「亡霊」はあなたに何を語りかけるか~広島、オバマ、思春期

■オバマの声

僕は、内閣府の青少年問題に関する小委員会の委員を数年前に務めた流れから、毎年数回は広島を訪れている。

広島県からの招聘の名目でユースアドバイザー講師的な役割で広島のNPOのみなさんをスーパーバイズするわけであるが、熱心な広島のみなさんの議論は毎回楽しみだ。

昨年度末などは、精神科医の斎藤環さんの講演会も行なわれ、僕もゲスト的な立場で参加した。

その時は、おそらく200名以上の方が参加され、ひきこもり問題の最前線について学び議論できた。青少年支援問題において、広島県はかなりの先進エリアだと僕は解釈している。

そんな広島を、今日の午後にオバマ大統領が訪れるらしい。戦後初めてのアメリカ大統領の広島訪問ということから、メディアも注目し、僕も今、仕事しながらもニュースが気になる(が、職場にはデレビがないので現在進行形の動きは不明)。

オバマ氏の就任年にチェコのプラハで行なった「核なき世界」に関するスピーチはいまだ記憶に新しく、何よりも、オバマの8年がもうすぐ終わることは淋しい。

スピーチの名人であるオバマが今日、何を語ってくれるのか、その内容はだいたい予測できるものの、平和公園と原爆ドームのエリア内で、おそらく歴史に残る大統領の一人になるであろうオバマ氏がどういう「声」を響かせるのか。

■亡霊の声

上に書いたように広島出張時に僕は時々原爆ドームを訪れるが、そこに流れる時間はいつも何かが違うような気がしている。

周囲に喧騒はあるものの、去年の秋に僕が撮った原爆ドームの写真(下)でもなんとなく表現されているかもしれないが、その周囲ではなぜか無音だ。

原爆ドーム(2015秋、田中撮影)
原爆ドーム(2015秋、田中撮影)

そして、何かの陰影にそれは包まれている。原爆に関するエピソードが近くに佇むものに対してそうした印象をいだかせるのかもしれないが、そこには独特の空気が流れる。

こんな表現を使うと怒られるかもしれないが、「亡霊」の声がそこでは聞こえるようだ。

その亡霊は原爆や戦争の被害者だけにとどまらず、あらゆる死者を吸収するように僕には感じられる。少し神秘的に聞こえてしまったら申し訳ないものの、僕は無宗教でありながら、原爆ドームを訪れるときにはいつもそんな感傷に浸ってしまう。

それは僕に、これまで出会ったリアルな人々の「死」を思い出させる。90才で亡くなった祖母や62才で働き過ぎて死んでしまった父をはじめとして、その他のいろいろな死がすぐ近くに忍び寄る。

特に、若くして死んでしまった友人や、青少年支援の仕事のなかで出会い、諸事情があって命を落としてしまった若者のことを思い出す。それらの話は当然ここでは詳述できないけれども、それら死者たちの声は、僕が行動や仕事をするときの前提としていつも存在する。

あの死者たちは、いまこの行動を僕がとるとき、いまこの言葉を僕が発するとき、何を語りかけてくるだろう。実際にそれら「亡霊」の声は聞こえないものの、リアルな存在として僕には感じられる。

■自分自身の声

こんな拙稿を読んでいただいているみなさんも、そうした思いや体験はお持ちだろう。

死者の声、「亡霊」の声、ゴーストの声は、我々が今何かを行動するときにどう語りかけてくるか。

あるいは思春期に死んで(自殺して)しまったかもしれないあの頃の自分(僕)自身は、今の52才の僕に対して何を語りかけてくるだろうか。

そうした「声」こそが、本当の「他者の声」だと僕は思っている。そして、そんな本当の他者の声を聞き分けられるようになることが、「大人」になることだとも思っている。

思春期の声、不本意に死んでしまった人の声、死んでいたかもしれない自分自身の声、それらすべてに包まれるかたちで現在の僕は存在している。

オバマの広島訪問は典型的政治的出来事ではあるが、それを忘れてしまうほどのたくさんの考察を僕はしてしまうのであった。★