18才は、68才の「責任」を問え!!~18才選挙権

■斎藤環さんは反対

精神科医の斎藤環さんが「18才選挙権」について反対されていて(18歳選挙権「賛成する理由、何一つない」 斎藤環さん)、最近の斎藤さんらしく切れ味鋭いコメントぶりに感心した。

そういえば昨年末に、僕は広島県主催の講演会(斎藤さんメイン、僕はフォーラム登壇)でご一緒させていただき、これまで以上のカミソリぶりに感心していたところだった。

それを裏付けるような今回のインタビューの歯切れよさは、「18才選挙権」に関してなんとなく許してしまった日本社会に対して、明らかに警鐘を鳴らしている。

斎藤さんがおっしやるには、個人が尊重されず若者施策も公的扶助が整っていない日本で、掛け声ばかりの「18才」が先行してしまうと、若年ホームレスの増加等、日本の問題がより深刻化していく。18才に下げるのではなくむしろ25才にあげてもいいくらいだ、と上インタビューでは熱く語っている。

個人を尊重せず公的扶助(より幅広く柔軟な生活保護の適用等)に手を付けず、「自己責任」ばかりが強調される国、という分析には僕も賛成だ。

そうした国で「18才」に「大人」年齢が下げられるとき、より多くの責任を社会は求め始めるかもしれない。

その「責任」とは、斎藤さんは憲法改訂のための「票」パワーだとする。僕のFacebook友達などは、日本が現実の戦争を行なう際の「軍隊の一員」として、社会の「空気」が問うことになるのでは、と推測していた。

■憲法、軍、高齢者のための18才

僕は、高齢社会で高齢者優遇策を政権が実行する際、18才までの意見を「票」として聞き取っておくことは、高齢者優遇策を実効化するときの免罪符として機能すると推測している。

実際は、選挙権が与えられたとしても、多くの若者は選挙には行かないと思われるので、高齢者優遇施策(たとえば「年金支給年齢を引き上げない」等)は簡単に展開されるだろう。

時の政権的には、自らの権力を手放したくないため高齢者に不利な政策はとれない。が、現実は高齢者に我慢を強いる政策を提案せざるをえない(年金支給を70才に上げる等)。

だからタテマエでは、高齢者に不利な政策を提示し、18才にまで選挙権を下げて若者層の声を聞くといった「言い訳」をする。

だが現実には、若者は選挙には行かない。いかに最近の若者が政治的になったとはいえ、選挙や権力を疑い諦めるというのが「若さ」の一面でもあるから、SEALS的な若者が増えると同時に、ニヒリスティックな若者も存在し続けるだろう。

若者の投票率は劇的には上がらないはずだ。なぜなら、それが「若者」というものだから。

■若者は半分以下

また、現代の「18才」は、数としても圧倒的に少ない(18歳人口と高等教育機関への進学率等の推移)。2014年/平成26年度の内閣府調査で、118万人だという。

これに対して、たとえば団塊の世代(65才前後)は一学年250万人以上存在する。一学年あたり、120万人対250万と、倍以上の差がついている。

これは、個人の価値や思想を超え、65才的価値をもった人々(家庭・社会生活とも現役時代が過ぎ、常時自分の健康や「死」について考えている人々)が、18才的価値をもった人々の倍以上生活する社会に日本がなったということだ。

この点でも、18才は「パワー」がない。人口ボリュームとしてパワーがないということは、パワーのないその声が汲み取れられないということだ。以上をまとめると、

1.憲法改訂に利用される。

2.戦争の兵隊になる。

3.高齢者有利の社会を結果として後押しする。

このように、ぱっと考えたただけでも、18才選挙権にはネガティブな側面があるようだ。

■「こんな社会にした責任をとれ」

が、ないよりもマシ、という消去法的な理由で僕は18才選挙権には賛成だ。

現実はさまざまなネガティブな側面はあるだろう。

それでも、利用されるだけされて発言権はなしというよりは、利用はされるけれども発言権は有する、つまりは制度として「大人」に組み入れられているという理由で僕は賛成だ。

自己責任を前にもまして社会は若者に押し付けてくるだろうが、若者(18才以上)の側も同じ問いを上世代につきつけることができる。

社会的責任という点で、18才も68才も同じになった今、18才も68才に対して、「こんな社会にした責任をとれ」と言っていいのだ。★