アメリカの若者はカクサに怒り、日本の若者はLINEする

■ヒラリーの謎

アメリカ大統領選の結果は明日わかることになるが、今回さかんにメディアで指摘されたのは、ヒラリーとトランプの両候補とも人気がなく、史上最低の大統領選になったということだ。

この人気がないということは、一般市民に人気がないということであり、貧困層が50%を占め中間層がどんどんやせ細り「降格する貧困」化していくなか(セルジュ・ポーガム (著), Serge Paugam (著), 川野 英二 (翻訳), 中條 健志 (翻訳),新泉社、また、望月優大氏ブログも参照,2016-10-23 日本の貧困は「降格する貧困」に近づいている。セルジュ・ポーガム『貧困の基本形態』講演から。)、アメリカでは、貧困層と降格する中流層を真に代表する候補者が現れなかったということだ。

ずっと僕は、ヒラリーという女性候補を当選させない男性優位社会の力が最後の最後まで働き、FBIの介入などがあるのかと感心していたのだが、ネットを中心にニュースを読み漁っていると、どうやらそれとは別に、この「困っている人々を代表する人がいない」ということが今回の大統領選のキモなんだなあと思えてきた。

だからアメリカでは「サンダース現象」(貧困層支援)が起きたり、トランプという危ない候補者が発することば(下層労働者の仕事を奪う不法移民の強制退去)への熱烈な支持があるようだ。

ヒラリーは女性というマイノリティ代表というよりは、エスタブリッシュメント層の代表として捉えられている。それは1%の富裕層も連想させ、本来ならば「初の女性大統領」という人権的には記念日となる明日が、既存権力層の維持のような停滞した日として規定されそうになるほど、現在のアメリカの階層化対立は先鋭化しているようだ。

■貧困者にも実感しにくく、中流層より上にも実感しにくい

この階層化は日本では、2,000万人以上が相対的貧困であり労働者の4割が非正規雇用であるといった事実で示される。また、高齢者の700万人が高齢者で、生活保護受給者は 210万人を超える。

けれども日本では、アメリカのように貧困者の怒りがなかなか可視化されない。貧困に関する数字を重ね合わせていくと、「下流階層」は5,000万人程度は存在すると僕は推測している。

これは年収の中央値の手取りよりいくぶん下あたり(世帯中央値400万強ではなく、個人中央値から社会保険を引いた分手取り250万円程度より若干下の手取り年収200万あたりより下)を目安としている。

あちこちに散らばる多くの統計をまとめることは僕は素人なので若干のズレはあるかもしれないが、大筋こんなものだと思う。相対的貧困層(手取り125万円程度より下)が全体の6人に1人で2,000万人、これに手取り200万程度の人たちが3,000万人いるだろう(これには子どもも高齢者も含まれるから大雑把ではあるものの、マルっと数字を括らなければ全体の議論ができず、それは専門家は無責任になるのでできず、素人の僕みたいなのがやるしかない)。

これほど「格差」の数字を並べられても、日本では、なんとなく「貧困」が実感しにくい。

それは、1.貧困者にも実感しにくく、2.階層間の断絶から中流層より上にも実感しにくいからだ。

1.については、貧困者にとっては、横を見ればみな低収入だからそれほど気にならないという点もあるようだ。おカネはないのはないのだけど、家族も友達もみんな「ない」から、服も食事も買い物ももすべて安価で済ませる(あるいは消費しない)ということがそれほど目立たない。

たとえば、移動はすべて自転車、食べ物はコンビニおにぎり、服はGUという若者は僕の支援の対象の若者にはまったく珍しくない。唯一おカネをかけるのは携帯代だけだ。

みんなおカネがないから「まあそんなもの」で済ませ、携帯代だけは苦労してかき集める。貯金は当然ゼロだ。

■LINEの世界には「上」はいない

社会学者の古市憲寿氏が『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)を出版したのは2011年だった(絶望の国の幸福な若者たち)。あれからたった5年しかたっていないのだが、階層化が始まった頃(リーマンショックの2008年あたり)に取材執筆した同書にはまだ「貧困」というあり方が直接描かれてはいない。

だから同書に出てくる若者は貧困というよりは、「非正規雇用だけどそれほど困ってはいない人々」として比較的ポジティブに提示される。

が、リーマンショックから8年、古市本から5年たち、社会は「数字上では」すっかり階層化してしまった。

けれども日本には、アンポに怒る若者はいるが、カクサに怒る若者はいないようにみえる。またアメリカのように、サンダースもトランプも出現せず、新自由主義の保守与党がリベラル的要素を含んだ政策もとりこんでいく。また、野党勢力は正社員で構成される既存労組が中心であり、下流層5,000万人を吸い込む政治勢力がなかなか見えてこない。

下流層は横を見て安心し、自分より下を見て(相対的貧困ラインを見て)さらに安心し、決して「上」は見ない、というか、自転車+コンビニ+おにぎり+LINEの世界には「上」は見えない。

そこを、以前当欄でもとりあげたエグザイルやワンピース等の「文化資本」がフォローする(ヤンキーは「海賊王」がすき~階層社会の『ワンピース』エグザイルは貧困の怒りを代弁しない)。

貧困者は、自らの貧困問題を先送りにするか、自分たちよりさらに下の貧困層を「打つ」ことでごまかす。

このように、マス数字実感の放棄と、文化による快楽と、下層内対立により、階層社会は絶妙に維持されているようだ。

■「他者への想像力の貧困」

また言い換えると、誰も社会全体を「想像」しようとしないのが階層社会の姿のようだ。下層になれば、だんだんめんどくさくなるあるいは下層ゆえにその能力を持っていない。中層と上層は(日本は4割と2割程度)階層化についての想像力を持つ必要がないので、従来問題(たとえば「ひきこもり」)に留まる。

要するに貧困(経済・文化・社会関係)という現象は、「他者への想像力の貧困」なのだと思う。その想像力の貧困が、日本という島国ではタコツボ幸福となり、アメリカという多民族大陸では怒りとポピュリズムになる。★