スターバックスと「となりカフェ」~グローバリゼーションの「サードプレイス」

■サードプレイスなスターバックス

流行りのノマドではないけれども、僕は常時マックブックエアーを持ち歩き、町中のカフェでいろいろな仕事をしている。

それは、こうしたブログ執筆(自身が経営する一般社団法人「officeドーナツトーク」の広報戦略の一環でもある)、さまざまなメール送受信、最近は減ったが一時は盛んに行なっていたスカイプ会議、企画書執筆等があり、こうしたノマド型の人にとっては当たり前の仕事風景だと思う。

で、町中のカフェの代表選手に当然スターバックスも入るのだが、当ブログのテーマでもある「居場所」に関連して(たとえば、モノや習慣、そして「居場所」で、階級社会を吹きとばせ!!)、居場所と似た概念である「サードプレイス」の大元となったのがこうしたカフェでありスターバックスなのだということを最近知った。

詳しくは、今月翻訳出版される予定のサードプレイス提唱者であるオルデンバーグの主著『The Great Good Place』、サードプレイスを実践したスターバックスCEOハワード・シュルツ『スターバックス成功物語』等を参照してほしい。

現代日本でのサードプレイスは脆弱らしく、家庭(ファーストプレイス)と学校・職場(セカンドプレイス)とは別のサードプレイスとしては、やはりスターバックスをはじめとしたカフェがある程度らしい。

その他、読書スペースのある大型書店や、休憩スペースが充実するイオンモール等の郊外型ショッピングセンターなども「サードブレイス」になるのだろうが、これらが「第三の場所」としての中心とは、若干寂しさを感じるのは僕だけだろうか。

■マーケティングのサードプレイス

なぜなら、それら「大型」チェーン店には、「余白」というか「遊び」というか、ある意味「迂闊さ」がない。

すべてはマーケティング戦略でくくられるであろう共通した理論に基づいた「プレイス」提示をしているように僕には感じられる。それは、高級感あるコーヒー豆の選択・ソファを中心に配置した椅子の設営・こざっぱりとした店員のあり方・全スペース禁煙・落ち着いた音楽の選択、これらがすべて、サードプレイス理念に基づいたマーケティングだと僕は推測する。

言い換えると、グローバル展開(グローバリゼーション)する「カフェ」商品の提供ということであり、これが具現化しているのがスターバックスのあり方だということだ。

「サードプレイス」を部分的に取り入れた大型書店やショッピングセンターのあり方も、基本的にスターバックスと同じだと思う。スターバックスは、「サードプレイス」そのものが会社のビジョンとミッションになっているところが徹底している点だろう。

以上、少し斜めから批評しているが、冒頭に書いた通り、僕は、こうしたグローバリゼーション・カフェに毎日のように訪れている。

以前からある「喫茶店」は、タバコの煙で充満しているし、テレビはうるさいし、時には普通のAMラジオもかかっているしで、まったく落ち着かない。

一度、スターバックスのようなカフェの味を知り、落ち着いたなかでマックブックエアー仕事できる喜びを知った今、もうあの古くて「昭和」な喫茶店には戻れない、というのが、正直な感想なのだ。

■「規範」から自由なサードプレイス

が、街中すべてがスターバックスになってしまうと、微妙に寂しい、というのも本音ではある。街中、サードプレイス理論とグローバリゼーション・マーケティングに基づいたカフェ・書店・ショッピングモールばかりになってしまうと、何かが足りない。

何か、遊びというか、余白というか、「迂闊さ」というか、気軽さというか、「システムの外」というか、そんな、「理論」と「マーケティング」の外に時々いたいというのも、僕にはある。

「マーケティング」や社会の決まりごと、つまりは「規範」から多少自由になっている「サードプレイス」もほしいのだ。

その、規範から多少自由なサードブレイスの一例として、「高校生居場所カフェ・プロジェクト」があると僕は思っている。

これは、大阪府の委託事業(高校中退・不登校フォローアップ事業)として、当法人が大阪府立西成高校や桃谷高校で展開する事業だが、これまでであれば民間ソーシャルセクターが入りにくいとされていた高校の中に「高校生居場所カフェ」を創設し、教師からはなかなか見えにくい悩みを抱えた生徒たちが気軽に立ち寄れる場所として昨年から始まっているものだ。

学校は社会への入り口の機能を果たすだけに、社会の「規範」を知らず知らず教えていく機関でもある(フーコーであればこれを「ディシプリン=規範権力」というだろう)。

規範から完全に自由な生き方は人間としてはありえないが、逆に、規範が過度のプレッシャーとなり不登校になることも普通にある。

「となりカフェ」は、グローバリゼーションの中のサードプレイスではないものの、規範社会の中の一時的サードプレイスである。ポイントは、これが学校の中に設置されていることであって、このことにより、生徒は学校の中で規範を体感しつつ時にそこから「自由」になることができるということだ。

自由を一時的に体感できる場所、そんなサードプレイスがあってもいいと思う。それが「となりカフェ」だろう。★