日本人はなぜマネジメントや戦略を忘れるのだろうか~大阪を変える100人会議1周年フォーラム~

1周年フォーラム開始直後。このあと300人程度まで参加者が膨らんだ。

■「大阪を変える100人会議」設立1周年フォーラム

昨日、「大阪を変える100人会議」設立1周年フォーラム(大阪を変える100人会議)があり、NPO等のソーシャルセクター・行政・企業を中心とする300人程度の人が大阪・淀屋橋にある大阪ガスビルに集まった。

僕も、「困難を抱える若者支援」という分科会のコメンテーターで参加した。そこでは、現在の若者支援をめぐる話題やソーシャルセクター/ビジネスの現状について熱い語りが展開されたが、やはり昨日も、この種の集まりでいつも抱く感想をもったので、簡単に記しておこう。

当分科会だけにかぎらず、僕が参加した1部においても(まとめの3部は残念ながら中座)現代的なソーシャル事業が提案・報告されていた。

いずれも可能性がある豊かな発表だったと思う。

が、その事業発表においても、ある一つの視点がなかった。

それはつまり、「戦略」あるいは「マネジメント」の視点だ。

■美しい現場エピソードは、マネジメントが機能不全だからこそ

こうした会合が催され、分科会に分かれていき各話題に絞り込んで話し合うとき、僕は、そこに「マネジメント」や「戦略」の話/視点が出てくるのを聞いたことがない。

以前(30才代まで)はそれでも別によかった。が、某NPOの法人マネージャー(代表)を10年務め、現在も小さいながら一般社団法人を設立してその法人マネージャー(代表)を務めていると、「現場」報告で埋め尽くされるこの種の会合がもどかしくって仕方がない。

なぜなら、そうした「現場」が形成されるために、「マネジメント」のレベル/オーダー(水準)では多大なる労力が払われているからだ。

事業マネジメントの中身だけでもざっとあげてみる(マネジメントにはほかに、法人全体のマネジメント、人事等の機能別マネジメントなどがある)。

それらには、団体ミッションと戦略に基づいた事業「コンセプト」の設定、事業内人事戦略、事業の会計事務、広報戦略とその展開、次年度に向けてのアドボカシー(通常の企業活動であれば「営業」)、スタッフの労務管理、サービス受給者へのサービス内容考案・サービス提供・利用者管理等々、驚くほどの仕事が含まれる。

そうした様々な視点なくして、「現場」は形成されることはまず不可能だ。

それが可能だと思っている現場は、以下の理由で事業が回っているにすぎない。

つまりは、1.その事業の規模が小さく1人のリーダーが多くを兼務できる、2.リーダー兼務で補えない場合、スタッフが兼務していく、3.リーダーとスタッフの兼務で補えない場合、ボランティアも動員する等で、その事業は運営されている。

それが結果からすると、「汗と涙の現場」となり、そこにはそれなりに美しい物語が生まれるのではあるが、その美しいエピソードの誕生は、言い換えると、マネジメントの機能不全(スタッフのボランタリーな献身的貢献)が前提にあるから生まれるとも言える。

本来マネジメントがうまく機能していれば、美しいエピソード(スタッフやボランティアによる必死の現場作業等)は少ないかもしれないが、事業の結果(たとえば利用者数の増加)はある程度あらわれ、それが次年度事業へとつながっていく。

そして、スタッフの疲弊も、マネジメントがないよりは少しはマシになっているだろう。

■マネジメント不在の、4つの理由

このようなことを嘆いてもすぐには変化するわけがないので、少し虚しさも感じながら、そのような「マネジメント/戦略が苦手、現場が大好き」な国民性に日本がなった、その理由を思いついたまま書いてみる。

1.社会主義・労働者優先主義の残滓

日本では、社会主義の影響が最近まで残っていたと僕は捉えている。共産党はもちろんのこと、民主党のなかにも組合の影響はいまだ強く残っていると聞く。

そのことを批判しているのではなく(僕は実はマルクス好き。『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』は傑作評論!!)、社会主義とはつまり労働者優先・現場優先の思想だから、資本家(死語かな)優先の「マネジメント」や「戦略」とは基本的に合わない。

2.日本人は几帳面で、気配りできて、工夫好きで、超器用

僕は日本が嫌いだけども実際はずっと日本に住んでいる意気地なしだからイマイチ実感できないのであるが、いろいろな情報を合わせて考えると、やはり日本人はかなり几帳面であり、細かいことに気配りができ、同時に手先が超器用のようだ。

これは、どうしても「現場」仕事向きだといえる。

3.「中心」がない歴史と文化

これはさまざまな論者が言及するテーマ。第二次大戦なとにも典型的に見られたように、日本は社会のすべての面において「中心」が現れにくい文化であり、それは究極的には天皇を中心とした我が国の歴史につながっていく。

結果的に、責任所在が曖昧で中心が不在の組織を「組織構成員の『空気』」が選んでしまうしまうということは、人為的な「ミッション」や「戦略」が立てられない歴史と文化ということでもある。

4.「諸行無常」と「はかなさ」と「もののあはれ」

僕は究極的には、我が国の短期視点好き(長期視点が苦手)の原因は、自然災害の多さにいきつくと思う。これほど定期的に大規模な災害が襲うエリア(たとえばこの300年を見ても、80年単位で大地震に襲われる)においては、すべては無常ではかなくあわれになっても仕方がないのかなあと。

だから長期的戦略ではなく、「目の前の課題」に対応し、それに適した単年度事業を考えることに重きを置く、というわけだ。

これら4つの理由は、僕が日頃思っていることで何の学問的根拠もないが、それをこうして書けるのがエッセイの楽しいところです。★