■時々「妊娠」や「中絶」に出会う

ひきこもり支援中心だった6年前より以前は、僕は、「妊娠」について考えることはほとんどなかった。

が、いまの法人(officeドーナツトーク)をつくり主軸を貧困や虐待支援に変えてからは、時々「妊娠」や「中絶」に出会うことがある。

当然個々の事例はここでは書けないものの、妊娠や中絶という局面に臨む10代たちを見ていると、「ああ、セックスと妊娠はやはりストレートにつながっていないんだなあ」と毎回考えさせられる。

それは通常、10代の知識のなさや性欲の衝動性等で説明される。

また、軽度知的障害の当事者のあり方もそこには絡み、本人たちの理解力の弱さなどもそうした説明に加わるだろう。

そもそも妊娠の仕組みや排卵日の意味などが、説明を聞いてもわからない人々がいる。それは明らかに知的障害ではないのだが、軽度と呼ばれる知的障害であっても、生理日や排卵日等の「数学的」仕組みを理解するためにはそれなりの理解力が必要なのかもしれない。

またそこには、「倫理」のもつ力の弱さも絡んでくる。

当事者たちが軽度知的障害をもっていようがもっていなかろうが、セックスの途中に「倫理」(経済力のない人は子をつくるべきではない)の声は鳴り響かないようだ。

子をつくるかつくらないかは、どちらかというと「規範」的幅広い社会的決め事というよりは、そこに生死の問題が絡むため、それは「倫理」といったほうがその行為の意味に近いと思う。

■一般的な妊娠はあくまでラッキー

一方で、妊娠できないカップルもたくさんいる。

その一部は不妊治療に向かっているのだろうが、それらの記事を読むと、相当つらい日々が待っているようだ。

そうした、子どもが是非ともほしいカップルからすると、10代の間で普通に行われている中絶などは別世界の話だろう。不妊カップルの地平からは10代中絶は完ぺきに遠い。

が、不妊カップルが願いイメージする「妊娠」は、10代貧困カップルがまったくイメージできない妊娠とは違い、ある意味「理念的」だ。

苦しい不妊治療の先に待つ「妊娠」は、10代貧困カップル的「突然やってきた想像できないもの」というよりは、「希望の先にある救い」のような、これまた抽象的なものでもある。

毎月毎月不妊治療に臨むものの、多くは現実化できない。その「失敗」の行為の連続が、妊娠をどんどん理念的に押し上げていく。そこでイメージする妊娠・出産・育児はどのようなものだろうか。

10代妊娠は、妊娠行為の周辺をそもそもイメージできない。対して、不妊カップルは、妊娠を希望の先にある理念的存在へと押し上げていく。

一方は衝動的すぎ、一方は理念的でありすぎる。

いずれも、「リアル」で「一般的」な妊娠から遠い。リアルで一般的な妊娠は、いきなりやってくるものでもなく(排卵日等夫婦は計画する)、高額な治療費を出して行なうものでもない(だから、一般的な妊娠はあくまでラッキー、ついている)。

■セックスは欲望を土台にした「イマージュ」で成り立つ

いずれにしろ、妊娠に伴う「いのち」、つまりは赤ちゃんに対するイメージはないか(貧困10代)、理念的に極端に高められている(不妊カップル)。

ここでも、赤ちゃんというリアリティーが、ふたつのカップルでは、ないか抽象的だ。

不妊カップルはここではおいといて、僕も仕事でかかわる10代貧困カップルはなぜ「セックスと妊娠と出産と赤ちゃん」がダイレクトにつながらないのだろうか。

それは、軽度の知的障害や、「青春の疾走」だけで説明していいものだろうか。

これらの不思議さを言い換えると、なぜ我々は妊娠・出産のような「いのちのやりとり」を、日常の生活とかけ離れたもの(ダイレクトにつながらない/理念化しすぎる)として位置づけるのだろうか。

言い換えると、それ(妊娠・出産)は、なぜ、実際に経験して初めてリアルなものとして現れるのだろうか。

さらに言い換えると、なぜセックスは妊娠・出産と結びつきにくいのだろうか。セックスという行為と、妊娠・出産といういずれもリアルすぎる行為が、くっつかないのだろう。

それは、セックスが欲望を土台にした「イマージュ」(想像性)から成り立つもので、妊娠・出産にはそうしたイマージュは不要だからなのだろうか。

■「赤ちゃん」は想像できない

我々人間には、リアルとは別次元のイマージュをしっかりつかまえないと各々の性欲が起動しないという、矛盾がある。想像性というイマージュあってこそのセックスなのだが、その非リアル性と、妊娠・出産に伴うリアル性は基本的に相容れない。

だから規範から遠い一部の貧困10代は、自分たちのイマージュの中で生きて実践する結果、妊娠してしまう。

その先に待っているリアリティ(妊娠・出産)の実感は、イマージュの中に溶け込んでいる時には当然実感できない。

妊娠したあと、妊娠・出産についてのリアルな話を大人たちから聞いても、無言か泣くのみだ。

我々そうした10代とかかわる大人は、規範(「経済力ない者は妊娠してはいけない」)もリアル(妊娠・出産にはこれだけの痛みと経済的支出が必要)も当事者たちには伝わらないことを知る必要がある。

何しろ、超イマージュ(エロス)の先に超リアル(妊娠・出産)があるとは、誰からも徹底的に教えられていないし、たとえ聞いていたとしてもなぜか自分に入ってこなかった。

それよりも、相手の息遣い・肌の温かみ・感触・ゾクッとする感じ・人によってはエクスタシー等で成り立つセックスのイマージュの強さが若い人には強力だ。

また、「赤ちゃん」というリアルが何より遠い。これは不妊カップルにもある意味共通するが、赤ちゃんという存在は、想像力では補えず、目の前に現れて初めて実感できる存在だ。

この点(赤ちゃんは想像できない)も大人たちは伝えるべきかもしれない。★