日本では、「戦略」は「瞬間の美」に負ける

■日本人は「戦略」が苦手か

僕は、2000年から2年間、大阪大学大学院で「臨床哲学」大阪大学文学部・大学院文学研究科 倫理学・臨床哲学を学んでからも、阪大の先生や修了生との交流を中心に、「自分の言葉で考える哲学」にずっと取り組んできた。

また仕事面では、子ども若者支援の関西の老舗NPOの代表を10年務め、その後一般社団法人代表を2年務めてきた。NPO代表時代、働き過ぎ(カウンセリングからマネジメントまですべて統括していた)のため脳出血で死線をさまよったが奇跡的に(文字通り)復活し、いまは格差社会を背景とした貧困問題から生じる若者支援(不登校・ひきこもり・ニートほか、発達障がいや虐待を背景としたPTSD〈心的外傷後ストレス障害〉等)を行なっている。

加えて仕事面では、「サードプレイス・カフェ」と総称して、3段階に分かれた「居場所カフェ」もマネジメントし(高校内カフェの「となりカフェ」、15才以上無料居場所「tameruカフェ」、中間的就労支援「tameruカフェ」)、サードプレイスを通した若者支援をなんとか推し進める。

そんななか、ソーシャルセクター(NPOや一般社団法人の公益法人、非営利活動を行なう株式会社等)にとってマネジメントとは何か、ということを常に(哲学的にも現実の経営的にも)考えている。

マネジメントには、「法人」「事業」「機能別(人事・広報等)」の3オーダー(水準)があり、たとえば法人マネジメントでは「理念・ビジョン・ミッション」の確定とSBU(戦略的事業単位)の年度ごとの決定を行ない、それに基いてオーダーごとの「戦略」を立てる。

だから長い間「戦略」は僕にとって大きなテーマだったのだが、正直に言って、何冊本を読んでもよくわからなかった。この頃は、もしかすると日本人は(経営のプロも含め)、「戦略」というものが苦手なのではないか、という結論に到達しようとしている。

■戦略とは、「1.情報、2.アセスメント(評価)、3.目標、4.アクションプラン(戦術)」という一連の流れ

経営戦略本を見ると、「戦略とは何か」という根本的な問いにクリアでシンプルに答えてくれる本はあまりない。いろいろな戦略の定義があふれ、SWOT等の現状分析の手法については詳述されている。

が、肝心要の、「そもそも戦略とはなにか」という点について、本の1ページ目に書いてくれる書物とは残念ながら僕は出会わなかった。

強いて言うと、日経新書等の入門書に、「経営とは戦略と組織だ!」等のわかりやすい言葉があったが、それでも僕は満足できなかった。

が、そうした何冊かの入門書(意外と入門書が一番役に立った)をミックスしていくと、なんとなく戦略というものが見えてきた。それは、下記のような一連の「流れ」としてまとめることができる。

1.情報

2.アセスメント(評価)

3.目標(長期→短期)

4.アクションプラン(戦術)

法人(あるいは事業)をとりまく情報を収集し、その情報にもとづいて現状を評価し、目標を立て(数年から半年先の「長期目標」をまず立て、そこに向かうための半年から2週間単位の「短期目標」をたてる)、それに向けて具体的なアクションプランを練り上げる(これを「戦術」と表現してもいい)。

この一連の流れ(情報・アセスメント・目標・アクションプラン)の総合を「戦略」とすると、すっきりする。

この「戦略思考」を思考の「土台」とし、世の中に溢れかえるさまざまな戦略タイプ(経営学者の名前をとったものからキャッチーなネーミングなものまでさまざまだ)をその上に乗せて行くと、さらにすっきりするだろう。

このような、土台的一連の流れとしては、有名なPDCAサイクルのほか、OODAループ(監視-情勢判断-意思決定-行動)というものもあるようだ。PDCAについては、Pのなかに上の「情報・アセスメント・目標・アクションプラン」が組み込まれているため戦略も含んだ長期行動計画の実践のようなものだが、OODAは今回記事の戦略思考とそっくりだ。

つまりは、こうした発想は、軍事戦略(OODAは軍事から転用)やビジネス戦略の世界では当たり前すぎるほど当たり前のものであり、ちまたあふれる戦略本は、こうした「現状分析→目標→行動」の土台的サイクルを元にして、さまざまな流行の戦略メソッドが編み出されているということだろう(だからいちいち本には記述されない)。

■「支援」でも戦略は使える

実は、現場仕事である「支援」の分野でも、この戦略思考は取り入れることができる。

それは、「個別支援計画」として障がい者支援に導入されようとしたり、「ケースカンファレンス」としてSSW(スクールソーシャルワーク)に取り入れられようとしているのだが、前者においては日本人らしく細かく取り入れようとするあまり現実的ではなくなっており、後者は新しいジャンルのためまだ汎用化されていない。

前者(「個別支援計画」)では、先日行なわれた内閣府主催の子ども若者支援者研修で僕が講師を行なった際、受講者の感想から伺い知ることができた(その他、最近僕が行なう福祉支援者の講演でも同じ感想が聞かれる)。

つまり、障害者自立支援法に基づく個別支援計画は、発想としては上記の戦略思考を取り入れているのだが、複雑な項目が並ぶため、逆に記述するほうは混乱してしまっている。

■瞬間の美〜「つぎつぎとなりゆくいきほい」

日本人には戦略は不向きだと言われる。それは、丸山真男いうところの「つぎつぎとなりゆくいきほい」(「歴史意識の古層」)的な、その場での完全燃焼を美学とし、計画的長期的で目的性をもった発想を遠ざける国民性が背景にあるから、と今のところ僕は考えている。

この「古層」はしっかり現代社会の国民にも根付いており、たとえば、先日アイススケートの羽生選手が見せた、長期的な選手生命も顧みずに、外傷後も滑り続ける姿を「美」とする姿、それにたいしてポジティブな評価が溢れかえるメディアなどを見ていると痛感する(スポーツはわかりやすく、何日も延長した軟式野球大会決勝などもあった)。

土台としての戦略思考(「現状分析→目標→行動」)は、マネジメントから現場のケースカンファレンスまで幅広く生かせる。数週間〜数ヶ月単位のモニタリング(目標の達成度の評価)をこまめに行なえば、この戦略思考こそが最強だと僕は思う。

が、日本人は、戦略の一部(分析手法等)を取り上げるだけであったり、戦略のさらなる手前に位置する「理念・ビジョン・コンセプトの意味」でさえ曖昧だったりする(世界的な市場で勝負するグローバル企業でさえも、それらの位置づけが曖昧なところもある〈個別企業名は昨今はなかか出せないから控えるが、たとえば某ファッション系グローバル企業のHPを見てみると、最重要点がその企業の単独性がまったく見えない「さらなるグローバル化を目指す」だったりする〉)。

あるいは、グローバル企業/世界的大企業は当然綿密な戦略をたてビジネスで実践しているのだろうが、その戦略文化が国内の「普通の日本人」の価値観にまでになぜか波及しない。

戦略は有効であり、求められている。が一方では、日本人には「古層」があり、どうしても戦略が後回しにされ負けてしまう。

今のところ僕は、少なくとも日本という海に囲まれた国内においては、分析と目標と実践からなる「戦略」よりも、瞬間の美を尊ぶ「古層」のほうがなぜか尊重されてしまう、というのが結論になっている。★