高齢者が葬った「橋下氏の時代」~「若者が弱者ではない社会」に

■「人口ボリューム」の優位性

注目された「大阪都構想」を問う住民投票は「大阪都推進/大阪市解体」推進派の橋下氏が敗北した。予想外に氏は年末の任期終了時での政界引退を表明した。律儀に任期終了まで務めることも予想外だったものの、短期間で二度の選挙費用(市長選+住民投票)を消費した身としては仕方ないか。

開票直後よりFacebook等で共有され始めたことは、今回の住民投票も結局は「人口ボリュームの優位」だったということだ。

開票中流れたテレビニュースでは、男女とも圧倒的反対派優位なのは70代以上であり、団塊世代(一学年230万人程度)を含む60代は男女比がほぼ拮抗したと伝えた。

一方、男性の賛成派(橋下氏支持)が目立つ20代のポイントは実は男女比でなくその人口規模であり、いま25才になっている若者の人口は130万人程度だ(今年生まれた学年は100万人ちょっと)。団塊世代に比べて実に100万人も少ない。

年齢別投票人口は今の時点ではよくわからないものの、60代以上の人口と20代の人口を単純に比べても、そりゃ高齢者が圧倒的に多い。それに加えて、若者はいつの時代も投票には行かない(それが若者~権力とカネがないため「投票力」行使の実感を持てない人々~だからだ)。

今回は過激な変革提案の是非を問う選挙だったため、批判の声が世代に関係なく出たせいもあり見えにくかったが、俯瞰して選挙を振り返ると、それは「高齢者が望む選択」だった。現在の日本社会を作った(元)若者パワーである団塊の世代の人々も、老いには勝てず普通の高齢者ノリとなっている(70代よりは橋下氏支持が多いが)。

そんな高齢者は「変わること」を嫌う。そんな変化を望まない人々が、新自由主義でモノ言うリーダーであった橋下氏をいままでは許してきたが、今回本格的に葬り去った、それが今回の住民投票だったと僕は解釈している。

一言でいうと、「人口ボリュームの優位性」が思う存分発揮された選挙だったということだ。

■「支えられる側」が決定する

今回のテーマは「大阪都」であり、その是非は市民を二分し高齢者(人口ボリュームで勝る世代)の優位性が発揮された。

これからも市民を二分するテーマでの「決定」が問われる際、それが今回のような力技の住民投票(法的拘束力をもったという点では画期的、というかこれが250万人規模で前例として成立したことのほうが僕は怖い)だろうが、通常の選挙だろうが、高齢者の人口ボリューム的優位性がいちいち発揮されると思う。

そういう意味で、真の高齢社会の姿が暴力的なまでにも現れた選挙だったと、日本民主主義上の歴史に残ることかもしれない。

では、日本社会がこれから難題にぶつかり、そのたびに選挙による決定が問われる時、人口ボリュームで優位に立つ高齢者の声が常に勝利するのだろうか。

民主主義が正常に機能する時(国民の多くが世代に関わらず平均的に多く選挙に参加する時)、その結果は常に高齢者優位となる。

今のままでは確実にそうなるだろう。国民のアポリアは、常に高齢者(引退世代)が高齢者自身に優位な視点で決定されていく。

それでもいいのだろうか。

僕はいま51才であり、あと14年生きることができれば65才になり高齢者となる。その時は2030年になっている。その時はもしかすると「国債の破綻」(これも破滅的事態だが)を超えたうえで、いよいよ真の「決定」が日本社会に問われる時だろうから、65才の僕自身はもちろん65才に優位になる決定に一票入れるに違いない。

その頃は、若者の年金が高齢者を支える時代のピークになり、それがしばらくは続いていくだろうという状況になっている。僕が65才の時、今の団塊世代は75才~80才あたりだろう。世代の何割かは亡くなり身体的にも不安でいっぱいの本当の高齢者だ。

そんなときも、すべての重要決定を「支えられる側」「引退した側」が下していいものだろうか。

■若者は弱者ではない

人口ボリュームの大小に限らず、「声」を政策の中心に届けていかなければいけない。

そのためには、そろそろ「若者=弱者」の議論をいったんやめる時が来たと思う。数少ない若者は被支援者的「弱者」ポジションを捨て、「物言う少数派」として、語る時期が来たと思う。たとえ数で負けてはいても、その「声」を届けなければいつまでも高齢者が支配する国であり続ける。

が、ここ10年の日本では、グローバル化の第一被害者として若者が狙われ、非正規雇用の大量創出に巻き込まれ、ニートやひきこもりという言葉で若者はくくられている。その結果、「若者=弱者」という図式がほぼ定着し、たとえばそれを支援する「地域若者サポートステーション」は全国に160ヶ所も設置され、その維持予算に30億円が計上される。

僕自身、ながらく若者支援者だった。ある意味それは時代と状況のニーズだったので仕方ないと思う。

が、ニートやひきこもりの中心年齢が30代半ばから後半となり、当事者としての苦しみは抱えつつも、ピア(仲間)サポートやピアカウンセリングという名称で、若者同士が支えあい、Facebookで実名発信・交流する姿も珍しくなくなってきた。

若者は(本来は25才前後の若者だろうが、日本経済のあり方から30代や40代前半も含んでいいと思う)、数で高齢者に負けるかもしれないが、その「声」を社会に届ける時代となった。そうでないと、世論を二分する重要決定時の局面において、今回の住民投票結果のように高齢者の欲望(僕自身は反維新だったが今回は言及しない)が常に勝ってしまう社会となる。

数で負けてもその存在感で勝つ、そのためには、若者はそろそろ「弱者」であることをやめなければいけない。

まず、可能な人は「実名で(これがポイント)」ポジティブな声や提案を発信してほしい。

また、たとえ25才以上で「元当事者(経験者)」であっても、ピアサポートの力に乗って発信してほしい。

そして、選挙に出馬することが可能な若者は出馬してほしい(そのために国会はヨーロッパ並みに出馬ハードルを低く~預託金の撤廃等~してほしい)。

つまりは、「若者の代表」の声が社会の真ん中に届きやすいようにするため、若者自身が発信していってほしい。

若者就労支援施設や支援者は若者を弱者扱いせず、「ピアの力」を有効に育てつつ、若者をパワーある若者に戻そう(支援が必要な方にはより正確な診断名を与える)。

ひきこもりとかニートとか無業者とか、そうした言葉をそろそろやめる時だと僕は思う。

若者を弱者に追い込み、社会的パワーを削いできたこの10年を終わらせる時が来たと思う。★