発達障がい者が日本の「戦略」を担う

■「空気」

発達障がいの方はいくつかの「生きづらさ」をもっていて、その一つがいわゆる「空気」を読むことが苦手だということだ。

その「場」ではどのようなテーマで現在話されていて、どのようなことが好まれているか、瞬時に読み取る力のことだ。

あるいは、その場ではどのような話題を言ってはいけないか、どのような話題がタブーなのかを瞬時に読む力のことをいう。

日本社会はこうした「空気」圧力が強い社会だと言われており、発達障がいの方は(主にDSM4〈アメリカの診断基準〉でいうところのアスペルガー症候群の人ではあるが、現実にはADHD等他の発達障がいも重なっている)、このような「空気」を読むことが苦手だ。

日本は典型的な「同質社会」だともいわれていて、その同質性の結果現れるのがこの「空気を読む」社会だともいえる。もっと「多様性」が基板になった社会では「空気」が理解されないから、より言語的コミュニケーションが重視されるだろう。

その場合、言語の「ウラ」を読んでも混乱が生じるだけだから、「空気」は不要になる。古い表現だが、言語表記(シニフィアン)と言語の意味(シニフィエ)は常に一体であり、複数のシニフィエが用意されない社会、これが多様性の社会とも言える。

が、日本は究極の同質社会であり、その結果「空気」を読むことを求めらる。これが発達障がい者にはつらい。

■「見通し」

「生きづらさ」のもうひとつは、アドリブがきかない、ということだ。言い換えると、急な予定変更に弱い。あるいは、「見通し」が崩れた時に不調が訪れる。

逆にいうと、「見通し」通りに物事が進んでいる時、精神的安定が訪れ、高いパフォーマンスを提示することができる。

日本社会は丸山真男が論文「歴史意識の古層」(『忠誠と反逆』所収)で示したように、「いま」という瞬間に燃え尽きることを美学とする社会でもある。

それは、「つぎつぎとなりゆくいきほい」という言葉につめ込まれた、日本人が万葉の時代から(あるいはそのずっと以前から)持つ古層的価値観であり、容易には崩れることがないだろう。

つぎつぎとなりゆくいきほい、ということは、つまりは「アドリブ(現在進行で予定を変化させる)」が好まれる社会だともいえる。

これが、発達障がい者にはつらい。発達障害者は、ヨーロッパの「戦略」文化のように、「現状を分析」し、「目標(長期・短期)」をたて、そのための具体的アクションプランを練る、といった計画性を好む。というかそうした戦略性が楽だし意味がわかる。

「つぎつぎとなりゆくいきほい」は、常に見通しを崩す価値であり、見通しが崩れることが美しいと判断される社会だ。

こうした価値判断が底流に流れる社会は、発達障害者は生きづらい。

■ガラパゴスと戦略不在

が、このような、1.同質社会に基づいた「空気」文化と、2.古層的価値に基づいた無計画な現在燃焼主義こそが、現代日本の停滞を招いたものであるとも思う。

1の同質社会はあの多くのガラパゴス商品を産んだ大元だし(同質が前提だからこそガラパゴスが許される)、2の現在燃焼主義は戦略不在文化をかたちづくる大元だ。

このふたつがあることで、日本はグローバル化から取り残されているように思う。

だからあえてグローバル化を拒み、ガラパゴス(同質社会)と戦略不在(年度単位の短期計画のみ存在)を貫くという方針もあるだろう。

が、もしも我が国にグローバリゼーションを本格導入し、戦略性を文化として根付かせるのならば、このふたつを自然なまま行なえる人々をもっと社会に配置すればいいと僕は思う。

この2つを自然に行なえる人々が、つまりは現在「発達障がい」とラベリングされている人たちだ。彼女ら彼らの得意な(生きやすい)「明確な言語的コミュニケーション」と「戦略性」をもっと取り入れていけば、日本社会は少しは変わることがてきると思う。

現実には、「空気」と「現在燃焼」に慣れきったこの社会ではそれはおそらく難しい。

が、このふたつが日本社会には必要であり、これをそれこそ戦略的に取り入れることが、50年後の「8,000万人口社会」(1学年100万人×80年。8,000万人は現在のドイツの人口と同じ)をよりポジティブに迎えることができるし、何よりも発達障害者の人生が今よりも楽しくなる。★