今こそ知っておきたい花蓮と日本の深い繋がり

高台から見た現在の花蓮港(撮影筆者)

司馬遼太郎さんも訪ねた花蓮の街

 今年2月6日に起きた台湾東部地震の報道で、台湾に花蓮(ホワリエン)という街があることを知った人も多いのではないだろうか。前回は、地震から2か月後の状況をお伝えした(記事はこちら)。この花蓮という地は、どんな場所なのか。実は、1世紀以上前から日本と深い繋がりを持った場所だ。どんな街なのか、今こそ理解しておきたい。

(出典:abysse corporation)
(出典:abysse corporation)

 台湾の中心地である台北から、鉄道でサツマイモの形と称される島を東回りに向かって2時間半ほどで花蓮駅に到着する。東側では中央よりやや北寄りに位置し、現在では約33万人の人口を抱える。

 作家・司馬遼太郎さんの人気シリーズ「街道をゆく」に『台湾紀行』という巻がある。台湾の各地を訪ねた紀行文として、週刊朝日に連載・書籍化され、今は文庫もある。

 花蓮は、司馬さんの連載のラストを飾った場所だ。実際に訪ねたのは1994年4月9日と明記されているから、もう25年近く前のことだ。

 司馬さんと同じ大阪外国語大学の出身の作家に、『中国の歴史』などで知られる台湾人の陳舜臣さんがいる。本シリーズに台湾を加えるよう助言したのは、ほかならぬ陳さんだという。

 さらに、台湾を取材で回る司馬さんに当時の台湾総統・李登輝さんを紹介したのも陳さんだ。取材先に花蓮があるのを知った李登輝さん、自分が案内すると花蓮までやってきた。対して司馬さんは「冗談じゃない、こんなえらい人に案内されてはたまらないとおもいつつ、同時に、アジア的な威厳演出とはほど遠いこの人の人柄におどろかされた」と述べている。

 こうして司馬さんを花蓮まで訪ねさせたのは、この街の歴史にかかわっていた。

日本と花蓮の深いかかわり

 日本は、1895年から1945年の間、台湾を統治していた。台湾西側の開発はそれ以前から進んでいたが、東側の開発が本格化したのは、台湾総督府が農業移民を奨励してからのことだ。花蓮は、そうした状況のもと、官営移民の移住地として拓かれた。

 まず白羽の矢が立ったのは、現在の花蓮の市街地から少し南に下ったあたりだ。資料によれば、1910年(明治43年)、吉野村と命名されたこの地に、日本から9戸20人がたどり着いた。地名は、移民に四国・徳島の人がいて、故郷に流れる吉野川から借用した。

 この時代、日本からの交通手段といえば、船である。日本と台湾を往来する船は一旦、台湾の北部にある基隆港に到着し、そこから花蓮港へと向かった。ただし、港とは名ばかりで、あるはずの接岸設備はなく、まず船が乗り付けられない。そのため、上陸には波に揺れる小さな小舟に飛び移らなければならなかったという。

 到着してからも、マラリアなどの風土病、山で暮らしていた先住民との摩擦など、数々の苦難があった。それらを乗り越え、この花蓮の街は拓かれてきた。

 『知られざる東台湾』(山口政治著、展転社)には、その開拓史がつぶさにまとめられている。この吉野村に生まれた著者は、花蓮を次のように紹介する。

 「筆者は子供の頃、『波が荒くて入れん港 米がまずくて食われん港 住めば都よ帰れん港』と言っているのを聞いていたが、この言葉のなかに昔の花蓮港のイメージがよく表現されている。(略)波浪の高い日には船の乗客は花蓮港の土を目の前にしながら上陸できないことがあり、皮肉って『入れん港』の汚名がつけられた。実際、上陸するのが危険であれば乗船するのも命がけで、『一たび入ると帰れん港』と冗談を言う人もいた。また米がまずく九州からきた人の訛りで『食われん港』ともう一つ皮肉っていたが、たしかにそれが東台湾の実態だ。しかし、そんな悪条件の数々を克服して、ついには安住楽土の理想郷の『住めば都よ帰れん港』に作りあげたのである」(『知られざる東台湾』より)

 市街地から今は設備の整った花蓮港まで見渡せる高台に向かった。展望台からは、100年の時が流れても残る、きっちりとした区画が見て取れた。

楓林歩道から眺める花蓮の街並み(撮影:葉集偉)
楓林歩道から眺める花蓮の街並み(撮影:葉集偉)

100年前から伝わる四国の遍路道

 移民の頃の話をもう少し。

 100年前、台湾東部への移民のために、台湾総督府はさまざまな手はずを整えていった。病院や学校、郵便局はもちろん、住民の心の拠り所として建てられたのが神社であり、仏教布教所である。

 1997年に台湾政府から古蹟指定を受けた慶修院は、そうした中で真言宗高野山系の布教所として1917年に建てられた。

慶修院の本堂(撮影:葉集偉)
慶修院の本堂(撮影:葉集偉)

