「1日中『間食』ダイエット」で、自由になる

■1日1食ダイエットの流行

当欄は子ども若者問題を主としてとりあげる欄であり、ここ数回は児童虐待を「哲学的に」考察したものが続いた(虐待という暗闇に我々はどう取り込まれ、その暗闇から我々はどう逃れているか)。

今回もさらに虐待を突き詰めていこうかなと思っていたが、虐待は重大問題だとはいえ深刻な問題だ。アクセス数もそれほど多くはなく(そのわりにFacebookで反響はある)、支援者ではない一般の方々には少々「きつい」テーマかもしれない。

そこで今回は少し趣向を変えて、この前Facebookのタイムラインで気分のまま書き込んだにしては意外と反響のあった「1日1食ダイエット」を超えた「1日中『間食』ダイエット」について書いてみる。

1日1食ダイエットは、数年前に南雲医師が提唱して話題になり(医師 南雲吉則の場合)、最近では福山雅治らの芸能人も実践して注目を浴びているらしい(福山雅治、ビートたけし、タモリは1日1食。カロリー4割減なら老化を防ぎ、6割減なら悟りを開ける)。

1日1食といえば多くの人は「自分には無理」となってしまうだろうが、僕が南雲医師の本を何冊か読んで研究したところ、1日1食とは、食事らしい食事(主食+副菜数品+飲み物)を1日1回にするということで、あとはお菓子なども含む簡単なものでその都度補給していくというものだ。

南雲医師は、仕事や家庭での「つきあい」が夕食に集中することから、夜を1日1食の「1食」にすることを推奨している。その他は、スナックやケーキや果物等で補いトータルのカロリーを2000〜2300キロカロリー程度に抑えるという食事法、これが「1日1食ダイエット」の基本メソッドだ。

■脳出血からの生還

実は僕は4年半前の46才の夏に仕事中「脳出血」で倒れ、意識不明の重体に陥った。大阪の子ども若者支援NPO代表として働き過ぎたのがその原因だが、何かの会議がうまく進んだところまでは記憶しているが、その次の記憶は、某大病院のICUベッドから見る部屋の風景だ。

丸々1週間記憶がなく、意識が戻った時、医師は「あなたは本当に運がいい(麻痺が残らなかった)。今ある命は「生かされた命」と思って、世の中の人々のために働いてください」としみじみと僕に語りかけた。

僕は「はい」とうなづくのみだったが、確かに、脳出血で1週間意識不明だったわりには麻痺はまったく残っておらず、退院もそこから1ヶ月後に無事できたのは幸運だった。

倒れる前、僕の体重は、仕事によるストレスからくる食べすぎ飲み過ぎで87キロにまで膨れ上がっていた。これが退院時は78キロ程度まで下がっており、その後も食事へ配慮し続けた結果、現在は72キロをキープしている(30年前の大学時代の体重)。

脳出血は有名タレントの例を見るまでもなく、再発する病気だ。この再発を防ぐためには血圧コントロールが必要だが、そのためにはなんといっても体重管理が最大のミッションになる。

■1日中「間食」ダイエット

で、体重管理のために辿り着いたのが「1日1食ダイエット」だった。たしかにこれは効く。夕食を多少ドカ食いして1200kc(ごはん200kc、ビール350缶150kc、メインおかず700kc、小鉢150kc)食べたとしても、その他を2時間ごとの「間食」ばかりですませば、1間食200キロカロリーだとしても5間食程度ですみ、5×200kc=1000kc+1200kcで、2200kcですんでしまう。

これを、できるだけ夜の早い時間で摂取する。20時を超えて食べると、ほとんどが身体に沈殿していき、体重増加につながる(体重増加は僕の場合、→血圧上昇→脳出血再発危機という恐ろしいリスクが控える)。

このように、1日1食(+それ以外は間食)ダイエットは僕の救い主となった。

ただ最近は、1日の1食すらかったるくなってきており、1日すべてを間食にしたらどうなるんだろうと思って試し始めたのが1ヶ月くらい前。

もちろん、毎日「1日中『間食』ダイエット」を貫徹するのは難しい。この社会は、「食事を共にすること」というある種の規範が想像以上に張り巡らされており、そこから完全に逸脱することは、「社会に加わらない」ということを意味するからだ。

職場や家庭で、自分だけ間食で貫き通すことはほぼ不可能だ。

それでも、忙しい平日などを利用して「1日中『間食』ダイエット」を試してみると、もうこれ以上は落ちないだろうと思っていた体重が、1キロだけ落ちた。痩せすぎるのもいやなのでダイエットに関しては手抜きなのだが、このダイエットには意外な副産物があった。

■赤ちゃんも猫も「自由」

それは、「自由」なのだ。1日3食(あるいは1食)という生活ディシプリン・規範からの逃れは、僕に想像以上の「生きていく軽さ」をもたらした。

明治以来の社会の産業化と同時にディシプリン(規律)化されたと思われる1日3食というルールからある程度は自由になってはいたものの、「1日中『間食』」としてこれを徹底すると、お腹が空いてもいないのに時間が来るから食べるというそのディシプリン性と規範性がいかに不自由なことかが実感された。

僕は50才になり初めて子どもができ毎日赤ちゃんを見ているが、赤ちゃんは放っておくと、お腹が空いた時に泣いて(乳を)飲み、出したいときに(ウンチを)出し、寝たいときに寝る。

また、猫の里親となって去年からかわいい猫も1匹飼っているが、猫も当然1日3食には縛られない。人間は猫に3回食事は与えるが、猫は勝手に調整しながら餌を少しずつ食べていく。

赤ちゃんも猫も自由だ。僕も、彼女(赤ちゃん)・彼(猫)らを師匠として、僕にできる限りで「1日中『間食』ダイエット」を実践し、近代社会が構築したディシプリン権力から自由になり、人間の規範社会から少しでも自由になりたい。

つまり、「1日3食」の裏には、「権力」の匂いがプンプンするのだ。★