「じぶん」を乱す子どもが憎いか?~児童虐待の謎

■なぜ大人のオトコが引き起こすのか

児童虐待事件の加害者の75%は「男親」らしい。これは実父(40%)と継父・愛人(35%)に内訳される(児童虐待、過去最多の476件…加害者の約4割が「実父」)。

実母は20%程度で、加害者別にみると少数派だ。が、虐待死に至らせた親のトップは母親になる(児童虐待、加害者の64%実の親 12年摘発過去最多)。

全体的には虐待は「大人のオトコ」の犯罪ではあるが、少数だが殺人にまで至る事件(21 件/28件)は大人のオンナが引き起こしている。

だから児童虐待を考えるとき、まずは1.「なぜ大人のオトコが引き起こすのか」という点を考える必要がある。その次に、2.「凶悪ケースではなぜ大人のオンナが多いのか」ということになる。

2.は、オンナの場合はDVの加害者として自らのストレスがパートナーに向かうことはないので(むしろDVの被害者)、日常のストレスがパートナーではなく、身体的に自分より弱い子どもに向かう、という点で説明される場合もあるようだ。

凶悪事件はオンナが主原因だとしても(僕はこの裏には、「オンナへの操作的関わり」等で、何らかの意味でオトコが絡んでいると推察するが)、数的には大人のオトコが圧倒的に多いことから、児童虐待とはまずは大人のオトコが加害者である、と僕は位置づけている。

■子どもへの「邪魔者」感

ではなぜ、加害者の母数としてはなぜ圧倒的に大人のオトコが多いのだろうか。

そうしたことをこの連休にFacebookでつぶやいていたら、友人の石井正宏さん(NPOパノラマ代表特定非営利活動法人パノラマ)が以下のようなコメントをくれた。

「ここに若いお父さん(或いは母の彼氏)の性欲があると思うんですよ。早く寝てくれないかな、子ども邪魔だなと。苛立ちの背景にこれがぜったいあると思います」

なるほど、51才の僕は最近すっかり枯れ始めてきて忘れていたが、20年くらい前の自分を思い起こすと、日常的に内部から沸き起こってくる「欲動(エネルギーのたかまりのようなもの)」と「欲望(イメージの増大化~いずれも精神分析用語~)」に悩まされていた。

20年前の僕であれば、いくら子どもができて育児中心に生活しなければいけないとはいえ、内部から突き上げられる欲動に押されて、セックスを邪魔する自分の子どもに対してある種の「邪魔者」感を抱くかもしれない。しばらくは子どもが寝静まるまで待つ、あるいは寝かせつけることに集中してもそれがうまくいかなければ(子どもの都合だけではなく子どものペースに合わせる妻に対しても)、いらだちと怒りを抱くかもしれない。

これは、なかなか報道されたり論述されたりするとこはないものの、虐待を読み解く上で重要なポイントだと思う。

■「じぶん」を邪魔されることに怒ることが虐待

虐待は英語でabuseであり、直訳すると「権力の濫用」的意味であるということは当欄でも触れた(虐待の謎~abuseとアタッチメント)。

親(特に男親)という「力(権力/power/pouvoir)」は、上の性衝動の取り扱いの事例で考えるとわかりやすいが、子どもに対して「邪魔者」感をいだく。

邪魔者とされた子どもは、排除される力/powerを動員され被害者となる。これが虐待だ(同じく大人のオトコの暴力発動でも、女性パートナーに向かうDVの場合は排除のすぐ後に謝罪がやってくるから〈アルコール依存症等〉少し毛色が違う。そっちはいわゆる「共依存」)。

大人のオトコは児童虐待の主原因でもあると同時にDVの主原因でもあるという、どうしようもない存在なのだが、今回は大人のオトコ分析に細かく踏み込むのは避けよう。

ここで触れておきたいのは、「なぜ、自分のペースが乱される『程度』で、虐待という最悪の事態にまでなってしまうのか」ということだ。

言い換えると、常に乳幼児のペースで進むのが子育てであり、そこを乱されると(つまり「親自身のペースを乱されると」)、なぜ(父)親たちは虐待にまで走ってしまうのか、ということだ。

当欄であまり長く書いても読まれないため、さらに言い換えてみると、「なぜ我々は『自分』のペースを他者(ここでは乳幼児)によって乱されることが虐待になるまで腹が立ってしまうのか」ということだ。

そしてそれがなぜ「(貧困状態にある)大人のオトコ」たちに数としては顕著に見られるのか。

どうやら貧困は、大人のオトコから「他者」を奪い、凶暴にさせ、「他者のペースで遊ぶ楽しさ」を楽しさとして見いだせなくしてしまうようだ。「じぶんのペース」でいることのほうに快楽を抱くようになり、他者(イノセンスな子ども)を否定してしまう。

このあたりが、哲学好きの僕ができる、児童虐待に関する一つの答えを提案できる問いのようだ。次回以降も続きます。★