「小さい大人」の復活と、「中年若者」~格差社会がもたらすもの

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■「小さい大人」

僕は10年とちょっと前に大阪大学大学院「臨床哲学」で少し哲学を学んだものの、結局アリエスの『子どもの誕生』(〈子供〉の誕生―アンシァン・レジーム期の子供と家族生活)は読まずじまいだった。

大学院修了後すっかり忙しくなってしまって、同書のような研究書をじっくり読む時間がなくなり、「あの頃読んでおけばよかった本」No.1が同書だったりするのだが、実は同書は読まずとも多数の解説がネットにも出ており、エッセンスは簡単に吸収できる。

たとえばこれらの解説がある。

〈子供〉の誕生

アリエス『〈子供〉の誕生』

一言でいうと、資本主義発生以前はヨーロッパには「子ども」は存在せず、それは「小さい大人」だった。資本主義の確立とともに「小さい大人」は「子ども」になり、肖像画・子ども服・子ども向け物語等の様々な子どもに関する表象が生まれ、それがさらに子ども概念を確定していく。

今では「子ども」は自明のものとなり、それは最初から子どもとして扱われ、最初から「学校」に行くことが当たり前となり、15~20年(あるいは30年?、あるいはそれ以上?)かけて「大人」になっていく。同時に「小さい大人」概念は少なくとも通常の資本主義諸国では消滅してしまった。

■「子ども=学校」ではない

いまさらそれが何? と言われそうだが、今朝、例の「オレオレ詐欺」(今は振り込み詐欺というのか)系のニュースの中で、あの犯罪者集団のヒエラルキーでは「銀行窓口担当」役は主として10代が担うというのを見て、「ああ、この集団のでは10代の子どもはすっかり大人扱いされているんだなあ」と考えこんでしまったことがきっかけだった。

振り込み詐欺は犯罪なので的外れかもしれないが、これからは、社会階層によっては、10代が子どもというよりは「大人」として扱われることが多くなるようにも思う。

たとえば生活保護世帯においては、10代の子どものアルバイト代は額が多ければ保護費減額につながるものの(最近は「バイト代貯金」が認められる流れ)、収入源のひとつにはなっているだろう。

このアルバイト代を親が(パチンコ等で)使い込むことが問題になっているが(これから認められるはずの「バイト代貯金」も子どもの進学等に実際に使われるかどうかは、制度改定後どうなるか見守る必要あり)、そうした現実の具体的現象はさておき、理念としての「小さい大人」は実際に現れているようにも思える。

まあ、産業革命期のイギリスのような、本当に10才以前の人間が成人と混じって炭鉱労働等を行なうという状況は当分現れないだろうが、「子どもは学校に行って勉強だけすればいい」という常識は、これからは一部の社会階層の中では通用しなくなるかもしれない。

それが、低所得者層、言い換えれば、非正規雇用世帯で現れる現象のようにも思える。

■「小さい大人」と「中年若者」

まあ日本ではそれほど極端な事例として現れはしないだろうが、10代が親と企業から二重の意味で「搾取される」という事態は、特に珍しい現象ではなくなってくるようにも思える。

企業からは最低賃金ぎりぎりのラインと長時間労働でうまく使われ(労働価値の搾取)、保護者からはアルバイト代のほとんどを上納させられる(賃金の搾取)。このような二重の搾取に10代の「子ども」たちは晒されていくのでは、と僕は予想するのだ。

産業革命期のような「小さい大人」というよりは「いろいろな意味で損する10代の人」といったほうがいいかもしれない。低所得階層の10代は、社会の中心的な人々から都合よく扱われる、このような事態が日常化していくようにも思える。

マルクスが100年前に書き綴った「搾取」が、リアルな意味をもって2010年代の日本に現れる。それは「亡霊」ではなく、実態を持った現実として出現する。いや、たぶんすでにあちこちで出現している。

我々は、まさか日本でそんなことが現れるはずないと思っているが、僕のこんな記事を読んでみようというみなさんのような方々(ネットで哲学的に社会問題を論じる当テクストを読んでもいいという方々は、たいていはミドルクラスから上の人達だろう)にはたぶん関係のない世界でそれはすでに起こっている。

それだけ我が国は階層化しているということだ。

一方では、前回の記事に書いたような「中年若者」も現れている(「中年若者」の誕生~それは「福祉の対象」か)。

「中年若者」になるためには、自分をずっと若者扱いしてくれる家庭と社会に属している必要がある。それは自ずとミドルクラス~アッパークラスになるだろう。お金がなければ、中年になっても若者でいられることは難しい。

お金がなければ若者や子どもでいることはできず、「小さな大人」になるような圧力がかかる。一方でお金があれば「中年若者」なってしまう危険性がある。

格差社会とは、両端にこのような極端な問題を生む社会でもあるだろう。

その社会が持つ問題はいつも、「若い人」を狙う。このことをあらかじめ予測し、少しでもポジティブな提案をしていきたいと僕は思う。★