「サードプレイス」で残業を減らせ

■昇進と居場所

日本人の残業は相変わらず減らないようだ。僕が20代の頃の30年前から(その頃はバブル期)延々言われてきてもまだ減らないのだから、この先も減るわけない。

ここに「ワークライフバランス」等の新しい切り口で提案したとしても、根本的に「残業してしまう」風土が我が国にはあるようなので、たぶん、一部G型(グローバル型)企業がグローバリゼーションを背景とした人件費調整としての給与体系の変更か、「志」あるNPOによる理念先行型の実行により一部残業は減っていくだろうが、多くの日本企業では残り続けると予測する。

この日経の記事(日本人の残業、元凶は「家に帰りたくない」人たち)によると、残業が減らない2大要因として、

1.残業しないと昇進に響く

2.家に「居場所」がない

を指摘している。

どうやらまだまだ我が国では、残業する者が優秀な社員という風土が残っており、それは育児等で残業できない女性社員の扱いなどにも露骨に現れているという。

一部G型企業ではそれほど露骨ではないだろうし、ビジネス書などには無駄な会議や書類を減らす提案は溢れている。

が、オモテウラを使い分けることでは世界一であろう我が国では、タテマエの裏に忍び込む「空気」を読まなければいけない。

その空気にはどうやら、「出世したければ残業(を厭わないように)しろ」というメッセージが挟み込まれているらしい。

■「サードプレイス」としてのスタバ、銭湯

同記事はもう一つの原因である、「家に帰りたくない」という働く人々の心情を指摘する。これは、家では妻や子どもたちから疎まれる中高年男性に限らず、比較的若い女性にもいるようだ。会社にダラダラといるほうが楽、という女性社員のコメントが上の日経記事では紹介されている。

家ではなく会社のほうが相対的に楽、という潜在的ニーズを商売化するために、同記事では吉野家やスターバックスの試み、あるいは「自習カフェ」を提供する会社などを紹介する

吉野家やスタバ、また自習カフェなどは、言い換えれば「サードプレイス」である。アメリカの社会学者オルデンバーグによって提唱されるサードプレイスは、家(ファーストプレイス)でもなく職場(セカンドプレイス)でもない、第3の居場所が人間には必要らしいと指摘する(レイ・オルデンバーグ『サードプレイス』みすず書房)。

同書によれば、アメリカと日本はサードプレイスが壊滅してしまったらしい。昨今のスターバックスの繁栄は、サードプレイスを失ったアメリカにもう一度サードプレイスを呼び戻そうという同社の理念が大当たりしたせいとも言われる。

確かにスタバは他のカフェチェーンと違って、混んでさえなければ居心地がいい場所だ。

オルデンバーグは書いていないが、僕が思うに、日本にも立派なサードプレイスはあった。それは「銭湯」であり(スーパーではなく、家から歩いていける昔ながらのお風呂屋さん)、仕事から帰って洗面器を持ってぶらっと近所の銭湯に行き、そこに知り合いがいてこちらもその気分になればしゃべったりするが、その気分でなければ挨拶だけですますことのできる気軽な場所。

ゆっくりお風呂に浸かって頭も洗い、湯船から出たあとは定番のフルーツ牛乳を飲みながら、ぼんやりテレビを見る。

そこで、店主さんとたわいのないおしゃべりもしたりして(気分が乗らなければ黙って出る)、帰り道、酒屋で缶チューハイを買ってゆっくり歩いて帰る。

これら一連の行為が、つまりは「サードプレイス」なのだ。家でもなく職場でもない第3の場所をとりまくこうした行為がなければ、我々の日常はせちがらく息の詰まるものになる(2016年の日本は息が確かに詰まる)。

■阪急電車・十三駅ホームというサードプレイス

おそらくサードプレイス創設だけでは残業は減らないとは思う。その最大原因である、無駄な会議や稟議(書類作成と確認)、その根回しのために必要とされるホウレンソウが残り続ける限りは。

ある調査では、通常の仕事だけこなしていると半日程度(社長はなぜ週7日働けるのか?)ですむはずが、こうした会議・稟議・ホウレンソウ等その他の膨大な作業に日本人は追われており、これらの日本的仕事が残る限りはいくらサードプレイスをつくったとしても、サードプレイスでメールや書類作成をする可能性はある。

なぜ無駄な会議や稟議やホウレンソウがあるかといえば、現場をチェックする管理職(事業マネージャー)がそれを求めるからであり、各事業マネージャーはその上の事業統括マネージャー的管理職にそれを求められるからだ。その報告と管理作業は一段階ずつ上に上がっていくものの、上がりきったところには「空洞」か゛あるだけということは、日本文化を論じる際によく言われる組織分析。

その、中心がなく責任の所在も曖昧であり、なんとなくの「空気」が支配するなか長期的戦略なくことは急いで動いていき、「外圧」か「戦争」的なものがなければそれは止まることがないあり方を、丸山真男は「つぎつぎとなりゆくいきほい」と称した(「日本の古層」等)。

だからいくらサードプレイスをつくったとしても残業は完ぺきにはなくならないだろう。我々はこの先もずっと、責任の所在が曖昧な組織において書類をつくらされ無駄な会議に出席し続けそのためのホウレンソウを求められる可能性は大。

けれどもだからこそ、サードプレイスがほしい。それは壊滅状態の銭湯でもないかもしれないし新商品のサービス・システムでもないだろう。それは最初のうちは各自がそれなりに探すものかもしれない。たとえば僕であれば、阪急電車の十三駅で、 19時頃に1人でタカラ缶チューハイを飲むという、その行為全体がサードプレイスだったりする(安上がりで気楽)。

最初は残業も減らないだろう。が、これらの仕組みと理由を我々が深く理解し、それぞれに合ったサードプレイスを実践していくと、G型企業にも先進NPOにも負けない、サードプレイスとノー残業デイが現れると夢想している。つまりは、サードプレイスが日本を変えるような気もする。★