親の孤独死防止のために、子ども(高齢)のひきこもりは実は役に立つ

■「孤独死するから?」入居差別に苦しむ

この前いつものように自分のFacebookタイムラインを見ていると、こんな記事が流れていた(「孤独死するから?」入居差別に苦しむ80歳の老女が向かった先とは)。

どうやら、子どもと喧嘩した80代の女性が一人暮らしを標榜しつつそんな甘いものではないという話のようなのだが、80代になると社会的制約が多いということを知らせる一種の啓蒙マンガのようだ(実は僕はこの頃は「マンガ」を読むのが苦痛で、ざっと筋を追うだけで精一杯←若い頃は超マンガマニアだった)。

僕もひきこもり支援を通してたくさんの親御さんたちを見ているからよくわかるのだが、後期高齢者とはよくいったもので、75才あたりから人は本当に老い始める。

見た目というよりは、反応速度とか理解速度みたいなものが衰えていくのが客観的にもよくわかる。

人によっては75才でもバリバリ現役で、しっかり車の運転もできる人もいるが、全体的には「遅く」なる。それが 高齢の意味で、その「遅さ」が始まったことを自覚した時、このマンガの主人公のように街を彷徨するのだろう。

■人は死ぬまで悩み続けるほうが、細胞が活性化する

現代の不動産屋はどうやら、高齢者の一人暮らしと「孤独死」を結びつけるようだ。だからなかなか賃貸物件が後期高齢者には見つからない。

そういわれればそうかなあと思うものの、まあ、せちがらい世の中だ。個人的には、高齢者の孤独死なんて当たり前だと思え、僕などはむしろ孤独死したいほどだ。

それを、イレギュラーなものとして排除するのがいまの社会だから、まあそれも仕方ない。孤独な高齢者になっても、1人ではなかなか死なせてくれない社会なのだ、この日本は。孤独死をさせないために、家族とか福祉システムというセーフティーネットが日々構築されている。

では、孤独死を防ぐために、大きくなり家族を持ち自立しどことなく偉そうになった40代の子どもに気をつかいつつ、後期高齢の人生をその人は歩まなければいけないのか。

多くの後期高齢者のみなさんはそうなのだろう。せっかくがんばって育て上げた子どもに気を遣い続ける80代はたいへんだ。ぽっくり死にたいと多くの後期高齢者は言うけれども、苦しみのない死を選ぶということと同時に、独立してたくさんの負担を背負う(孫や家他が由来の負債)子どもたちに迷惑をかけたなくない。

人生は死ぬまで苦労するほうが見た目は若々しくなれると、高齢ひきこもり(40才前後)の子どもをもつ母親たちを日常的に面談支援する僕は実感する。

人は死ぬまで悩み続けるほうが、どうやらその細胞が活性化するようだ。

■それは「孤独死防止」のアクション

そう、話の流れで「ひきこもり」が出てしまったが、親の孤独死防止のために、子ども(高齢)のひきこもりは実は役に立つ。

高齢ひきこもりは現在40才なかばに達しようとしており、その親達は後期高齢者に突入するかしないかだ。

ひきこもりは高齢になったとしても相変わらずひきこもっており、その親達も相変わらず悩み、僕みたいなカウンセラーのもとを訪れる。

そんな彼女たち(高齢母たち)に対して、僕はいつものように「おかあさん、95才まで生きましょうね!」とエンパワメントする(95才母が亡くなったあと、65才高齢ひきこもりは、年金・貯金、生活保護へと移行できるか)。

95才になるためのウォーキングや食事等を75才母と面談室で語り合い、意外と盛り上がったりする。特に、

「75才すぎれば、親の仕事は長生きですよ」という僕の言葉にいつも高齢母たちは盛り上がる。

そしてよく考えると、家の中に高齢ひきこもり子どもがいるということは、後期高齢者になった親たちにとってはセーフティーネットなのだ。

親が80才になり死も視野に入り始めると、今までひっそりとひきこもってきた子どもが今度は「いざというときに頼れる存在」になってしまう。

なんやかやいっても子どもは子どもなので、危機の時は動く(そんなひきこもり者たちの話を僕はこれまで何人も聞いてきた)。親に何かがあれば、多くのひきこもり子どもたちは自分にできることをする(病院に付きそう等)。

それはつまりは「孤独死防止」のアクションになっている。家に、高齢ひきこもりがいることは、実はたくさんのメリットがあったりする。自立や就労ばかりの視点では、「幸福」のあり方をキャッチできない。★