SMAPは最後の全世代「共有の快感」だった〜ひきこもりはキムタク嫌い〜

■「あすなろ白書」

SMAP解散はどうやら多くの人を悲しませているらしいが、52才オヤジの僕は、ほかのオヤジたちと同様、どうでもいい。

だからネットニュースで一応チェックはしてきたが、関心なかった。が、この前なんとなくSMAP系ニュースを見ていて気づいてしまった。

それは、SMAPが存在できたこの20年(以上)は、日本社会の中の中流階層が縮小してきた時代で、SMAP解散は我々の社会の変節の最後の節目なんだなあということだ。

ところで、ひきこもりの若者は基本的にキムタクが嫌いだった。が、今のようにキムタクが嫌われていなかった去年の前半くらいまでは、ひきこもりたちのキムタク嫌いはマニアックな志向で、キムタクはほとんどの人たちから好かれていたのだ。

ひきこもりのキムタク嫌いは、ひきこもり特有のルサンチマンから成り立っていて、多くはヘテロ(異性愛)男性から成り立つひきこもり世論にとって、モテ代表のキムタクは嫌われて当たり前だった。

キムタクは演技は下手くそかもしれないけれども、初期の「あすなろ白書」や山田洋次の「武士の一分」まで含め(山口智子ドラマや検事ドラマも含め)、僕は素晴らしい俳優だと思っている。特に、「武士の一分」はかっこよかった。

インパクトあるタレントは誰でもそうなように、「何を演じてもキムタク」ではあるのだが、そのたたずまいは、たとえば三船敏郎や仲代達矢のように、揺るぎない存在感があると思う。

人々は、キムタク的大スターに慣れていないので戸惑うかもしれないが、スターとはキムタクのように「遠い」ものだ。

■キムタクが嫌われ、ひきこもりはどんな気持ちになる?

だからこそ、ひきこもりの若者たちは、自らの恋愛ルサンチマンの仮想敵のようにしてキムタクを想定してきた。それはそれで、キムタクはそうしたルサンチマン・ターゲット役を受け入れてきたのだ。

ひきこもり支援者の僕としては、その意味でもキムタクには感謝している。ひきこもりの若者にとっての絶対敵であるキムタクのような存在は、ひきこもりの若者を支援しトークする僕のような支援者にとってありがたい存在だった。

ひきこもり若者と一緒になってキムタクさえ批判していれば。支援者の僕はある種の信頼を得ることができた。

そんな「絶対悪」、なかなかいない。

が、ここにきて、解散するSMAPは世間から距離をとられている。そして、SMAPのなかの高感度ナンバーワンだったキムタクは、これまでの支持がウソのように世間から嫌われているようだ。

マネジメント業で忙しくなった僕は今はほとんど会わなくなったてしまったけれども、キムタク嫌いのあのひきこもりの若者たちに聞いてみたいところだ。ここまでキムタクが嫌われ、君たちはどんな気分になる? と。

■キムタクと階層社会

ひきこもりの若者たちのルサンチマンはさておき、SMAPという存在は、階層社会変遷の象徴のようにも思える。

SMAPが注目され始めた90年代はじめはまだ中流階層が分厚く形成されていた(いまの中流階層は上流含めて60%以下、7,000万人以内に縮小している)。あの山口智子とのドラマなんて、中流階層が社会の80%以上を占めていなければ支持されない恥ずかしさだ。

SMAPの番組を一つひとつ検証する余裕はここにはないけれども、彼らが出演している番組たちはすべて「国民番組」になりえる可能性があった。

すべての人が見て、視聴時間内はなんとなく時間をスルーできる、いちいち「カチン」とこない番組を束ねているのが中井でありキムタクであり香取であり稲垣であり草なぎだった。

それが可能だったのは、見ている人たちの多くが統一した価値、「中流階層的価値」を共有していたからだろう。

その中流階層的価値を一言で説明するのは難しいが、目の前で展開されるそこそこの幸せと不幸の原因をいちいち説明しなくても「そうそう」と共有できるもの。

それらの幸福と不幸の基準が、文化・人間関係・経済水準等、フランスの社会学者P.ブルデューのいう階層基準にマッチしたものにもなっていた。

それが、ここ2010年代になって、なぜか共有されなくなってきた。インターネットの普及とは別に、なぜかエグザイルのようなマイルドヤンキーが幅を利かせ、LGBT価値も含んだ難しい作品がメジャーに登場するようになった。

ひとつの文化商品を、世の人々全員が共有することが難しくなった。

人々全員でひとつのものを共有することは快感だが、2010年代になってそれが困難になってきている。その「共有の快感」の最後の思い出が、僕が思うには「SMAP」だった。

キムタクは一時までみんな好きだった。キムタクがほかのタレントたちと同等になった時、あるいは同等以下になったとき、我々の社会は本当に「階層社会」になったのだと思う。★