性知識のなさは、下流ハイティーンにとって「愛のあかし」になる

■性教育の歪み

この前、いつもどおり自分のFacebookタイムラインをチェツクしていたら(僕のFacebookはほぼニュースビューワー)、性教育に関するこんな記事が出ていた。

コラム一覧 著者一覧 紙面 アイドル動画への書き込みで判明 若者の性知識が歪む理由

驚くほどいまの若者の性知識が貧弱だということを嘆く「おじさん記事」なのだが、読んでいると確かに心配になる。けれども僕自身、学校で性知識をフォーマルに学んだ記憶はあまりなく、女子たちは女子たちだけ対象にいろいろ教えてもらっているように感じたが、素朴なウドン県(香川)の中高生男子だった僕は、コンドームの付け方等の直球の性教育はほとんど受けた記憶はない。

これは現在53才の、いまから40年も前の記憶だ。

だから公教育なんてそんなものだろうと思っていたもののの、一方でよくわからないけれども排卵日等の科学的知識は中学時代に学んだ気もする。そして、当時発行されていた『中1時代』等の雑誌(いまもあるのかな)でイラスト付きで妊娠の仕組み等が解説されていたため、よく熟読していた。

本を読まない僕の両親だったが、仕事のつきあいで図鑑20冊セットとかこの手の旺文社・学研系の雑誌は家に毎月届いていた。それらの購読は小学低学年から始まっており、中学になってそれら雑誌に性知識が掲載されるようになっていた。

僕の実家はおそらく貧困世帯ではなかった。が、両親の子どもの頃(戦後すぐ)は国民全員貧困であり、本も読める環境にはなかった。その意味では、「貧困の連鎖」という点から見ると、一億ほぼ全員貧困だった敗戦直後の人々が「なぜ連鎖しなかったのか」という問いはおもしろい。

国の経済状態(高度成長が日本を救った)と家庭内貧困連鎖は露骨につながるという身も蓋もない結論がそこにはあるが、そう考えると、富めるものが潤うという現在の経済政策では貧困連鎖は断つことはできない。

■この 20年は子ども若者への性教育が停滞してきた

そんな思いを抱きながら上の「若者の性知識が歪む理由」記事を読み、それに短いコメントをつけたところ、あっという間に50いいね! を超えた。最近の僕は、ウケ狙いのコメントはやめ、あえてマニアックなコメントをすることにしているので、いいね! 数が伸びるのは珍しい。

珍しいなあと思いつつ、自分のタイムラインにこんなニュースも流れてきた。

避妊を教えた教師がクビ なぜ日本の“性教育”は進まないのか?

ゲストの産婦人科医にややポリティカル・コレクトネス臭(マイノリティへの過剰で硬直的な配慮をする結果、その言語世界が狭くなり自由でなくなる)を感じるものの、そこで扱われる問題は最もだと感じた。

たとえば、授業で「セックス」という言葉を使えない、避妊の強調が性乱用につながる誤解を与える、アダルトビデオが教科書化した結果女性の身体に危険が迫っている等、いつの時代だ? と勘違いしてしまう事例がたくさん述べられる。

上の「性知識が歪む理由」記事と合わせて読んでいくと、この 20年がいかに子ども若者への性教育が停滞してきたかが察せられる。

■「嫌われたくない」ために

僕が、不登校ひきこもり支援から貧困虐待支援に少しスライドしたここ数年で聞く範囲でも、望まない妊娠の背景にある驚くほどの性知識の無知というのは感じる。

僕がコンドームの使い方を直球で説明することに対してハイティーンたちは恥ずかしがって明言しないものの、どうやら恥ずかしいというよりはリアルな使い方をこの人達は知らないのだなと思うようになってきた。

支援対象のハイティーンによっては、コンドームを買って与えたこともある。そして、コンドームがいかに外れやすいか、セックスの饗宴の中ではそれを「つけて」と女性が性知識に無知な男性に頼むことがいかに難しいかということを、ハイティーンたちとシェアしてきた。

そんな経験を通して思うのは、いかに男子たちが適当な性知識しかないこと、そして女子たちはそんな男子たちに「嫌われたくない」ために、避妊的にルーズなセックスを仕方なく受け入れているかということを知った。

また、避妊的にルーズなセックスにより妊娠すること自体が、「愛のあかし」であるとシンプルに信じ込む下流ハイティーンの切なさも見てきた。

下流ハイティーンの主観にとっては、無知な性知識は、結果として「愛のあかし」になるようだ。

アダルトビデオが教科書になっている性教育の不備は大問題だ。

だがその裏には、このような、望まない妊娠と言われながら、それと同時に「愛」を切望するハイティーンの心理があり、一部の性暴力犯罪はさておき、大部分のハイティーン女子は「妊娠を望まないながら愛されたい」という切ない欲望を抱いている。

公教育システムは、こうした歪な個人の欲望に甘えきっているので、一部の専門家やメディア以外にはそれほど問題化しない。

公教育、つまり教育委員会や文科省の時代錯誤な硬直化は、こうした個人の切なさに甘えきっている。★