■分厚くなった青少年支援

今回は少しマニアックな「ひきこもり支援」の話。マニアックではあるが、概念の創設とその社会への受け入れの移り変わりという点では、一般化できる話だ。

僕がふだんメインで行なっている仕事は、高校中退予防事業(officeドーナツトークトップページに「高校生居場所カフェプロジェクト」の様子が日々更新されている)ではあるが、この10年はどちらかというと「ひきこもり・ニート」支援を中心に行なってきた。

98年に斎藤環さんが『社会的ひきこもり』斎藤環著・PHP新書を出版して以来、「ひきこもり」は一般化され、不登校だけではなく、10代後半から20代・30代(最近は40代も)になっても社会参加できず苦しむ青年たちを表す言葉として機能してきた。

斎藤環さんのたぶん歴史的名著。名著ではあるが、読者側が時代の変化を認識しなければいけない典型例。〈クリックしても飛びません~〉
斎藤環さんのたぶん歴史的名著。名著ではあるが、読者側が時代の変化を認識しなければいけない典型例。〈クリックしても飛びません~〉

03年からそこに「ニート」も加わり(「通学・就労・職業訓練していない若者」という意味だが、「ひきこもり状態を抜けたの次の段階」という意味でも用いられる)、青年支援は分厚くなっているというのが現状だ。

ひきこもり・ニートの背景には、発達障がいや精神障がいも含まれるというのが実態で、ゼロ年代半ばころからは、医師も含めた支援者の共通理解として、性格的なひきこもり・発達障がい的なひきこもり・精神障がい的なひきこもりの3種類がひきこもり当事者には分類されるということになっている。

■斎藤環さんの仕事と、対象の曖昧化

斎藤環さんが『社会的ひきこもり』で示したひきこもり像は、このうちの「性格的なひきこもり」を指すと思われ、上掲書でも「精神障がいは含まない」と銘記されている(98年当時は発達障がい概念が存在しなかった)。

が、このようにひきこもりが3分類されているにもかかわらず、まだ世間では「社会的ひきこもり」という用語が流通しているようだ。

しかも、その「社会的ひきこもり」は「性格的ひきこもり」を指すと明言せず、15年前と同じように、あらゆるひきこもり現象をまとめて「社会的ひきこもり」と表現しているように感じる。

このことで引き起こされる弊害が、以下の3つある。

1.対象を曖昧にしてしまう

上述したように、現象としてのひきこもりは、発達障がい的ひきこもり・精神障がい的ひきこもり・性格的ひきこもりの3種類に分けられる。この3種を明確に類別することは難しいものの(発達障がいをベースにして精神障がい的症状が現れる等)、近代医学の特徴である診断とカテゴリー分けを、このひきこもり現象にも応用することはできる。

このように診断と類別を行なわないと科学は成り立たず、それをもとにした支援もやりにくい。

僕は哲学がベースなので、こうした診断と名付けによる「暴力」(デリダ的言葉遣いですが)に抵抗を感じつつ、これは支援する際に仕方のない行ないだと思って受け入れている。

第一、支援を受ける当事者とその保護者にとって、自らをできるだけ早く診断してもらいその線に沿った支援(それが医療・福祉的支援だろうが一般就労支援だろうが)を受けるほうがメリットが大きい。

こうした支援を受ける手前の「提示・告知(医師が行なう)・受容」という段階は大きなショックが伴う場合はあるものの、そのような過程をあらかじめ支援者が理解して動けば、なんとかフォローできると僕は考える。

このようにできるだけ早く当事者の「ひきこもりの正体」を見抜き、その正体に沿った支援を組み立てることがベターだろう。

が、「社会的ひきこもり」という曖昧な概念は、そうした支援の組み立てを先延ばししてしまう。社会的ひきこもりという言葉に乗っている間は、明快な支援ベースに乗ることができない。

■経済格差と無料の就労支援

2.「中・上流」階級の当事者のみ支援を受け、同時に問題解決が遅延する

「社会的ひきこもり」はそのあいまいな概念ゆえ、福祉的補助が効かない。具体的には、障害者手帳や障害者年金が受けられない。

また、NPOの支援にしても、NPOの本来支援事業(3の委託事業〈サポステ〉ではないNPO本来の事業)は有料のため(たとえば月謝数万円)、「下流」階級あるいは非正規雇用階級の人たちは経済的に支援が受けられない(これらは3の「就労支援」にまわる)。

支援を受けることのできる中・上流階級にしても、高い月謝を払いながら「社会的ひきこもり」として生きていくことになる。

が、実態は上述したように、発達障がい・精神障がい・性格のいずれかだから、そのいずれかを明確にしない曖昧な「社会的ひきこもり」支援(多くは古くからある当事者同士の交流の補助的支援)は、問題の明確化を遅延させる。

そうして当事者は年齢を重ねていく。

3.無料の就労支援(サポステ)にすべて流れる

今年度、全国に160ヶ所まで拡大した「地域若者サポートステーション」の支援は、原則として無料である。だから経済的に困難な層は(あるいは中上流家庭の若者でも通っているだろうが)、このサポステに流れてくるが、このサポステ支援の中身は、各サポステ(多くはNPO)に任されている。

ここで、サポステを運営する団体が「社会的ひきこもり」支持団体であれば、上述の問題が繰り返される。つまり、社会的ひきこもりという用語に隠蔽され潜在化された真のひきこもり問題が発見されず、支援が先延ばしになっていくのだ。

■「地域格差」があるひきこもり支援

が、問題はさらに続く。

実は、ひきこもり支援には「地域格差」があるのだ。

以上のようなことをTwitterでつぶやいていると、知り合いの学者が「私の◯◯県では、『社会的ひきこもり』すらまだ知られていません。がんばれば何とかなる的根性論的支援がまだ残っている」と書き込んだ。

そう、「社会的ひきこもり」ですらまだ知られていない地域がある。知り合いの県は東海地方の中心的県なのだが、そこでさえそうなのだから、ほかにもそのような地域はたくさん残っているに違いない。

「社会的ひきこもり」が役立つとすれば、そのような青少年支援未開の地を切り開くための啓蒙ツールとして、のみだろう。

が、啓蒙ツールとしての働きは一時的なものにしなければいけない。大都市のように15年もそれを延命させてはいけないのだ。

啓蒙が終わった地域では一刻も早く消滅し、未開の地では啓蒙し次第消滅する、これが「社会的ひきこもり」の現在の役割だ。★