グローバリゼーションと「サードプレイス」~銭湯・映画館・野球場……

■youtube動画でサードプレイスを語った

前回はスターバックスと「となりカフェ」というタイトルで、スターバックスに代表される「サードプレイス/現代の『居場所』」だけでは何かが足りないとし、僕の法人が大阪の府立高校内で展開する「高校生居場所カフェプロジェクト」にはその足りなさを埋めるものがあるのでは、と書いてみた。

その点をさらに埋めるために、哲学を現代社会の中で応用する2人の友人(ビデオ冒頭でも紹介した菊地建至と大北全俊の両氏。ネットでの発信活動も活発に行なっておられます)に集まってもらい、グローバリゼーションと「サードプレイス」について、さらに突っ込んで語ったみた。

ちなみに我々は「哲学者になる」というグループで、時々集まっては哲学的対話をiPhoneで動画撮影し(今回は僕の最新iPhone5sを使った!!)、我々の関心あるテーマで対話している。

同グループに関心ある方はこの記事イオンモールとは何だ?~「哲学者になる」@岡山等をご参照ください。動画付きです。

そういえばこの岡山での対話も「イオンモール」というグローバリゼーションについて徹底的に語っている(ちなみにその前の広島編行政でもマーケットでもないサードセクターも貼り付けておきます)。

このYahoo!ブログにはyoutube動画のみ掲載可能のようで、さらに、当Yahoo!ブログにはこうした「哲学的対話」動画は少し実験的すぎるかもしれないため(Yahoo!個人ニュースは日々のニュースが主軸だから、問題を一般化・抽象化の段階にまで上げて共有する記事は少ない)、僕がこの「グローバリゼーションと『サードプレイス』」についてまとめて語った冒頭の5分動画のみ貼りつけた。

それが冒頭のyoutube動画です。マイ動画を貼り付けるのはYahoo!ブログでは初めての試みなので、添付が成功していることを祈ります。

興味ある方は、僕の個人ブログに「哲学者になる~グローバリゼーションと『サードプレイス』」全編をアップする予定なので(田中俊英ブログ)そちらを参照願いたい。

■あなたはこのサードプレイスを欲するか

僕には今回のyoutube動画で語っている以上のネタはなかったのだが、対話とはおもしろいもので、しゃべっているうちに徐々に話が深まり始める。

今回は動画としては添付していないものの(上記「田中俊英ブログ」のほうをご参照を)、以下の2点が「サードプレイス」を語るうえで欠かせない視点として浮かび上がってきた。

1.「サード」を語るということは、その人がもっている「ファーストプレイス(家庭)」と「セカンドプレイス(職場・学校)」をあらためて見つめるということであり、ファーストプレイスとセカンドプレイスのあり方によって、どのようなサードプレイスが必要とされているかがわかる。

そのため、スターバックス的サードプレイスだけで十分だという人もいるし、それでは不十分という人もいる。

2.現代社会で拡大した、シネコン、スーパー銭湯、ドーム球場等の、一見サードプレイスに見える場所には「逃げ場」あるいは「くらやみ」がない。シネコンのロビーは巨大な「行列スペース」であり、スーパー銭湯の飲食店ではチェーン店経営によって完璧なコントロールがなされ、ドーム球場の飲食店やトイレには清潔で管理が行き届いている。

行列せず単にソファに座って時間つぶしする映画館、飲みたいフルーツ牛乳が売り切れの日もたまにはある銭湯、トイレは臭くスタンドはヤジで埋め尽くされているものの地元の焼き鳥はそれなりに美味く売り子のバイトも時々サボってタバコを吸う野球場、これらはゼロ年代はじめ頃までにはほぼ消滅した(地方にはまだ残る)。

これがつまりは「グローバリゼーション」の具体的稼働ということでもある。

人によっては(1でいうファーストプレイスとセカンドプレイスのありようによっては)、スターバックスとイオンモールとドーム球場で十分だという人もいるだろう。そうした人たちは、グローバリゼーション下の「サードプレイス」で十分な人たちだろう。

僕も告白すると、喫茶店のタバコは嫌いだし、お風呂にフルーツ牛乳がなくても別にかまわないし(というかほとんど自宅シャワー)、野球場のトイレは清潔さがほしい。

今から30年近い前の大学生の頃、タバコでくさい京都の喫茶店で友人と語らい、銭湯で隣のヤクザに気を使いながらフルーツ牛乳を飲み干し、時々甲子園に行っては臭いトイレに我慢しという、そうした日常を送っていた僕としては、今の、スターバックスとスーパー銭湯とイオンモールが整った社会は理想的なはずだった。

が、社会が実際にそうなってみると、つまりグローバリゼーションが全面稼働し、社会が「システム」で覆われてしまうと、何かが異様に窮屈なのだ。

そのことは、子どもや若者という「社会の合わせ鏡」を観察しているとよくわかる。

前回も書いた、府立西成高校の「となりカフェ」(学校内のサードプレイス)は、この頃は常時30名の生徒で賑わっている。その様子を見ていると、完全に統御された空間ではなく、少し「余白」のある空間を子どもや若者は求めているんだなあと思う。

それが僕の欲する「サードプレイス」でもある。★