢ひきこもりたちはどこか落ち着き始めている。

僕のこの記事にも書いたように(ひきこもりはやさしい~新しいフェーズ)、団塊ジュニアを中心とする当事者たちが40才を超え始め、ひきこもり当事者や経験者たちがどこかで「のんびり」し始めている。

ひきこもり的傾向は若い頃とあまり変わらないが、どこかで余裕が出てきている。どこかで、独特の癒やし感というか、なごみ感というか、あきらめ感というか、彼女ら彼らだからこそ醸し出すことのできる独特の優しさを発揮し始めている。

■劣等感はある意味ポジティブ

そこに自信をもってほしい。

で、先日某都市に呼ばれて行なった「ひきこもり」講演会で、ひきこもり経験者の方からこんな質問が出た。

「自分はひきこもりを経験してきて、いまはなんとか社会に参加しているのですが、どうしても劣等感というか自信のなさから抜けることができません。どうしたらいいんでしょう?」

僕は、またか、と思った。その方の醸し出す優しさ、なごみ感は、一言質問を聞くだけでも十分わかる。それだけでその方は十分まわりの人々に役立っている。

その方の具体的な仕事や生活の状況は僕にはわからない。けれども、ひきこもり経験者のもつ独特の「強さ」の空気は発揮している。

僕が答えたのは以下のようなことだった。

「劣等感もそうですが、人間がもつさまざまな一見ネガティブに捉えられるふるまい、憎しみだっり妬みだったり悔しさだったり涙だったり怒りだったり、一つひとつ見るとたしかにネガティブではありますが、そうした感情こそが『人間』そのものを表す事象だったりします。それらの感情を差し引いてしまうと、ある意味人間らしさがなくなる。だから、それらの感情を全面展開しなくてもいいにしろ、そうした感情を抱えていることそのものは『美しい』と僕は思います。たとえばドストエフスキーの小説に出てくる人々はそんな人ばかりで、あれらの小説からそんな感情たちを差し引くと、まったくおもしろくなくなる。だから、劣等感はある意味ポジティブなんですよ」

■ルサンチマンを発見したニーチェこそがルサンチマンの塊だった

そう、劣等感は美しい。そして、そうした劣等感を40才を越えても抱き続けることも、その方を魅力的にする。劣等感といつも向き合い、そのことに悩み、それを他人と共有し、一人になった時は頭を抱える。

そうした事態全体が、その方をその方として魅力的にしている。劣等感に悩み続けることがその人をその人として魅力的にし、若い人々を勇気づけたりする。

逆に言うと、いつでも自信満々な人のほうが奇妙というか嘘っぽい。

劣等感やルサンチマンは、人を魅力的にする。ルサンチマンを発見したニーチェこそがルサンチマンの塊だったと僕は思うが、そのニーチェの思想は21世紀になっても輝き続けている。

高齢ひきこもりとは、劣等感に象徴される一見ネガティブな人間の感覚を、それは決して負の感情ではなく逆に人間的魅力であるのだと、その「生」そのもので実証してくれる生き方である。

そんなことを確信した先日の講演会だった。