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台湾で進む「日本提供ワクチン」の接種 在台邦人が接種して見えた日本の課題

田中美帆台湾ルポライター
台湾で受け取ったワクチンパスポートは紙製。健康保険証にも明記される(撮影筆者)

日本でワクチン接種という選択肢

 海外に在留する邦人には、その滞在先によるが、ワクチン接種に選択肢がある。筆者の場合でいえば、日本で打つか、台湾で打つかの二択だ。

 ひとつめの選択肢があることを知ったのは5月末、台湾の日本大使館にあたる日本台湾交流協会から届いたメールだった。海外での在留届出を出した人なら、おそらく誰もが受け取っている。この時の文面には「新型コロナ・ワクチン接種のための一時帰国意向調査」とある。端的にいうと、夏に国際空港でワクチンが接種できる予定だが、実施された場合にその事業を利用する意向の有無のヒアリングだった。

 筆者は回答しなかった。5月末の台湾というと、クラスターが発生して外出も自粛を求められていた頃。帰国という選択肢そのものが考えられずにいた。

 6月末に届いた続報では、一時帰国者を対象に8月1日から2022年1月上旬まで成田空港と羽田空港でワクチンが接種できるようになったこと、特設の予約サイトが開設される予定であることが伝えられた。

 帰国の決断をした人はどのくらいいるのだろう。日付を見て、オリンピックはもう始まってるよね、とやや冷ややかな気持ちでメールを閉じてしまった。

帰国接種を選ばなかった理由

 おそらく、ワクチンの手配と関係各所への調整で、この時期になったのだろう。事業が用意されたことはありがたいが、それでもなお、東京オリンピックという国際的な人流が増加する時期にあたっていることに、帰国者の“安心安全”はどう確保されるのか不安が募った。そこへ畳みかけるかのように、7月8日、東京に緊急事態宣言が出された。

 帰国者の接種場所となっているのは、羽田と成田におかれた特設会場だ。出入国のたびに通過する場所ではあり、おおよその動線はイメージできるのだが、現時点での感染対策がどうかまでは不明だ。わからなさは不安になる。

 最短で空港内で帰国当日に接種できたとしても、問題はその後だ。隔離期間の滞在先である。都内や近い距離に実家がある、といった人なら別だが、帰国費用のうえに、隔離期間の滞在費用も自己負担である。筆者の場合、帰国といっても日本に実家がなく、必然的に渡航費も滞在費も自費となる。

 では、リスクとコストをかけて帰国するか——結局、帰国接種は選択肢から除くことになった。

 統計によれば、海外に在留している日本人総数は約141万人(2019年10月現在)。日本の市区町村でいうなら、京都市、川崎市の人口規模にあたる。このうち台湾には約2万5,000人の日本人が滞在し、2015年以降、毎年平均6.86%ずつ在台日本人が増えている。

 どのくらい希望者がいるだろう。そう思っていた矢先に届いたのが、在留先である台湾での接種案内だった。ふたつめの選択肢である。

台湾でのワクチン接種

 スマホのショートメッセージでワクチン接種の案内が届いたのは、前回の記事を書き上げた7月下旬のことだ。

 メッセージの発信元は「1922」。これは新型コロナが発生してから設けられた専用ダイヤルの番号だ。日本の厚生労働省にあたる衛生福利部の疾病管制署が管轄している。英語では「Taiwan Centers for Disease Control」、台湾CDCである。

 SMSでの連絡を受け取り、さっそく予約した。手続きは、専用サイトで予約可能な日時と場所の一覧から、任意で指定するだけ。接種場所は、大型の総合病院から町の診療所までずらりと並んでいた。筆者の場合、7/20~22の予約で、7/23〜26に接種だった。予約から接種までわずか1週間である。

 接種当日、指定した医療機関へ向かった。筆者が選んだのは、小さな診療所だ。入り口には前回紹介した「實聯制」のQRコードがあり、スキャンして入ると、受付向こうの待合室に5人ほどが待機していた。

 受付で検温と消毒を行い「36.7度、正常です」と告げられ、台湾の居留証と健康保険証を渡すと、代わりに1枚の書類を渡された。

 それは、過去に血栓や血小板に関する症状、アナフィラキシー反応、免疫低下といった既往歴や妊娠の有無について自己申告と署名を求める書類だった。

 署名した書類をフェイスシールドと防護服を着た看護師に渡してしばらくすると、名前を呼ばれて、診察室へ入った。まず、アレルギーに関する問診のあと、接種後の過ごし方について説明を受ける。もし今晩、発熱や痛みがあるようなら、手元の日本製のものでもよいから飲むように、と指導された。

 「ワクチン、左と右、どちらに打ちますか」と訊かれてまごまごしていると、利き腕を訊かれ、それと反対側に注射された。痛みはほぼなし。筋肉注射と聞いて痛そうだと思っていた予想が綺麗に裏切られた。

 診察室を出ると、接種日とワクチン名の書かれたワクチンパスポートを受け取った。待合室でそのまま15分ほど待機して、アレルギー反応の観察を終えると、「たくさんお水飲んでくださいね」と言われて帰途についた。

