寺院で出会った右腕のない加藤清正像 「修復して復興のシンボルに」

右腕を失った加藤清正像。土砂崩れで岩が直撃した(田中森士撮影)

明日で熊本地震から3年。インフラに建造物、そして人々の生活。熊本地震の被災地は、復興に向けて着実に前進している。今や、地震の痕跡は少なくなりつつある。一方で、地震の被害が大きかった地域を中心に、復旧工事を終えていない場所もまだまだ多い。布田川断層帯のある熊本県益城町の杉堂地区もそうした場所の一つだ。今月頭、現地を歩いた。

気になっていた「終日通行禁止」の看板

その辺りは、取材などで近くを通ることが何度かあった。そこにはいつも「終日通行禁止」の看板。てっきり通れないものとばかり思っていた。「杉堂地区までは行けますよ」。たまたま知り合った近隣住民が教えてくれた。現地でもう一度看板を注意深く見てみると、確かに「杉堂地区までは通れます」と書かれていた。

「終日通行禁止」と書かれた看板=2019年4月、熊本県益城町(田中森士撮影)
「終日通行禁止」と書かれた看板=2019年4月、熊本県益城町(田中森士撮影)

看板を越えてしばらく道路を進むと、今度こそ行き止まりになった。「全面通行止め」「落石の恐れあり」「危険箇所につき立入禁止」。看板の後ろには、重機が並ぶ。

道路を引き返していると、細い道が目に入った。進んでみる。すると、大規模な土砂崩れが目に飛び込んできた。ショッキングな光景にしばらくその場を動けないでいると、副住職の男性(44)がこちらに歩いてきた。取材で訪れたことを告げると、本堂の中で話を聞かせてくれた。

「工事の音と振動が両親の負担にならないか」

副住職は地震後、両親とともにみなし仮設に身を寄せていた。本堂と、隣接する自宅は一部損壊。本来ならみなし仮設の入居要件を満たさない。しかし、敷地の裏で土砂崩れが発生。大量の土砂が敷地の周囲に堆積していた。

寺院の裏手では大規模な土砂崩れが発生していた=2019年4月、熊本県益城町(田中森士撮影)
寺院の裏手では大規模な土砂崩れが発生していた=2019年4月、熊本県益城町(田中森士撮影)

両親はともに高齢だ。そして車を持たない。もし、自分が外出している時に、また土砂崩れでも発生したらーー。副住職は益城町に相談。担当者に見にきてもらった結果、「特例」としてみなし仮設への入居が認められた。

副住職は修繕や仕事のため、熊本県菊陽町のみなし仮設から杉堂地区に通った。みなし仮設の入居期間は原則2年。しかし、2年が経とうとしていても、まだ寺院の周辺のインフラ工事は完了していなかった。工事の音と振動が激しければ、高齢の両親の負担になる。入居延長を申請したが、認められなかった。副住職一家は昨年10月、自宅に戻った。

寺院の近くを通る県道の工事は、思ったより静かだった。生活に影響を及ぼすことなく進んでいく。ほっと胸をなで下ろしていたある日、工事関係者が寺院の呼び鈴を鳴らした。敷地のすぐ隣で、よう壁工事が始まるのだという。「騒音と振動でご迷惑をおかけします」。こう告げられた。工事期間は少なくとも1年間。副住職は今、両親の負担にならないか、気をもんでいる。

「清正公さんを復興のシンボルに」

「課題や心配事は被災者ひとりひとり異なる。現行制度ですべてカバーすることは難しいと痛感した」。副住職はこう口にした。

みなし仮設は、自宅が半壊以上であることが、入居要件だ。現行制度では、自宅の周辺環境までは考慮されない。土砂崩れや幹線道路の通行止め、そして工事の振動と騒音。大規模な災害が発生すれば、例え自宅が無事だったとしても、生活に影響をきたす状況は起こりうる。

「家を失った方は大勢いらっしゃる。そうした方々のことを考えた時、私がこうした声を上げることはどうなのかという思いは、もちろんある。しかし、日本全体を考えた時、こうした意見があることも知ってもらいたい」

本堂正面でも土砂崩れが発生していた=2019年4月、熊本県益城町(田中森士撮影)
本堂正面でも土砂崩れが発生していた=2019年4月、熊本県益城町(田中森士撮影)

取材後、副住職は敷地内の墓地に案内してくれた。そこには、右腕がない加藤清正の像があった。地震で地盤が緩んでいたのだろうか。2016年6月の大雨によって、ここでも土砂崩れが発生。巨大な石が像を直撃したのだという。

「杉堂地区は加藤清正が訪れた痕跡がいくつも確認されている。清正公(せいしょこ)さんは地域を見守ってくれる存在。近いうちに像を修復し、杉堂地区の復興のシンボルとなればと考えています」

副住職はそう言うと、筆者に両手を合わせて見送ってくれた。

小さな声をひろい上げて、制度の穴を塞いでいく。災害大国日本においては、こうした作業の繰り返しが必要なのではないか。清正像の凛々しい表情を見ながら、考えた。