不時着した特攻隊員を助けた黒島の島民たち 悲劇繰り返さぬよう「経験伝える」決意

当時の様子を、飛行機の模型を使って説明する日高康雄さん

薩摩半島から南へ約60キロの海に浮かぶ黒島(鹿児島県三島村)。周囲20.1km、人口わずか174人の島だ。太平洋戦争末期の1945年、沖縄へ向かう特攻機が、この島の近海などに相次いで不時着した。島民らは救出した隊員を熱心に看病し、食料を提供した。このことがきっかけで、今も島民と元隊員らの交流が続く。当時11歳だった大里地区の日高康雄さん(83)は、当時のことを鮮明に覚えている。隊員との交流、島民に犠牲者が出た米軍機の襲撃。「経験を語り継ぐことが自分の使命」と力を込める。

鹿児島県三島村の黒島。周囲を崖に囲まれる
鹿児島県三島村の黒島。周囲を崖に囲まれる

「安部少尉が薬を届けに戻って来た」

日高さんは、不時着して島に滞在していた安部正也少尉(当時21歳)に「一緒に魚釣りに行こう」と誘われた。何の疑問も持たず、船を海べりまで降ろすのを手伝った。すると、島で暮らしていた青年を漕ぎ手に、安部少尉は日高さんを置いて海流の激しい海へ出てしまった。後に知ったことだが、安部少尉は本土の基地に戻り、再び特攻機に乗り込もうと考えていたのだ。

島中が安部少尉と青年の安否を気遣っていたある日、日高さんは、安部少尉が不時着した時と同じコースで飛来する日本軍機を見つけた。直感的に「安部さんだ!」と思った。飛行機は、木にひっかりそうなほどの低い高度で飛行。急上昇したかと思うと、物体を落とした。物体は飛行機の進行方向に回転しながら落下。「爆弾かもしれない」と、とっさに目を閉じて身を低くした。

物体は、段ボール箱だった。表面には「柴田少尉殿」との文字。中には医薬品や医師の処方箋、チョコレートなどが詰められていた。島に不時着して瀕死の重傷を負い、島民から看病を受けている柴田信也少尉(当時24歳)のために、安部さんが運んでくれたんだ。日高さんは確信した。

医薬品のおかげもあり、柴田少尉はその後回復した。安部少尉のはっきりとした消息は、今も分かっていない。しかし、段ボール箱が落とされた5月4日を再出撃の日として、島内に慰霊碑が建立されている。

「語り継ぐことが私の使命」と語る日高さん
「語り継ぐことが私の使命」と語る日高さん

島民の犠牲者が出た米軍機の襲撃

日高さんは、島北部の近海に不時着した江名武彦さん(93)=川崎市=に教えてもらったことを、よく覚えている。知識とユーモアがある江名さんのことが「大好きだった」からだ。

日本軍機と米軍機の見分け方、米軍機の攻撃前の動き。日高さんは江名さんから教わったことを、一生懸命覚えた。その知識を使う日が来るとは夢にも思わずに。

飛行する特攻隊員が最後に振り返って見ていたという、開聞岳の方向を指差す日高さん
飛行する特攻隊員が最後に振り返って見ていたという、開聞岳の方向を指差す日高さん

7月30日、島に滞在していた特攻隊員5人を、日本軍の潜水艦が迎えに来た。島民らは隊員らの送別会の準備に追われていた。

そんな中、日高さんの目に米軍機の姿が飛び込んできた。目をこらすと、反時計回りに旋回している。「江名さんが教えてくれた攻撃前の動きだ」。そう思った瞬間、近くにいた江名さんが、「防空壕に避難するよう皆に伝えてくれ」と日高さんに頼んだ。

日高さんは「早く防空壕へ!」と叫びながら走ったが、送別会の準備で皆忙しかったこともあり、誰一人として防空壕に入らない。空を見ると、米軍機の銃口は自分の方を向いている。「狙われている」。無我夢中で防空壕に飛び込んだ。銃弾が近くの岩に当たり、煙がはっきり見えた。

この時の襲撃で、大里地区の女性1人が命を落としている。日高さんは防空壕でずっと、島の神様に島民の無事を祈り続けた。

「戦争は始めた時点で“負け”」

2017年5月13日。前夜の豪雨がうそのように、空は晴れわたった。この日、島で14回目の「特攻平和祈念祭」が開かれる。開始予定時刻の3時間前、日高さんの姿は会場の黒島平和公園にあった。目的は、公園内にある「平和の鐘」を鳴らすこと。日高さんはここを毎日一人で訪れている。

戦時中の隊員らとの交流は楽しい思い出だ。そして今も、元隊員やその家族との交流は続いている。一方で、島民をはじめ、戦争で犠牲になった人のことを考えると、胸が痛む。

当時の日本は「国のため」などの“大義名分”があった。この“大義名分”こそが最も危険なものではないか。“大義名分”があれば、戦争を起こせる。戦争が起きると犠牲者が必ず出る。負けると多くのものを失うし、勝ったところで恨みを買い、いつか必ずしっぺ返しをくう。戦争は、起こした時点で“負け”なのだ。日高さんは、こう考えている。

平和の鐘を鳴らし、戦没者への祈りを捧げる日高さん
平和の鐘を鳴らし、戦没者への祈りを捧げる日高さん

世界中を見渡すと、今もさまざまな“大義名分”がまかり通っている。このままでは、あの悲劇が再び世界のどこかで起きてしまうのではないか。黒島に生まれた者として、当時の経験を語り継ぐことが、自分の使命なのだーー。

鐘を叩く。心地よい音が島中に鳴り響いた。日高さんは、こうべを垂れ、じっと目を閉じた。

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黒島と特攻隊員の関わりについては以下の書籍が詳しい。

・小林広司 『黒島を忘れない』 西日本出版社

・城戸久枝『黒島の女たち 特攻隊を語り継ぐこと』文藝春秋