絶望フリーターと幸福フリーター〜40代と20代

■バブルの記憶

僕は今年51才で、あのバブル経済の頃に大学生だった。バブル崩壊が91年あたりと言われているから、その年僕は27才だった。

金融機関の破綻等のわかりやすい現象が起こるのはその少し後で(97年頃以降)、90年代前半はバブル崩壊と言われながらもバブルのノリを社会はまだもっていたと思う。

バブルのノリとは、たとえば今月は12月でクリスマスシーズンだが、カップルたちは一晩のデートで10万円以上使うこともそれほど珍しくなかったと思う。

10万どころか、プレゼント代やホテル代も含めると、12月24日だけで20万ほど使った男性も(当時は男性が出費)多くはなかったものの、超珍しくもなかったと思う。

僕自身は、20代前半で友人とつくった出版社(さいろ社さいろ社という医療問題を扱う個人出版社)の印刷代を捻出するため日々アルバイトをする極貧生活を送っていたため、バブルの意味がわからなかった。

意味はわかっても、クリスマスで20万使う同世代がいることが、別世界の出来事のように映っていた。

あれから25年たち、世の中はすっかりバブルの雰囲気を振り払ったようだ。

今年のクリスマスにカップルたちは平均いくら使うんだろう。東京のホテルはカップルの予約で満杯なのだろうか(ディズニーランド等へ向かう家族連れで満室ではないだろうか)、プレゼントに10万、ホテルに7万、夕食に3万出費しているのだろうか。

いや、そもそも、恋人が実際にいない若者が6〜7割いると言われるなか(面倒な「恋人」より「友達」)、ただでさえ限られた原資を、「面倒な関係」につぎ込む若者たちがそれほどいるとは思えない。

■非正規のエリート

こんな、バブル時代と現在の若者気質を考えるようになったのも、某週刊誌の記者さんから「中年フリーター」をテーマに受けた電話取材がきっかけだった。

記者さんが言うには、40代フリーターたちは月に15万円あたり稼ぐのが普通で、20万を超える人は少ないそうだ。

その20万あたりの人でさえなかなか正社員になれないことも重なって、自分のことを完全な「負け組」と認識しており、ものすごい絶望感にとらわれているという。

そうした絶望感の背景にあるものを探求するために、記者さんは広島出張中の僕にまでわざわざ電話されてきたきたわけだが、記者さんにもいったことではあるが、その15万や20万という月収を聞いて僕は思わず、

「それは非正規の勝ち組ですよ!!」と漏らしたのであった。

非正規と言っても契約社員や派遣社員も20%ほど含まれ(正規雇用と非正規雇用労働者の推移)、その方たちは非正規といっても正社員と同じく社会保険は会社と折半するかたちだ。

この、「非正規のエリート」、言い換えれば勝ち組の人たちが月に15〜20万あたりだろう(厚生年金ほかの社会保険の分、手取りはもう少し減る)。

それ以外の大多数、国民年金を自分で支払うパート・アルバイトの層は70%も存在する。この層が普通言われるところの「非正規」の代表選手だ。

この層は全員が時給で働いており、時給も多くは1,000円に届いていないだろう(900円台も少ないかもしれない)。ここに、いわゆる「相対的貧困者」(所得の中央値の半分を下回っている人の割合〜現在の日本では122万円程度以下http://bigissue-online.jp/archives/1017887481.html)も多く含まれていると思う。

■底の基準

だから、月収20万円あれば年240万だから、手取り(可処分所得)200万ちょっとだと思われ、中央値には届かないものの、それはアンダークラスのかなり上のほうに位置することになり、「非正規の勝ち組」と言えないこともない。

が、上の記者さんによると、40代非正規雇用の方々は「絶望」している。

一方で、僕が日々の仕事(ひきこもりやニート支援)の中で出会う社会参加できた若者たちは、月収15万円を切っても、それほど絶望していない若者もいる。まあ希望も抱いていないが、絶望というほどでもない。

あるいは、社会学者の古市憲寿氏の『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)で紹介される若者たちは、友人たちのスモールサークルの中でそこそこ「幸福」に包まれて生活している。

40代非正規雇用の方たちがいうほど、若い世代は絶望していない。古市氏が書いているように「希望」は若干諦めぎみなものの、そこそこの「幸福」感を抱く。

その違いについて考えていた時に思いついたが、冒頭で回想した「バブルの時代」だった。

生活の基準がバブルの若者と、そうではない若者は、おそらく根本的に違う。

あるいは、あのバブル時代にバブル生活を送ったことがなくとも「バブルという空気」を肌感覚で記憶している人々と、それがまったく想像もできない人々は、絶対的に違う。

僕は20代は極貧でバブルを謳歌する同世代を嫌悪していたが、僕自身の記憶の中に、価値の底に、あのバブルが刻まれていると告白せざるをえない。

いま45才非正規の人は、25年前は20才で、バブル生活を送っていようが送っていなかろうが、「バブル空気」に刻印されている。

逆に、いま僕が仕事で接する若者、古市本に出てくるような20代の若者たちと会話すると、基底にバブルが完ぺきにない。

その、「底の基準」が、絶望かそうでないかを区別する。それが「絶望フリーター」と「幸福フリーター」の違いかも。簿は、個人的には絶望フリーターが好きです。★