■LGBT/セクシュアルマイノリティとPTSDの女性たち

前々回の当欄で僕は、ひきこもりに関して「当事者2.0」の時代が来たとした(ひきこもり問題は「当事者2.0」の時代に)。

そこでは主として、「経験者」と僕が名付ける元ひきこもりの方が、集団として、「群れ」として、マスとして名乗りを上げるようになったと指摘した。

この、自らのひきこもり経験を語ることのできる方々が個ではなくマスとして現れたがことが、ひきこもり議論の新しい地平だと思うのだ。

今回はその続きであり、そして今回書く2点こそが、「2.0」の最大のポイントである。

それは、LGBT/セクシュアルマイノリティとPTSD体験を持つことになった女性たちの顕在化を指す。

■「代弁」のタイミングがわからなかった

LGBTも含めたセクシュアルマイノリティの問題は(ここではセクシュアルマイノリティに包含しよう)、以前からひきこもりの方の中に含まれていると僕は思っていた。

ひきこもりの方の面談支援をしていても、背景にセクシュアルマイノリティの問題を抱えている方々とは時々会ってきた。

だから、僕が関わってきた施設(NPO等)では、この問題に関してはできるだけ正面から捉えるようにし、スタッフ内でのミーティングで共有しつつ、保護者支援の中でも段階的に取り上げていた(保護者にバイアスを持った方が多いため、保護者と面談することで当事者をさらに追い詰めないよう慎重さが求められる)。

これはある意味、発達障がい支援よりもはるかに難しく慎重に行なう必要がある分野だ。

が、僕自身反省しなければならないが、このテーマ(ひきこもりとセクシュアルマイノリティ)をこのYahoo!ニュース個人のようなメディアの中で取り上げることは、これまで慎重になってきた。

このテーマを取り上げ、当事者への人権侵害(差別)を指摘し、啓発することで世にあふれるセクシュアルマイノリティに対するバイアス(偏見)をなくなしていかなければならない。

が、僕には、当事者を「代弁」するタイミングがわからないでいた。マイノリティの問題、当事者であるほどその当事者の問題を語りにくいという問題(これも上リンク前々回の記事参照)をクリアし、当事者にメリットがあるような「代弁」の仕方を模索し続けながら何年もたっている。

■ついに「その時」がやってきた

そうした思いを持ちつつ時は過ぎていた。

が、ついに「その時」が唐突にやってきた。「その時」とは、セクシュアルマイノリティのひきこもり経験者の方が直接名乗りを上げた、という意味だ。

12月11日、ジャーナリストの池上正樹さんが、ダイアモンド・オンライン連載のなかでその記事を書いた。

この記事(セクシュアル・マイノリティーと引きこもり 異性愛前提の社会に生きづらさを感じる人たち 池上正樹 [ジャーナリスト【第225回】 2014年12月11日])のなかで、セクシュアルマイノリティ当事者である、おがさわらたけしさんを取材し、おがさわらさんの経験や思いをインタビューに近いスタイルの記事で代弁した。

詳しくは記事を読んでいただきたいが、実名でメディアに出ること、当事者を「代表」するリスク(「代表」することで当事者一人ひとりの個別性が消去されてしまい問題が代表者の表象行為に統一されてしまう〜代表者による当事者の潜在化)をあえて引き受けたおがさわらさんのあり方に深い感銘を受ける。そして、僕なりに応援したいと思う。

このような、セクシュアルマイノリティの方々の「痛み」は、ひきこもりという大現象の前にかき消されてきた。

また、セクシュアルマイノリティというバイアスをかわすために、ひきこもりという無難な概念が用いられてきた、ということもあるだろう。けれども、ひきこもりのさらに奥にあるセクシュアルマイノリティの問題は、これ以上「クローゼット」(セクシュアリティ議論の中で使われる、当事者に対する潜在化・隠蔽化の力)に閉じ込めることはできない。

■格差社会とPTSD

もうひとつは、女性のPTSD(心的外傷後ストレス障がい)の問題だ。

これは、格差社会になった我が国で、主として貧困家庭のなかで秘密に行なわれている(ここにも「クローゼット」問題がある)「児童への虐待/暴力/性暴力」の問題のことだ。

この虐待/暴力/性暴力は、女性が被害にあうことが多い。格差社会に現れた「ステップファミリー」等の新しい家族構成は、子どもを暴力の嵐に巻き込む。幼児に対する、義理の父親や兄弟などが行なう性的暴力はトラウマとして刻印され、のちにPTSDとして症状化する。その症状は、リストカットはもちろん、解離性人格障がい等の深刻な状態を招く。

激しい行動化と人間関係の破壊を特徴とする「境界性人格障がい」として位置づけられることもあり、そうした症状の緩和には、10年単位の時間が必要だといわれる。

そうやって10年、症状がやわらぐまで当事者は家でひきこもることになり、結果として「ひきこもり」と呼ばれることになる。

が、そもそもは、虐待と暴力による被害が根本にあり、その結果としてのPTSDがある。

このことを、格差社会化の日本は知っておく必要がある時代になった。日本のあらゆる場所で、子ども(特に女性)に対する虐待と暴力の嵐が吹き荒れているいま、「ひきこもり」のような大雑把な概念として片付け真実を看過することはできない。

このような、セクシュアルマイノリティと女性のPTSDの問題が顕在化してきたことが、「ひきこもり2.0」の最大の意味である、と僕は思う。★