聞いたことがありますか?「外国人散在・集住地域」という言葉

「外国人散在地域」(がいこくじん・さんざいちいき)という言葉を聞いたことがあるでしょうか。逆に、「外国人集住地域」(がいこくじん・しゅうじゅうちいき)という言葉を耳にしたことはありますか?

・・・どちらもあまり一般的ではない言葉ですが、集住も散在も「その地域に外国人がどのくらいの数暮らしているか」という、外国人人口の密度について表す言葉です。

外国人集住地域は、愛知県や静岡県、三重県や群馬県などの自治体が代表的で、一部の自治体では、「外国人集住都市会議」に参画し、多文化共生のさまざまな課題について研究を行ったり、政策提言を行ったりしています。こうした地域にある団地や学校が「そこに暮らすほとんどが外国人」「生徒のうち、7割が外国人」など時折メディアでも紹介されることがあるので、ご存知の方も多いかもしれません。

外国人集住地域では、自治体内のある居住エリアに外国出身者がまとまって住んでいるため、その地域に設置されている看板が多言語表記を標準としていたり、学校内で手厚いサポートが受けられるなど、自治体も資源を投入しやすい環境です。また、NPOや市民活動団体等による支援も比較的活発に行われ、外国人支援の先駆的活動エリアとなっている地域も少なくありません。外国人学校があるのも、こうした外国人集住地域が主です。

「言語難民」の状況にある、7,000人もの子ども達

一方、散在地域では地域内に居住する外国人の数自体が少なく、また自治体内の各地にばらばらに散らばって居住しているため、同じ市町村にある公立学校でも、外国にルーツを持つ子どもがゼロという学校もあれば、1人いる、2人いる、とごく少数を抱える学校もある、といった状況です。

文科省の調査によると、日本語指導を必要としている子どもたち37,000人のうちの43%は、日本語がわからない子どもが、その学校の中でその子ただ1人の状況にあることが明らかになっていて、こうした子どもたちを中心に、約7,000人は学校内では何の支援も受けていません。

大人、子どもに限らず、こうした散在地域に暮らすごく少数の外国人の方々に対する支援は手薄になりがちで、ボランティアによる支援活動すらない地域も存在します。自治体にとっては、1人、2人と限られた数の外国出身者のために特別に資源を割いて支援を行うことは、人的にも予算的にも難しい状況です。予算もない、人材もない中で支援の受けられない外国にルーツを持つ子ども達。

中には、自治体の窓口で「日本語ができるようになってから学校に来てください」と言われるようなケースも、作り話ではありません。地域のどこにも、日本語を学べるような場はないにも関わらず・・・まさに「言語難民」とも言い得る実態です。

支援者の間でも積年の課題に

底辺を引き上げていくというときに、こういう場に来て発言をしてくださる方がいるような地域ばかりではないと考えるんですね。そういう発言をする代弁者がいない散在地域、学校に1人とか、市町村に1人というようなところも含めて、全国的なものを考えていくということがとても重要なことになるだろうと思います。

出典:学校における外国人児童生徒等に対する教育支援に関する有識者会議(平成27年11月5日~)(第4回) 議事録より菅原雅枝委員(東京学芸大学国際教育センター 准教授)の発言

学校内外ともにリソースがないのではないかと思われるところで何をしていったらいいのか、どう伝えていったらいいのかというのを併せて考えていかないと、先ほど来出ている地域格差が広がっていく一方になってしまうのではないかなと考えます。

出典:学校における外国人児童生徒等に対する教育支援に関する有識者会議(平成27年11月5日~)(第4回) 議事録より、同上

上の引用は、文部科学省で昨年から開催されている「学校における外国人児童生徒等に対する教育支援に関する有識者会議」の議事録から、有識者委員の方のお話です。

こうした会議を初めとした外国にルーツを持つ子ども達の教育施策を考える場では、どうしても集住地域のように予算が集まりやすく、ゆえに先駆的な取り組みを行っている「成功事例」に目がいきがちですが、委員のご指摘のとおり、政策に関与可能な場で散在地域の現状や課題を代弁する人材がいない事、そのこと自体が散在地域の課題の根の深さの一端をあらわしているようにも見えます。

このままでは、取り組める自治体は取り組みが進み、そうでないところは何も変わらないまま、子ども達が来日後にどの地域に住み始めるかで、教育へのアクセスがゼロか100かの分かれ目に・・・という事態が一層進みかねません。

学校の先生も「お手上げ」に・・・

先の有識者会議では、こんな報告もなされていました。

こういう(外国人散在地域)ようなところでは、そもそもニーズに気付かない学校もあると思いますし、地域からもニーズは見えにくいです。あるいは学校の先生方が外国人の子供だから高校には行けなくてもしようがないよねと、どこかのところで諦めてしまうようなことが多いのではないかと思われます。こういった場合、諦めずに最初の一歩をどうにかしようと思えるかどうかというところが課題だと思います。

出典:学校における外国人児童生徒等に対する教育支援に関する有識者会議(平成27年11月5日~)(第4回) 議事録(元IOM国際移住機関 山野上麻衣氏へのヒアリング)

子どもとも保護者とも言葉が通じず、サポートしてくれる人材もいない散在地域の学校では、日本語がわからない子どもは友達を作る事もできず、当然、学校の勉強についていくこともできません。こうした状況下では、学校の先生にとっての負担感も一層大きくなりがちです。中には山野上氏のご指摘にあるとおり、学校の先生がその子どもの未来を諦めてしまうようなことも、残念ながら実際に起こっていてます。

何に困っていて、何が必要で、誰がどのように支援できるのか・・・

子ども自身も、その保護者も、学校の先生も誰もが言葉の壁に阻まれ、何もわからないまま、という状況は、全ての関係者にとって不幸でしかありません。

最近になって、政府は学校で何の支援も受けていない日本語指導を必要とする子ども達のカバー率を100%にするという目標を打ち立てましたが、件の有識者会議の場でも模索が続いている中で、ない・ないづくしの外国人散在地域の状況下、具体的にどのようにそれを達成するのか、が今の段階では見えてきません。

「ない」から1をつくるより、100「ある」ところとつながれば・・・

こうして、ない、ない、ばかりに注目していると課題はなかなか解決しないものかもしれません。そこで、少し発想を転換し、ゼロを1にする努力と共に、今100あるところから、1を借りてくる、というような方向性の検討も同時にしてみる価値はあります。

具体的には、ICTを活用し、外国人集住地域で行われている教育支援の現場と、散在地域に暮らす子ども達をオンラインでつなぐことで、人が移動することなく、大きな予算をかけることなく教育へのアクセスを確保できる可能性があります。

また、言葉の通じない中、我が子の学校生活に不安を抱える外国人保護者に対しても、集住地域などからの情報や専門相談機会などをITを活用して提供する事もできるでしょうし、彼らと向き合う地域の方や学校の先生方に対しても研修機会や教材などを人や物の移動なしに届ける事ができます。

現在民間企業では、ITの力を活用した様々な教育アプリやプログラムの開発が進み、これらは私達にとってもだいぶ身近なものとなりつつあります。こうした流れを、言語難民状態に置かれている子ども達の支援に利用することで、積年の課題であった散在地域の予算なし・人材なしの壁を1日でも早く崩し、子ども達に適切な教育機会が提供されるような取り組みが必要なのではないでしょうか。