aimaカフェ(ドーナツトーク受託大阪府/中間的就労の場づくり事業)のパンケーキ
aimaカフェ(ドーナツトーク受託大阪府/中間的就労の場づくり事業)のパンケーキ

■やっぱり平和が好きだ

残念ながら「憲法9条」にノーベル平和賞が授与されることはなかった。落選後僕は知ったのだが、今回の(これまでもだろうが)ノーベル平和賞、250も候補者・団体があったんですね。

僕は50才で、神聖化された憲法9条を叩きこまれた世代でもあるため、平和憲法が大好きで、その中核の9条の大ファンだっりする。日本の周囲の「安全保障」がどうやらとか、日米安保がどうやらとか、新しいリベラルがどうやらといった議論があることは当然知っているものの、まあ思春期に「ピース」の洗礼を浴びてしまったのだからしかたがない。

そして、ジョン・レノンやウッドストックに代表される「ラブアンドピース」と、フーコーやドゥルーズやデリダといったポストモダン運動も背景にした68年パリ革命にも絶大な影響を受けた50才としては、世界のさまざまな動向を知るレベルとは別のオーダーで、「ピース/平和」は絶対的なのだ。

ああ、こんなこと書くと現実主義なオヤジ達の批判が飛んでくるのはわかりきっている。そうした批判には、現実主義な団塊ジュニアたちに答えてもらうことにして、バブル+ポストモダンな僕としては、こう言ってしまおう。

やっぱり平和が好きだ、と。

ああ、スッとした。だって、次の東京オリンピックが終る2020年以降、国債の破綻や中国との軋轢等、我が国には難題が待ち受けているのは目に見えている。

そんなとき、シンプルな理念、つまりはこうした「平和が好き!!」という言論とアティテュードが何よりも大切だと僕は思うのだ。

■「若者」が嫌われている?

で、「若者」だ。

僕は、いまの日本ではやはり「若者」が嫌われていると思う。若者支援のNPOや学者やジャーナリストが今の日本では「若者」が弱者になっているといかに訴え擁護しようが、残念ながら「若者」は支持されない。

それは、以前当ブログでも書いたように若者への「嫉妬」から来るのか(「若者が弱い」ことをなぜ我々は認められないのか)、総中流社会時代より続く「パワーある若者」といった一般イメージに対する怖れからくるのかは、まだ僕はわからない。

が、なぜか「若者」は支持されず、擁護されない。

たとえば先日、東京の某市の市議会議員2名と語ったのだが、その議員の所属する市(60万人と15万人規模)でも、「若者」は擁護されないという。

ぎりぎり「高校生」になると、貧困問題と絡めて、ハイティーンの窮乏ということで注目されるが、20才を超えるとその「生きづらさ」への共感はとたんにダウンするのだそうだ。

こうした会話は、僕が行くところどこでも行なわれており、知識としては「弱者としての若者」は理解できるが、「若者」に対して支援することはためらわれる、若者は支援する必要はない、という言葉は一向に消えることはない。

それどころか、まだまだ「若者は甘えている」という言葉をよく聞く。

これだけ若者の窮状が訴えられ、好きこのんで若者たちがニートやひきこもりになっているわけではないとPRされている、というのにだ。

■「若者」はネガティブな理念になった

僕は、もはや「若者」はネガティブな「理念」になってしまったのだと思う。

現実の若者は経済状況の変化から多くは正社員になれず、その一部は精神的に病み、その一部は現代的障がい概念である「発達障がい」のレッテルを貼られている。

ニートは60万人、ひきこもりは70万人、「無業」は220万人、さまざまな数字が乱れ飛ぶ。

そうした数字をもとに、現代の若者の「生きづらさ」をいくらアピールしようが、それを「若者」という理念が邪魔してしまうのではないか、と僕には思えて仕方がない。

従来の、強くて力があり、大人に対して反抗的だというイメージ/理念が強すぎて、若者の現状を受け入れることができない。

もちろん身近に無業やひきこもりの若者はいないことはない。けれども、身近にいる「名前を持った個別の○○さんという若い人」ということと、従来イメージの「若者」では、どうしても従来の強くて反抗的な「若者」が勝ってしまうのではないだろうか。

■若者問題とは、「理念」をめぐる問題

要するに、いまの若者問題とは、「若者」という理念をめぐる問題だということだ。

憲法9条が、日本においては「平和」という理念の代名詞になっているようには、「若者」はまだ「弱さ」の代名詞になっていない。

実際の、目の前にいる名前をもった単独的な「その若い人」は十分弱い。弱いが、従来の強くて反抗的な「若者」という理念が強すぎて、現実の弱さを社会が受け入れることができない。

だからまだ、「若者は甘えている」などと言われる。

ここは、今回の「憲法9条ノーベル平和賞ムーブメント」と同じように、ノーベル平和賞のような象徴的なものを「若者」にくっつける提案をするのはどうだろう。

ノーベル平和賞はいわば政治の道具であり、その時々の国際政治に一撃を与えるために使用されていることはすでに誰もが知っている。

だから「若者」にも、ノーベル平和賞級の強力な象徴的なアワードを与えればいいと思う。

現代日本社会の弱さの象徴ってなんだろ。今日のところはいまいち思いつかないので、文脈的には整合するものの論旨としてはむちゃくちゃなノーベル平和賞をあえて与えることにしようか。

「若者」にノーベル平和賞を。★

※冒頭写真は、大阪府の若者就労支援のひとつである、「中間的就労の場づくり事業」から、僕のやってる一般社団法人officeドーナツトークが展開するaimaカフェのパンケーキを貼り付けました。「若者」は、行政的には十分弱者なんだけどなあ。