■僕も取り組んできた

ホウレンソウは仕事には必須と言われる。報告・連絡・相談をこまめに行ない、ミスや誤解をなくす。そのことが、我々が日々行なう「仕事」の基本中の基本だと言われる。

僕も、ニートの青年対象の事業や講座などでホウレンソウの大切さはこれまで何回も訴えてきた。それに異論を唱える人もおらず、ホウレンソウや、これに含まれるかもしれないがさまざまな「確認」作業の重要性について語ってきた。

が、この頃の結論としては、ホウレンソウや確認作業こそが我々の労働時間を長くすると結論づけている。

細かい確認や、報告にともなう電話やメールに費やす時間、そしてその結果としての書類づくり(「稟議」のひとつ)、そしてこうした作業を受けた上に控える「会議」、これらが我々の仕事の中に占める比重は非常に大きい。

これらの、我々の仕事に絶対必要と言われる作業を廃止すると、労働時間は半分に減るとも言われる(社長はなぜ週7日働けるのか?)。

そう言われてみると確かに会議や稟議やホウレンソウは無駄かもしれないが、やめることはできないと思うのが、我々「日本人」だろう。

ホウレンソウで根回しし、稟議で準備し、会議で確認する。

各段階の会議はわりと中途半端なものが多く、その都度根回しのホウレンソウや書類作りは必要になってくるものの、それがないことのトラブルを考えると、慎重にならざるをえない。それがホンネだ。

■ミスやトラブルは軽減する

なぜ我々は執拗に「確認」するのだろうか。そのためにホウレンソウし、書類を準備し、会議するのだろうか。

実は、それらを行なわなくても、ことは進む。そして仕事はそれなりに展開する。

もちろん、仕事の展開と進行にはトラブルやミスが付随し、それに伴う損失も生じるだろう。

が、それを補ってあまりあるほど、各労働者の時間に余裕が生まれる。そして精神的余裕もそこに伴う。

ミスやトラブルはしばらく続くかもしれないが、僕の感覚では、半年ほどたつと激減していく(自分の法人で確かめた)。

また、確認・ホウレンソウ・稟議・会議の減少に伴い、「成果物」の質は若干低くなり、成果も劣るかもしれないが、目立つほどではない。

日本の「仕事」は、戦略を描けない短期決戦型(1年単位の事業が普通)のため、皮肉なことに、「成果」も高いレベルは求められない。予算規模に見合った「それなりの」成果があれば誰も文句は言わない。

だから、緻密なホウレンソウは、本当は不要なのだ。

言い換えると、ホウレンソウや稟議がなくともなんとかなるのが、この社会の特徴だ。

■「その確認は不要だから、確認する前に行動して」

つまりは思い切ってホウレンソウも会議もほとんどやめてしまっても、それほどマイナスにはならない。

未来工業の故・山田社長がホウレンソウをやめてしまってもなんの不都合はなかったが、あれば山田社長の「決断できる」という才能が光った出来事だった。

ホウレンソウはなくとも、現場は進む。ホウレンソウがなくても破綻はない。ホウレンソウがなくとも新しいものは生みでる。

多少、ミスやトラブルはあるが、それを補うほど社員には余裕が生まれる。

おそらくそんなことはわかっているが、誰もそこには踏み出せない、誰も「ホウレンソウは不要だ」と言い切れない、その社会的弱さがいまの停滞期の日本の土台にある。

細かい確認に対して、「その確認は不要だから、確認する前に行動して」と、ほとんどの上司が言えない社会、それがいまの長時間労働社会の日本の現場だ。

だから、これはかなり根深い病だ。★