「代弁投票」があっていい〜投票しない貧困若者の代わりに

■「選挙に行こう」という、ことばの意味が難しい

選挙のシーズンになると、いつの頃からか「選挙に行こう」キャンペーンが張られるようになっている。

僕はその趣旨は十分わかるものの、個人的にはそこまで他人に勧めてしまうのもなんとなくためらわれる。

が、「選挙に行こう」の呼びかけもこの頃はずいぶん誠実かつ真摯になってきており、たとえば小熊英二氏のこの呼びかけ(参院選でどこに投票したらいいか迷う人へ)や森達也氏のこの呼びかけ(まだ絶望していないあなたへ)などは、なかなかグッと来るものがある。

けれども残念ながら、これだけ誠実な両者の呼びかけでさえ、ディープ・アンダークラス若者(手取り年収125万程度の相対的貧困プラスα程度の収入の人々で、かつ「リア充」的若者文化〈アートや音楽等〉で補強されていない人々)には届かない。

その原因は簡単。小熊氏や森氏の「ことば」が単純に難しいからだ。

ディープ・アンダークラスの若者はもちろん全員ではないにしろ、幼少期からの環境的苦境(児童虐待と貧困と大人同士のDV等)のために、そのことばが荒く、そして単純だ。

この粗暴さと単純さについては、僕は以前当欄で触れた(「ことばの力」で虐待から脱出しよう!!)。

荒く単純になるのは、すべては環境が原因だと僕は考える。

が、原因論はさておき、おそらく小熊氏も森氏もどこかで諦めながらも希望的観測として自分の言葉が届いてほしいと願う、日々の生活で苦労する若者たち、そこにほとんどが入るであろうディープ・アンダークラス若者には、残念ながら届かない。

そしてそれは、ことばづかいの難解さという「入口」の時点で、そもそも入らないのだ。

■ことばが、まったく届かない

「投票に行こう」の掛け声は、結局、その掛け声を読み解く能力のある人々、まずはミドルクラス以上の若者には届く。そして、前回までとりあげてきた「〈文化資本〉補強型アンダークラス若者」にも届く(選挙はこわくないんだよ)。

が、リテラシーのないディープ・アンダークラス若者にはまったく届かない。この若者たちが何人いるかは僕はまだわからないものの、手取り年収125万以下の相対的貧困者が2,000万人ほど、「貧困状態にある子ども」が6人に1人等のデータから想像して、少なく見積もって相対的貧困者の1/10、200万人(60人に1人)以上は存在すると控えめに想像している。

彼女ら彼らには、良心的文化人の声はまったく届かない。もしかすると、現実に1対1で対面し、わかりやすい日常言葉で説明すると、少しは小熊氏らの意図は伝わるのかもしれないが、たぶん理解(腑に落ちる)までいかないだろう。

要するに、ディープ・アンダークラス若者に対して、「選挙」のような社会システムを伝え、ましてや今回の選挙のような憲法変更にまで突き進む可能性を秘めている決定段階の重要性について、平易なことばで伝えるのは本当に難しい。

■「代弁」の重要性

僕も、憲法解釈ではなく、たとえば生活保護の仕組みなどの支援システムをアンダークラス若者たちに平易に伝えようと普段努力しているのだが、なかなか難しいと感じている。

個人的利益や生活にかかわるおカネの仕組みでさえそうなのだから、目の前の生活とは直接関係のない安全保障などは、もう「お任せ」というか「別世界」の話だ、彼女ら彼らにとっては。

だからこそ、だ。彼女ら彼らの思いを「代弁」することが重要になる。

これは貧困支援だけではなく、ひきこもりや不登校や虐待支援などのマイノリティ支援全般とも共通するのだが、本当の当事者(今回でいえばディープ・アンダークラス若者)は基本的に自分の苦しみを自分の言葉で発信することができない。

なぜなら、同義反復ではあるが、それが「当事者」というものだからだ(「当事者」は語れず、「経験者」が代表する~不登校から虐待まで~)。

そのかわりに、当事者を通過した「経験者」や、当事者と何らかのかたちでかかわる(たとえば支援)「代弁者」が、当事者の気持ちを代弁することになる。

さまざまな事情(虐待や貧困等)で自らのことばを持ちえず、自らを発信できない(つまりは投票に行かない)ディープ・アンダークラス若者の代わりに、この場合は、周辺の人々やその心情を共感する人々が「代わりに」行動(投票)することができる。

それをここでは、仮に「代弁投票」と名づけている。これは誰からの要請でもなく、発信できず投票できないディープ・アンダークラス若者たち数百万人の代わりに、その思いを代弁するという意味での投票があってもいいのでは、という提案だ。

これはよくある「大人の責任」議論ではなく、深い意味での「応答責任」、あるいは「表象」、哲学的カタカナでいうと「ルプレザンタシオン」の問題であり、根源的生き方の問題、他者との根源的コミュニケーションの具体的あり方の問題なのです。★