アムロは最後にみんなを助けた~発達障がいと「ニュータイプ」2

■Yahoo!ニュース個人ランキング1位!!

前回の原稿発達障害はあの「ニュータイプ」かもしれない~アスペから自閉症スペクトラムへは、Yahoo!ニュースブロガー初心者の僕としては恐ろしいほどの反響があった。

Yahoo!ニュース個人ブログでランキング1位となり、正確なアクセス数を書くとたぶんYahoo!さんに怒られるのでぼやかすと、なんと、80万アクセスを余裕で越えたのであった。

感想としては、賛同8割・反論2割程度で、その2割も僕としては実に納得できるものだった。

僕としては、発達障がいという「社会からのラベリング」色の強いものを、少しでも相対化させることが前回のブログの目的で、それは、関西で発達障がいやひきこもりについて講演するときも同じスタンスで行なっている。

だから基本的には、「発達障がい」という新しい「障がい」は、現代社会が生み出したものだという視点に立つ。

だって、同じようなタイプの方々は団塊の世代にも大勢いらっしゃるが、彼ら彼女らが青春時代を送った70年代は、今とはまったく違う雰囲気が社会を覆っていた。

それは、社会を覆う管理的側面が比較的おおらかであり、またマニュアルが重宝される第二次産業が主流を占めていた社会だった。また、仕事のほとんどが正規雇用で、時間をかけて職場に慣れていくことができた。

発達障がい的な人々は、「予定の見通し」は必要なものの、時に致命的な時間的ミスもするし、サービス業(第3次産業)に必要な「おもてなし」の心があるけれども実際は表現できなかったりする。

これらの社会的締め付けが、70年代は、今のようにそれほどきつくはなかった。「時間にはダメだけれども真面目だから勘弁してやるか」とか「不器用だけれども仕事は着実」みたいな評価もされた。

また、全員が正規雇用のため「ゆっくりと職場に慣れていけばいい」という雰囲気があったり、仲間同士助け合うおおらかさもあった。

■柳井さん的「一言」

現代は、そのいずれも(正規雇用・長期的育成・社会のおおらかさ)がない。

それはある意味仕方がない。僕が思うに、それは「会社が悪いから」「政治が悪いから」の一言では片付けられない根源的な問題だ。

それはつまりは、「グローバリゼーション」の問題だと僕は思う。

詳しくは前々回の投稿(年収100万円時代に、「村々する若者」はルサンチマン欲望をユニクロに消費する)の前半部分(ユニクロ柳井会長のあたり)を流し読みされることを期待するが、一言でいうと、現代の諸問題(非正規化・企業の海外流出・賃金低下等)は「日本経済が生き残っていくための仕方のない」変化だということだ。

まあこれは、柳井さん的な「一言でいうと」、だが。

グローバリゼーションにもとづく経済の変化をもとに、社会は管理化され効率化され「おもてなし」化された。そのため、70年代は許されたこと(多少の時間のルーズさ・多少のこだわりの強さ・多少の「空気」の読めなさ・多少の「字義通り」のコミュニケーション)が現代では「障がい」あるいは「障がい凸凹」として浮かび上がる。

それらは「生きづらさ」と化し、その裏にある「多少の(というかかなりの)できること=生真面目さ・朴訥さ・趣味へのこだわり・反復への耐性等々」は隠される。

できないことがクローズアップされ、それが発達の障がいとしてラベリングされる。

というように社会的に分析し批判することもできるが、前回も書いたように僕はフツーの「子ども若者支援者」なので、当事者のみなさんのニーズ通りに動くことになる。

で、当事者のみなさんとその家族のニーズは、上のような社会・経済批判ではなく、現在ある福祉・医療システムをいかに上手に使いこなして、当事者と家族が今よりも少しだけでもいいから幸福になるか、なのだ。

だから僕は、当事者とその家族のニーズを満たすため、現在ある(中途半端だけれども以前よりはましな)福祉システムを使いこなすことをアドバイスし、良心的な医師に接続し、現在ある就労支援サービスを紹介していく。これがつまりは「支援」という仕事だ。

■日本社会というホワイトベースを救え!

僕は、発達障がいは社会が生み出した障がいという視点に立ちながらも、当事者と家族のニーズを満たすために仕事をしてきた。

が、前回のブログの驚異的アクセス数を見る限り、実は(というか予想通り)「発達の障がい」というカテゴリーに、ものすごくたくさんの方々が満足していないのではないかという疑問をいだいた。

そして実際に、アスペルガー症候群(あえてDSM4のワードを使います)を中心とした発達障がいの方々は、何もカミングアウトしている著名人だけではなく、それなりの(ストレス負荷がかからず各個人に適した仕事・勉強)環境が与えられれば、それなりの結果を生み出すと僕は考える。

そうした意味も込めて、僕は「ニュータイプ」と書いてみた。それ(今のところ「発達障がい」と名づけされたマイノリティ)は、社会が生み出したカテゴリーでありながらも、各個人は大きな可能性を秘めているという意味だ。

その可能性は、今のところあのアムロ(ガンダムの主人公です)のような特別な能力はないみたいだが、仕事の環境次第ではまったくおもしろいものを生み出すかもしれない。

もちろん、みんながみんなビル・ゲイツになれるわけないけれども、少しでもビル・ゲイツの可能性がある人には、ビル・ゲイツ的環境/コースを用意する社会でありたい。

それを、福祉的視点から生みだすというよりは、グローバリゼーションを逆手に取って、経済的戦略性から生み出してもいいはずだ。

日本経済の生き残りのために、才能ある「ニュータイプ」を発掘し育む環境づくりを社会自体ができないか。NPOなどもそうした視点から「発達障がい」支援を行なってもよいのではないか。

アムロは、ガンダムの最終回でホワイトベースのクルーたちをその特別な能力で救ったが、我々のニュータイプも、日本社会というホワイトベースに手を差し伸べる救済者になることはできないか。

それは、いまの教育・経済・行政・NPO等に関わる大人たちが決めていくことになると僕は思う。大きな話で恐縮だが。★