絶望の国の若者は、幸福なのか「イージー」なのか 〈書評〉

10年に一度の傑作「若者」本かもしれない

■書評してみます

この「Yahoo!ニュース個人」で書評という行為をしてもいいのか迷った。

が、この4月から僕は京都精華大学という関西の私立大学で非常勤講師として一コマ(「こころと思想」という科目名)もたせてもらうことをきっかけにこの本をじっくり読む機会を得、そんななかでこの本の意味をいろいろ考えた。

それらの考えたことをあらためて紹介することは、当「子ども若者論のドーナツトーク」にもそれなりの意味はあるだろうと思ったので、やはり簡単に紹介してみよう。

僕は、この本は、10年に一度出るか出ないかの、日本の格差社会とへの突入という「パラダイムチェンジ」を象徴する、記念碑的な本になると思う。

時代の変化はいつも若者層がダイレクトに受け止め、若者らしくそれを直接的に表現していくのだが、いまこそそのことを示している時代も少ないのではないか。

著者の古市氏によると、2010年代の若者たちは、「格差社会」の中の、それぞれの「クラス/階層」のなかで、自己充足的にそれなりに「幸福」感を体得しながら生活しているそうだ。

そのことをはてさて「幸福」といっていいのか、僕は考える。それは幸福ではなく、ある意味、お気楽で自閉的で刹那的な「イージー」な充足なのではないか。

■「希望」は嫌い

古市氏は、格差社会のなかで非正規雇用やニート状態などでもがき苦しんでいるとされている現代の若者たちは、実はそれほど不幸ではなく、それらの紋切り的な議論とは反対に、調査結果からは、それぞれの日常はそれなりに若者たちは満足していると指摘する。

このことに対して、古市氏は否定的にとりあげられることも多いらしく、その「アンチ古市」派の典型的物言いは、80年代までの若者と比べると現代の若者は客観的に見てたいへんだ(非正規雇用の割合の高さなどから)、だから主観的なアンケートをそれほど重視すべきではないとするのだそうだ。

僕は、そんなアンチ古市派の私的などはどうでもよく、若者たちが自分の境遇にそれなりに満足しているのであればいいのではないか、とは思う。

僕が気になるのは、その心境は、本当に「現在の自分のあり方に満足しているか」ということの一点につきる。

物の見方・考え方として、僕は、「希望」という言葉は何となく胡散臭く感じられて嫌いだ。

というのも、「希望」とは、「現在の自分に満足していなからこそ、未来/将来の自分に期待を込めて抱く」感覚にほかならないからだ。

そうした希望のあり方は、一歩見る角度を変えると、到底到達できないものにすぐに変化していき、その希望自体を「くだらないもの」として価値変化させていく。

そして、「届かない希望=ありえない価値」としてやがては退ける。

希望を創設してそこにすがり続けることは、希望に諦めた時、その希望を「しょせんくだらないもの」として捨ててしまうことにつながっていく。希望の意味を、素晴らしいものからくだらないものへと内面操作する。

そうした価値の内面操作が、いわゆる「ルサンチマン」というものだが、物事を「希望/絶望」の尺度で読み取っていくと、ルサンチマン的否定の罠がすぐに待ち受けている。

だから僕は、希望や絶望といった言葉が出てきた時、ものすごく警戒してしまうのであった(こんな議論に関心のある方は、ニーチェのルサンチマンに関する解説本を読まれることをおすすめします)。

■変化球的否定=イージー

希望/絶望というネガティブな罠が張り巡らされている言葉群ではない、肯定的な言葉は、「幸福」だと言われる。

幸福は、将来的な価値のねじまげも待ち受けておらず、とにかく今、この瞬間、ポジティブにあり続けることを指す。希望/絶望のようなルサンチマンを呼び込む価値ではなく、いま、この瞬間をひたすら肯定し続ける価値、それが「幸福」「幸せ」といった言葉につながるものだ。

だから僕は、この本のタイトルを「絶望の国の中で幸福を見つけた若者たち」という意味にとり、若者を非常にポジティブにとらえ、それがたとえ格差社会の中での生き残り方法だとしても、それは最高の答えといっていいくらいのポジティブな態度ではないのか、と思ったのだった。

けれども、こうした僕の考え方に対して、いや、若者たちはそうした絶対的ポジティブな幸福の地平にいるのではなく、どちらかというと「ルサンチマンが変形した地平にいるのでは?」との指摘をいただいた。

言い換えると、若者たちは実は「希望」を抱きたいのだけれども、それは到底無理なので、自己充足的なインナーサークルの中で明日を考えずそれなりにささやかに満足する道を選んでいる、ということだ。

希望/絶望の直線的否定ラインではなく、希望を隠して「今」を仕方なくできることを仕方なく楽しむ、という変化球的否定ラインなのだが、これはどちらにしろ、幸福的ポジティビティではなく、ルサンチマン的否定の変則系なのだ。

そうだとすると……古市的幸福は、それほど僕には魅力的ではない。その幸福は肯定というよりも、変則的否定にすぎない。

格差社会の中での若者たちが、希望/絶望的王道の否定ではなく、そのような変則的否定にいるのだとしたら……この現代社会の中の生き方としては仕方ないとは思うものの、僕としては若干残念だ。

ただ、そうした点を暴いたということにも、この本の意味は相当あると思う。★