 境内に足を踏み入れると、まるで日本にいるようだ。すぐに手水舎があり、その向かいに本堂がある。奥へ進むと、弘法大師の銅像の後ろに、88体のこぶりな石仏がずらりと並ぶ。四国八十八ヶ所を模して設置されたものだ。さらに売店の奥へ回ると、この場所がどんな経緯で今に至ったのかが、折々に撮影された写真とともに紹介されている。

 宗教施設というより、来し方を文化として伝え、日本との交流スポットでもあり、文化施設という印象だ。

 本堂にあたる場所には、過去帳が安置されている。慶修院の責任者である陳義正さんにお話を伺った。

 「過去帳は、日本統治時代の戸籍謄本を私たちの手で調べ、まとめたものです。これまでに日本統治時代に台湾で生まれて終戦で日本に戻った方、あるいはそのご家族などが、今もここを訪ねて来られます。中には、日本の八十八ケ所参りをされ、ご朱印の押された納経帳を納めに来た方もありました」

 日本統治時代に建てられた台湾の建物は、リノベしてカフェになったり、建物を展示に利用したりとさまざまな活用が試みられている。かつての日本人の痕跡が色濃く残る。だが、この慶修院は、その濃度がひときわ濃いように感じられた。

神々しい迫力を見せる自然

 慶修院が花蓮に残る文化遺産なら、花蓮の自然遺産の筆頭は太魯閣渓谷だ。

 1986年に国家公園として指定を受け、大勢の人が訪れてきた。入り口から山の奥に向かってうねる道は、大地が裂けたように続く。台湾の地質史において、最も古い大理石の岩盤は、間を流れるタッキリ渓によって削られたと伝わる。

 エリアには遊歩道が整備され、太古からの大地の躍動を眺めることができる。岩肌が空まで伸びる壁は、美しい文様を見せつつも、迫りくる巨大な壁の前に圧倒される。

岩をくり抜いた遊歩道の向こうにもまた巨大岩が迫る(撮影筆者)
岩をくり抜いた遊歩道の向こうにもまた巨大岩が迫る(撮影筆者)

 目の前に立つと、少し怖いような感覚にとらわれる。都市での生活に慣れ、失われた自然との距離感を思い出させてくれるのかもしれない。

 その太魯閣渓谷の入り口から少し北側に向かうと、台湾十景に数えられる場所がある。「清水断崖」という。そういえば、自転車で台湾1周した劉于華くんが「一番印象に残った場所」と言っていたのもここだ(記事はこちら)。

 波状に連なった花崗岩が海に向かって突き出していた。1,000mを越える清水大山の急峻な崖は、垂直に海へと向かう。眼下に広がる紺碧の海は、このあたりだけ乳白色の帯ができている。帯の正体は、大清水渓の上流から流れ出た花崗岩の粉。それが紺碧の青と混じり合い、ここにしかない色を見せる。

乳白色の混じる不思議な色の海面はここから見下ろせる(撮影筆者)
乳白色の混じる不思議な色の海面はここから見下ろせる(撮影筆者)

 その色の始まりにあるのが、中央山脈の山々だ。花蓮の山の最高峰・秀姑巒山3,825mを、1931年夏に登った日本人がいる。名前は鹿野忠雄。38歳で亡くなるまで、魅せられたように台湾の山々を歩いた博物学者だ。台湾最高峰・玉山(3,952m)、大水窟(3,280m)、秀姑巒山を経て、マボラス山(3,785m)を70日間かけて縦走した。その時の興奮を著書に記している。

 「枝振り面白い松の間からわずかに開いた南の空を顧みたときに、僕はこの世ならぬ美しさに、思わず嘆声をあげた。親しい新高の連峰が見違えるような粧いを凝らして浮きでているではないか! 東山と主山が中央に、その両側に北山は近く南山は左の端に現われているではないか! 神々しい平和なセルリアンブルーの地に、東山主山の赤裸々な懸崖が虹のようなピンクに光る。そして深い山皺(さんしゅう)は濃いコバルトブルーだ。眩い目を射る光でない。平和なそして見れば見るほどその深みのある色彩に囚えられる美しさだ。怪しいまで五官の奥に訴える官能的な麗しさだ。それは天国の夢幻的な夕暮に咲く一輪しかない花のようにさえ見える。何と浅薄な人間の言葉よ! これが汝の讃えかつ再現しようとする言葉の総てなのかと、もどかしさと淋しさに叫びだしたいようなそのときの気持ちは永久に忘れられない」(『山と雲と蕃人と』より)

司馬さんが行かなかったあの場所

 ところで、司馬さんの『台湾紀行』、太魯閣について紹介はあるのだろうか。

 「花蓮には、太魯閣という断崖と絶壁と急流の景勝がある。かつて山地人が9グループにわかれて狩猟生活を営んでいた山である。李登輝さんは、明朝、李坤儀(筆者注:李登輝さんの孫娘)嬢にその景勝を見せたいという。(略)私も太魯閣ゆきを誘われたが、景勝よりも朝寝がいい、とわがままを言ってうけ容れてもらった」(『台湾紀行』より)

 なんとも贅沢な誘いと贅沢な断りである。

 歴史文化あり、山あり海あり、豊かな自然のあふれる花蓮。今回は、主に日本とのつながりに絞ったが、魅力はこれだけではない。機会を改めて、また違った角度も含めてご紹介していきたい。