 到着からここまで、わずか約25分のことである。接種は公費で賄われるため、支払いもなし。あっという間だった。

 筆者個人は、接種日の夜にやや倦怠感があったほかは、ほとんど副反応は起きなかった。対策といっても水分を多めに補給して早めに就寝した程度で、翌朝はむしろややスッキリ目覚めたほどだ。だが、同じく接種を終えた友人の中には発熱や筋肉痛になったという人もいて、副反応の症状は各人各様である。

 ワクチンはアストラゼネカ製だった。日本で薬事承認は下りたものの、公費接種のワクチンとしては採用されず、台湾へと提供された例のワクチンである。奇しくも筆者がワクチンを予約した7月20日、政府の新型コロナ対策分科会の尾身茂会長が、報道番組で「8月第1週に東京で3,000人近くまで増加」との見通しを示した。その指摘は7月27日、東京での新規感染2,848人と現実化した。

 日本への一時帰国がまた遠ざかった——そう思わざるを得なかった。ただ、海外で医療行為を受けるのは、どこか不安が拭えないこともまた事実である。筆者自身、帰国してワクチンを受けたいという気持ちがなかったわけではない。なぜなら、日本でもしたことのない入院を、台湾で経験したからだ。

海外で受診するということ

 筆者が人生で初めて入院したのは、台湾で暮らすようになって半年強を過ぎた頃だった。

 その晩、寒気が急にやってきた。熱を出す風邪程度のことなら、台湾に来てから何度か体験していたが、震えて歯が鳴るほどの状態になったのは、生まれて初めて。自分でもなんだかおかしいと感じ、タクシーに乗って駆け込んだのは、台北市内の総合病院の救急だった。

 救急担当の医師に診察を受けた。触診で腰のあたりを叩かれて、椅子から飛び上がるほどの痛みを感じた。そのまま入院となり、救急エリアのベッドに寝かされた。診察を受けたその時は何を言われているのかよくわからず、急いでいたから辞書なんて持っていない。自分の病名が「腎う炎」だとわかったのは、退院したあとのことだった。

 院内のシステムも、日本とは異なっていた。台湾の病院では食事は予約した人のみに提供され、たいていは家族や雇いのヘルパーさんが入院患者の食事の世話をするのだと知ったのも、この時の入院でのことだった。

 日本にいた頃、病院と無縁だったわけではない。自分も何かと病院に通う体質だし、家族も大きな病を経験した。病院ごとに違うシステムを理解するのには、何かと人に訊ねる必要があったし、それは台湾でも同じといえば同じだ。

 日常会話も基礎の基礎しかできない身で、専門用語、教科書にはおよそ載らない単語ばかりが飛び交う場所に置かれると、適切な判断を下して反応するなんて不可能だと身に染みた。

 原因もよくわからないまま、診療科名をはじめとした仕組みも異なる異国の病院で、自分に何が起きているのかわからないのは、真っ暗闇で突き落とされるような恐怖だった。今から7年前のことである。

コロナが露わにしたこと

 東京オリンピック開催前、台湾から政府や組織委員会関係者の会見の映像を見ながら感じていたのは、「安心安全」という言葉の空っぽさだった。何がどうなったら安心で安全なのか、具体的な数字や根拠が示されることなく、言葉のみがキャッチコピーのように繰り返される。安心安全といえばそうなるのではない。必要なのは言葉ではなく、それらをもたらす指針と具体的行動だろう。

 ウィズコロナの暮らしは、誰もが未知との遭遇だ。だからこそ、信頼性の高い情報を皆でシェアし、社会としての、個人としての処し方を決めていかねばならない。最低限の情報を得ることは、その第一歩となる。

 だからこそ、言葉に不安のない場所で、何が行われているかがしっかり確認できる状態が設けられることそのものが安心につながる——はずだった。

 海外から日本への入国は、指定された書式で、出国前72時間以内の陰性証明の提出が必要だ。ほかにも、質問票と誓約書が求められ、スマホにはアプリのインストールもせねばならない。つまりは、日本への入国者が安全を証明する必要はあるのだが、日本への入国者に対する安全の証明はというと、見当たらないのである。

 新規感染者が過去最高と記録を塗り替える中で「人流は減っている」と国のトップが語る。日本は、こんなにも人の命が、健康が、粗末にされる国だったのだ、と思い知らされた。加えるなら、開幕前の辞任解任騒動は、世界中に人権意識の低さを知らしめた。経済大国なんていうのは昔の話で、いまやれっきとした人権低国である。そのことを、まざまざと見せつけたのである。世界中に。

 台湾で6月に流入したデルタ株は抑え込まれ、7月末にワクチン接種率が3割を超えた。このところ新規感染者は10〜20人台で、断続的ではあるが死者のいない日が何日も出ている。一方、東京における新規感染は7月31日、3,000どころか4,058人となった。全国の新規感染者数は1万人を越す日が続いている。安心安全の根拠は、今もなお見えないままだ。

台湾ルポライター

1973年愛媛県生まれ。大学卒業後、出版社で編集者として勤務。2013年に退職して台湾に語学留学へ。1年で帰国する予定が、翌年うっかり台湾人と国際結婚。上阪徹のブックライター塾3期修了。2017年からYahoo!ニュースエキスパートオーサー。雑誌『& Premium』でコラム「台湾ブックナビ」を連載。2021年台湾師範大学台湾史研究所(修士課程)修了。

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