親は総中流、子は階級社会を生きている

■生まれつきそこは格差社会

少し前の当ブログで僕は、4割をしめるようになった非正規雇用に対して、それは数としてはサイレント・マジョリティだが立場としてはマイノリティというボリュームになったことから、そろそろ新しい名付けが必要なのでは、と書いた(21世紀の労働者階級)。

が、その前に、そもそもこの国が階級社会化したということはまだ共有できていない。

なぜなら、50才前後(バブル世代)より上、60才なかばの団塊の世代を中心に、国民の半分がいまだ「中流意識」を抱いているからだ。資産的にも50才以上の世代は裕福な(というかこれまでどおりの中流な)人たちが多く、クルマやマンション(高齢者用)も、いまだこの世代中心に売れているように思える。

が、その子たち(40才から下あたりか)は、格差社会化の時代に大人になり、格差社会化・階級社会化した現在のどまんなかを生きている。

35才前後の団塊ジュニアたちは、ニートやひきこもり問題の出現、非正規雇用の問題に直面した15年を過ごしており、その15年はまさしく日本が階級社会化してきた15年だった。

が、その下の、20才あたりから下の世代は、そうした世代間激変を現在進行形で見ることはなく、思春期以降、「『社会』というものを学び始めると同時に、日本はすでに格差社会になっている」という時代を過ごしてきている。

まさに、階級社会が当たり前、それが前提の社会の中で日常生活を過ごしているのだ。

■自分の「階級」を言語化できない若さ

いまの日本の不思議は、そうした「思春期以降『社会』に目覚め始めた時から格差社会」という社会のなかで、「自分の属する階級」を意識して大人になった大人がまったくいないということだ。

いまの大人は、総中流社会で大人になった大人か(50才以上)、格差社会化するなかで大人になった大人(40才から30才)しかいない。

「気づけばここは格差社会だった」という大人はこれから大人になっていく人たちであり、いまのところ、自分の立場を自分の言葉で説明できる力を身につけるだけの時間を過ごしていない。

また、そうした言語能力をつけた若者は、残念ながら(幸福なことに?)格差社会の「上」のクラスに属しているから(家の経済状況を反映して小さい頃から高等教育を受けている)、「自分の問題として」格差社会のきつさを語れない。

他人ごととしては(研究対象としては)語れるが、自分のつらさとして、日本の格差社会を語れないのだ。

■不気味な社会

いまはすごく不思議な世代構成となっている。

同じ家の中に、中流意識をもった50代の親と、階級社会の中で育った(あるいはいまも育っている)20代の子どもが共存している。

となると、「声が大きい」のは、やはり人生体験をつんだ50代以上ということになり、階級社会の中でまさに今も生きている若者の声はなかなかオモテに出てこない。

非正規雇用が4割になったというのにもかかわらずそれほどその生きづらさが「人口ボリュームの塊として」社会に届かないのは、こんな背景もある。

つまり、格差社会になったというのに、人口構成的にそれが見えないという皮肉を我が社会は抱えてしまった。

問題があるのに潜在化しつづけるという、まさに日本らしい、非常に不気味な状態になっている。★