■iPad野郎に勝ったが……

ドラマ「半沢直樹」を僕もいつの間にか見るようになってしまって、昨日もなんとなく見始めたら最後まで見てしまい、まるで昔のドラマや熱血漫画を見るような感じで感情移入してしまった。

僕のお気に入りは、例の「オネエ」の歌舞伎役者さんなのだが、様々な脇役のキャラが立つ「半沢直樹」を見ていて僕は、「あれ、これっていわゆる『経営』がテーマでもあるのに、一向に『戦略』等々の僕お気に入りの言葉が出てこないなあ」と思ったのであった。

昨日(9/8)の話では、半沢直樹は「数字」が得意でいつもiPadを離さない自分の後継候補と対決していた。最後にはもちろん半沢が勝ったのだけど、勝った理由はシンプルで、「おまえ(iPad野郎)は『現場』に立つ人と実際に会ったことがあるか!?」という半沢の問いにiPad野郎が真正面から答えられなかったという点だった。

iPad野郎は、売上等のデータばかり見ていて契約先会社を経営する「人」と実際に会っておらず、そんなこと(数字を見て人を見ない)ではあの会社の行く末がわかるわけない!! という半沢の血走った目にすっかり敗北してしまったのであった、iPad野郎は。

■「数字」と「現場」しかない

それを見て、僕は正直に言ってスカッとしたのだけれども、そのあと、なんだか違和感を覚えたのであった。

それは、あのドラマは企業経営を取り扱っているにもかかわらず、その「経営」の中身を、「経理」と「現場」に集約してしまっているということだった。

社会の構成原理として「中心」をもたず「責任主体」を明確にしない日本といえども、西洋近代主義で表面的にはかたちづくられている現代の企業においては、一応それっぽい経営論理はあると僕は思っている。

それはもちろん「戦略」思考の導入であり、目的や計画の明確化、それにいたるロードマップやアクションプランの作成など、超当たり前と言われている事柄たちだ。

そこには当然、iPad野郎が操る会計事務的なデータも必要ではあるが、それは財務戦略の中のひとつであり、上位概念である事業戦略やそのまた上の概念である法人戦略を形づくるひとつの要素でしかないだろう。

また同時に、半沢お得意の「現場と人」話も、事業戦略の中の構成要素の一つにしかすぎないことは確かだ。が、「人」が経営のすべてを形作っていることは確かではあるから、半沢のいうことに誤りはない。

けれども、すべてを「現場と人」に集約してしまっては、つまりは「一生懸命やっていればすべては勝ち」ということになってしまう。

現実は、現場が一生懸命やっていても潰れる会社は潰れるから、「戦略理論」等は確固たる理論化が困難ななか、世界中の経営学者たちを中心に取り組まれている。

それを、「おまえ、あの人に実際に会ったことがあるか!!」というすごい眼力のもと恫喝されてしまっては、iPad野郎もかわいそうというものだ。

■大きな「壁」

ドラマや漫画は、見たり読んだりする人の「欲望」と「限界」をそのまま反映していると僕は考える。

つまり我々ドラマを見る側が、「経営とはたぶんそんなもんなんだろう」と納得できる範囲でのみ、その専門分野(ここでは経営)は描かれる。

今のところ我々にとっての経営は、「(iPad的)数字」と「現場の人」であり、決して「戦略」ではない。

だから日本の戦略研究家や経営学者や経営者は、チマチマ隠したりせずに(あるいは庶民にもわかるよう理論化して)、もっと「戦略」の必要性を発信していく必要がある。

そこには、理念や目標や責任といった諸概念から程遠い「日本人」という国民性が壁として大きく立ちふさがっていたとしても、だ。★